研究テーマ

生きものに学ぶ

目的地に着いてすぐ引き返すことを「トンボ返り」というように、トンボは、勢いよく飛びながら急に向きを後ろに変えることができます。空中で体を上下一回転させる宙返りのことも、「トンボ返り」。鳥にはできない芸当で、一日に200~250匹もの虫を空中で捕らえて食べるために、トンボが最適な進化をとげた結果だといわれます。今回は、そんな生きもののすぐれた能力を見ならい、技術やものづくりに活かそうという取り組みの話です。

ナイロンから新幹線まで

生きもののすぐれた構造や機能を模倣する技術は、「バイオミメティクス(生物模倣)」と呼ばれます。
初期の代表例は、カイコのつくる絹糸をまねたナイロン、衣服にくっつく野生ゴボウの実にヒントを得た面ファスナー(マジックテープ)、蓮の葉が水をはじく性質を利用した撥水性塗料など。70年代には、コウモリに学んだソナー(水中音波探知機)やレーダーが開発され、90年代には新幹線の騒音削減にカワセミのくちばしやフクロウの羽の形が取り入れられました。
そして、今世紀。この分野に新たな波が押し寄せ、実用的なバイオミメティクス製品が次々に開発されているといいます。背景にあるのは、電子顕微鏡やハイスピードカメラなど観察や分析技術の発展と、ナノテクノロジーやバイオテクノロジーの発達。生きものの「神秘のメカニズム」が、分子レベルで解明、再現できるようになってきたのです。

神秘のメカニズム

例えばヤモリは、壁や天井を自在に歩きますが、その足の裏には吸盤も粘着物質もありません。電子顕微鏡で観察すると、数億本に枝分かれした微細な毛が生えていて、物質と引き合う特殊な力が働き、体を支えていることがわかったといいます。その構造を模倣して、接着力は強いのに簡単にはがすことができて、繰り返し何度も使えるヤモリテープが実用化されました。
最初に書いたトンボは、羽ばたいて飛ぶことも、羽の動きを止めて空中滑走することも、空中で停止することもできます。スピードや方向を瞬時に変えるのも、お手のもの。鳥にはできないこんな芸当ができるのは、4枚の羽をそれぞれ別々に動かせるから。しかも、飛行時の騒音もほとんどなく、驚くほどの省エネ飛行を実現しているといいます。
こうしたトンボの知恵を研究した成果として、もっとも有名なものは、ドイツで開発されたトンボ形の飛行ロボット「バイオニックオプター」。日本でも騒音や消費電力を抑えたエアコンのファンや、わずかな風でもよく回る風車の研究などに応用されています。

成り立ちから学ぶ

生物模倣技術が目指すのは、機能の再現だけではありません。その「製造プロセス」からも、学ぶべき点がたくさんあるといいます。
例えばアワビの貝殻。クルマにひかれてもびくともしない硬さと、曲げにも強いしなやかさを併せ持つ天然のセラミックスですが、調べていくうちに、アワビは海水だけを使って、しかも常温・常圧下で、強じんな貝殻をつくっているという製造の仕組みもわかってきました。それは、材料やエネルギーを大量に消費してつくられる現代の工業製品とはまったく異なる、生きもの特有の「省エネ」な製造プロセス。自然や地球と共生しながら進化してきた生きものは、それぞれが共生のためのデザインを持っているのです。

お手本は自然

生物模倣技術から生まれた製品は、私たちの暮らしの中に、さりげなく存在しています。刺されても痛くない蚊の針の先端にヒントを得た、痛みの少ない注射針。光を反射しない蛾(が)の目の構造を利用した、映り込みが少ない液晶テレビ画面。カタツムリの殻の構造から学んだ、雨が降れば汚れが簡単に落ちる外壁タイル…クモの糸の構造をまねた特殊な糸をつくりだすことにも成功していて、ナイロンより高い伸縮性と鋼鉄の2倍の強度をもつその糸を使えば、軽くて丈夫なクルマができるだろうと期待されています。多様な生きものたちは、人間の知らない能力をまだまだたくさん持っていて、これからもさまざまなヒントを与えてくれることでしょう。
その一方で、毎年1000~1万種の生物が地球上から姿を消しているという報告(WWFジャパン)もあります。南北に長い国土に9万種もの多様な生物が生息し、それを資源に、この分野で世界のトップランナーになれる可能性を秘めているといわれる日本。しかし、多様な生きものの揺りかごとして機能していた田んぼが、耕作放棄されたまま荒れ果てているのも現実です。生きものをお手本にするためにも、自然界全体を見通す「共生」という大きな視点がもっと必要になってくるでしょう。
「生物に学んだ技術を単に産業に活かすのは、方向が違う。むしろ、産業革命以降の大量生産、大量消費の暮らし方を変えるために、環境に負荷をかけない、効率の良い生き方を自然から学ぶべき」━新聞紙上でそう語っているのは、カタツムリの殻から汚れにくいタイルを開発した、東北大学の石田秀輝教授。未来への第一歩になる新しいテクノロジーを生むためには、こうした謙虚な姿勢が何より大切なのかもしれません。

みなさんは、生物模倣技術に、どんなことを期待されますか?
ご意見、ご感想をお寄せください。

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生活雑貨

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