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町のコモンスペース ─日本人の知恵─

ヨーロッパの町には、必ずといっていいほど広場があります。そこはパブリックスペースと呼ばれる公共的な空間で、誰もが集い自由に歩くことのできる場所。その対極にあるのがプライベート空間で、家は扉で閉ざされ外から遮断されているのが普通です。一方、日本には誰もが自由に使える公共空間というものは少なくて、たとえば「里山」のように、ある特定の人々の間で場を共有しているのが特徴。柵こそないものの、そこは見ず知らずの人が立ち入れる場ではありませんでした。

日本ではまた、プライベートもあいまいでした。玄関を開けたままであったり、隣の人が洗濯物をとり込んでくれたり、というのは、昔の家では日常的に見られた光景。家の外と内をつなぐ縁側は、気心の知れた人や親戚がいつでも出入りできる半公共的なスペースでもありました。
近隣の人たちが共同で使っていた井戸なども、同じような空間といえるでしょう。そこでは、よもやま話やゴシップなど「内輪の」会話が交わされ、井戸端会議とも呼ばれます。しかし、あいまいな半プライベートともいえるこうした空間には、誰もが入れるわけではありません。そこは隣近所や友人といった顔見知りの人だけが入れる場で、お互いが監視しあって、見知らぬ人の侵入を防いでいたのです。
このように日本では、ヨーロッパのようにパブリックとプライベートとを明確に分けて考えることはあまりありませんでした。プライベートの一部を仲間と使える空間とし、または仲間と使える場所をプライベートの一部とし、親しい人たちとゆるやかに共有していたのです。

こうした場所を日本的なコモンスペースといいます。それは「パブリック、プライベート」といった対比ではなく、もうひとつの、日本人が培ってきた独特の知恵。そして、かつての日本では、それがとてもうまく機能していました。

最近よく、コミュニティーの大切さということが話題になります。こうしたコミュニティーを考えるとき、「誰もが」自由に使える場所をと考えがちですが、実は日本では、「特定の人たちが」自由に使える場所がコミュニティーを生みだしていたのです。かつての縁側や井戸があった路地のように、少しだけ開かれていて顔見知りの間で使える場所…こうした空間が、コミュニティーを育てていたのかもしれません。

「つう」と言えば「かあ」というのは、特定のコミュニティーの中で通じあえる、日本的なコミュニケーションです。狭い島国で生きてきた私たちの先祖は、日常の生活をともにし、文化や習慣を共有する中で、お互いの信頼関係を育んでいったのでしょう。ときには煩わしさもあるでしょうが、こうした強いコミュニティーには、良い面もたくさんあったはずです。そして今、多くの人がそのことに気づきはじめ、ノスタルジーを感じているようにも思えます。こんな混沌とした時代だからこそ、日本人の知恵を現代的に解釈して、今の暮らしに役立つコモンスペースを考える必要があるのかもしれません。

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