川の上流と下流
昔話の「桃太郎」は、川上から流れてきた大きな桃を、おばあさんが拾うところから始まります。その川上にはどんな景色があり、どんな人が住んでいたのでしょう? 川には上流と下流があり、たとえ視界に入らなくても、たどっていくとすべてがつながっています。川上が美しく保たれていることで、川下の暮らしも成り立つ。誰でも知識として知ってはいるのですが、ふだんの私たちは、そのことをあまり意識していないかもしれません。
水は山から生まれます。山があるから水が湧き出し、小さな源流がどんどん大きくなって川になります。上流には、動物を狩猟し山菜を採り、自然の厳しさと豊かさを肌身で感じながら、自然を守り続けた山の人がいます。小さな集落をつくって山の斜面に棚田をつくって暮らしていた人々もいます。「こんな山の中になぜ住み続けたのか」とも思いますが、そこにはいつも水が豊富にあったからかもしれません。
川上の「おきて」は、川下の人のための水を汚さないことです。たとえ自分が山の麓に下りることはなくても、川下に住んでいる人の顔を知らなくても、水がすべての生命の基本であることを肝に銘じ、汚さずに使うのです。野生の動物がそうであるように、自然と同化して生きるということは、自分の痕跡をできるだけとどめないということなのかもしれません。そんな奥ゆかしい生きかたが、できるのだろうか
現代に生きる私たちには想像もつかないことですが、たしかに、そうした人たちがいたのです。そして山からの水は、そんな人たちによって守られてきたのではないでしょうか。
山で生きてきた私たちの祖先は、次第に平地に下りて集落を形成していきます。里には多くの人が集まり、経済も発展して、快適な暮らしがしやすくなります。快適さはさらなる快適さを求め、経済の豊かさはさらなる豊かさを求めていきます。そしていつしか、山から人がいなくなり、人は山のことを忘れていくのです。
いま、山の上にある集落は、過疎を通り越して限界集落という言葉で表現されます。気の遠くなるような労力でつくり上げた石積みの棚田を耕す人もいなくなり、森林化が進んでいます。その一方、最近では若い人たちがそうした山に入り、耕作放棄地を再生させている話も時々耳にするようになりました。以前、当コラム(「田舎での暮らし」)でご紹介した岡山の上山村の再生に取り組む若者の姿などは、その好例といえるでしょう。また、川上を訪ねる旅やワークショップなども、よく行われています。川上から川下へという流れとは逆に、川下から川上にもどっていくという動きも生まれているようです。
時代を経て、川下の人々がつくった今の社会に、さまざまな限界が訪れています。経済もエネルギーも、そしてなにより人々の気持ちの中で自然との接点が見いだせなくなってきて、心の病や成人病なども増えています。一部の若者が山間の集落を目指すのも、高度に発達した近代社会のひずみを、本能的に感じ始めているからかもしれません。
もちろん、誰もが山の中で暮らすわけにはいきません。しかしたとえ川下に暮らしていても、川上に想いを馳せてみることはできるでしょう。視界に入る景色だけを見るのではなく、透き通るような源流とそこにいる人たちを思い浮かべてみるのです。それは、自然の恵みに気づくことにもなりそうです。同時にまた、目の前の暮らしの「その先」にある、見えない川下のことにも想いを馳せる必要があるのではないでしょうか。私たちは、どんな地点にいても、常にそこを基点とした川上と川下を抱えています。そのどちらも、目の前には見えないかもしれませんが、そうしたものへの想像力を持つことで、私たちの社会も少しずつ変わっていくのかもしれません。
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