東北大震災のあとの試み ─陸前高田の「りくカフェ」─
東日本大震災が起きて、3年が経ちました。現地では、まだ多くの人たちがその渦中にあって復興への取り組みを続け、またその活動を支援し続けている人たちもいます。今回は、そんな活動のひとつをご紹介したいと思います。陸前高田で、みんなが集えるカフェを運営しているグループと、その建物を設計した建築家たちです。
陸前高田の街は、東日本大震災で平野部のすべての建物を失ってしまいました。陸前高田病院の避難で、医師や看護婦が一丸となって5階建ての病院の屋上に患者を運び、救援を待っていたときの様子は、今も多くの人の記憶に残っていることでしょう。
その後、復興に向けて、平野部は住居用に使わず、高台への移転が決まります。その高台で、住人の一人でもある医師が、復興計画を待たずに仮設の病院やスーパーをつくり、住民の生活をサポートしようと動き始めました。
そして、その場所にみんながいつでも集えるカフェをつくろう、という計画も持ち上がったのです。そこに携わったのは、3人の専門家。東京大学准教授で都市工学を専門とする小泉秀樹さんと、2人の建築家、成瀬友梨さんと猪熊純さんです。彼らのプロジェクトは、本当に小さな35㎡の建物から始まりました。小さな調理台とテーブルがあるだけの家ですが、建築家が携わったことで、小さいながらも、さすがに素敵な空間となっています。
クリックで拡大完成後、その建物は新しい土地で暮らす住人たちのコミュニティーの核として成長し続けました。初めは手探り状態だった運営も、10ヶ月目ころからは、女性たちを中心に活発に自主運営されるようになっていきます。街の人が集まるだけではなく、都会の人と被災者との接点にもなり、多くの人の学びの場ともなっていったのです。
しかし、半年も過ぎると、カフェに訪れる人の数が次第に減っていきました。そんなとき、カフェの運営に変革を起こしたのは、現地スタッフの女性たちです。もっと多くの人に知ってもらおうと考えて、たどりついたのは大きな看板。みんなで手づくりした大看板を街道沿いに立てたところ、パンを買いに来る人が増えていったといいます。
こうした活動の中で育っていったものは、何より、自分たちの暮らしや未来を自分たちの手で変えていこうという強い意思といえるかもしれません。そして同時に、同じ境遇の人たちの支えとなっていこうとする気持ちも芽生えていったのです。建築家の成瀬さんと猪熊さんは、建物が完成した当初は月に1~2回、出向いたそうですが、今では月に一度程度。一人歩きした「りくカフェ」に行くのが本当に楽しみだといいます。
そして今、この地に2棟目のカフェができるそうです。仮設の1棟目のカフェは、限られた予算で建てたので、トイレも十分な厨房設備もありません。しかしその建設には、さまざまなボランティアや企業も資材提供で参加したといいます。そんな多くの人の想いと、地元の運営スタッフの粘り強い努力と復興への想いが、2棟目につながっているのでしょう。
ここでご紹介した「りくカフェ」だけでなく、東北大震災のあと、地元の人の忍耐強い努力と多くのボランティアや心ある人々の活動によって、今もさまざまな物語が生まれていることでしょう。これからも続くこうした活動に、心からの敬意とエールを送りたいと思います。まだまだ、出来ることはたくさんあるはず。あまりにも悲しい出来事だった大震災ですが、しかしそれを受け止めながら、日本の未来に向かってどんな社会をつくっていくのか そうしたことを考える大きな転機となったはずです。そして、そのことに今も真剣に取り組む人々がいることを、決して忘れてはいけないと思います。
みなさんは、東日本大震災から3年が経った今、どんなことを感じていらっしゃいますか? また、活動を続けていらっしゃる方があれば、ぜひ、ご意見や状況をお寄せください。
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成瀬・猪熊建築設計事務所HP
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