研究テーマ

屋台の楽しみ ─動くお店─

画像:ポンポンケークス(pompon cakes)の屋台

最近ではめっきり減ってしまった屋台ですが、かつて、夜になるとラーメン屋の屋台からチャルメラの音が聞こえてくるような時代もありました。いまでも、ほぼ定まった場所で営業する焼き鳥やおでん、ラーメンなどの屋台はあって、家路に着く前にちょっと一杯という方も多いかも知れません。また、お祭りや縁日のときなども、さまざまな屋台が集まってきます。今回は、そんな屋台について、考えてみましょう。

屋台は、日本だけでなくアジアの街でも日常的な風景です。日本と同じように、街を巡回する屋台は楽器を使い、また固定の屋台は街の人々の日常的な食事の場となっていて、人気の店には行列ができるほどだといいます。

こうした屋台は、どこか郷愁を誘うだけでなく、ちょっと食べてみようかという気にさせるのはなぜでしょう。「いま食べないと、いなくなってしまう。あとでは食べられない」「もしかすると、未知のおいしさに出会えるのではないか」「最近見かけなくなっていた行きつけの屋台に、また会えた」「屋台のおじさんに話を聞いてほしい」などなど、そこには、さまざまな理由がありそうです。
たとえ固定の屋台であっても、屋台は常に動くもの。車がついていて「動く」ということに、大きな意味があるのだと思います。相手は、いつかはいなくなる人。「よそ者」であるが故の気楽さや、よそから来ることへの偶然性、見知らぬモノや人への興味もあるかもしれません。
昔からバザールといえば、その日に、どこからともなくさまざまなモノや人が集まり、商いがされていたところ。商店街や市場の原型です。日常的な暮らしの場に、外からモノがやってくる。どこからか来てどこかへ去っていく屋台には、商店街の店のような安定感はありません。だまされるかもしれないと思いながら、しかし一方で、掘り出し物が見つかるかもしれないというわくわくした期待感。屋台が人間の興味を引きつけるのは、それが旅人のように動くものだからでしょう。

戦後急成長してきた日本の街は、住むところと働くところを分けてきました。遊ぶところも、食事をするところも、それぞれ別の場所です。こうしたさまざまに分化してきた暮らしを横断できるのが屋台。しかしその一方で、屋台のような「いかがわしさ」を排除してきたのも日本の都市の特徴です。そうした中でもいまなお生き残っている屋台は、昼間はオフィス街に、夜は住宅街にと渡り歩きます。そんな屋台にはどこか不思議な魅力があり、人々はそこに寄せつけられるのかもしれません。

いま、鎌倉では「ポンポンケークス(pompon cakes)」というケーキ屋台に人気が集まっているそうです。自転車と一体化したおしゃれな屋台と、無添加のアメリカンケーキを中心にしたケーキが評判。ケーキ職人の立道 嶺央さん(32歳)は自分でつくって自分で売るというスタイルをこの3年つづけていて、毎回つくる200個のケーキは瞬く間に売れていくとか。神出鬼没で出店するその場所はTwitterやFacebookで知らせ、「今から○○○で売り始めます」という合図で、お客さんが集まってくるといいます。

現代の屋台:公園の空き地に車でお弁当を売リに来ています

簡易的な屋台は、思いついたらすぐに少ない投資で始められ、その分、安い値段で商品を提供することもできます。街を再開発するには巨額な投資が必要ですが、今までの既存の街区に楽しい、きれいな屋台がやってきたら、街の風景が変わるかもしれません。古い街の風景に、さまざまな屋台が色を添えていく。何か新しい風が吹いてくるようで、わくわくしますね。

定住しているからこそ、「動きたい」という思いは、多くの人の心の中にあるものでしょう。「動く」ことがもたらすものを、人は本能的に知っているのかもしれません。本来、都市というのは、そうした流動的な人々が集まった場所だったのだろうとも思います。そして動くモノや人への憧れは、かつて都市に住み始めたときの体の中にある「旅すること」への記憶なのかもしれません。

屋台のある風景について、みなさんはどう思われますか?

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