音楽と発酵
下手な歌を聞かされたとき、「糠味噌(ぬかみそ)が腐る」などと冷やかすことがあります。「脳味噌の間違いでは?」と思う人もいるようですが、糠味噌は、糠漬けに使う糠床のこと。そこには、無数の微生物たちがいて発酵を促すのですが、では、その微生物たちが歌を聴いているというのでしょうか? 今回は、そんな音楽と発酵についての話です。
お酒と音楽
以前のコラム「暮らしの中の歌」でもご紹介したことがありますが、千葉県にある自然酒づくりの酒蔵・寺田本家では、今でも蔵人たちが酒屋唄を歌いながらお酒を仕込んでいます。最初のうちは眠気醒ましのつもりだったようですが、歌いながら作業することで、「楽しくお酒をつくる」という想いに変わっていったとか。酒づくりは、酵母という小さな命(微生物)を相手にする仕事。人間の「きついな」という声を聞き続けた微生物が発酵させたお酒と、「楽しいな」という声を聞き続けた微生物が発酵させたお酒では、同じアルコールでも違うはず──そう信じて、蔵人たちは、自分たちの楽しい想いを歌で微生物に伝えています。
しかし、こうしたことの多くは、これまでは「情緒的なこと」として片づけられてきました。1990年代、音楽を聴かせてつくった酒類が話題になったときも、「ムード的なもの、科学的根拠がない」という声がありました。しかしその後、研究が進み、ワインや日本酒、焼酎など水分の多い食品では、その製造過程で音楽を振動に変えて与えると、まろやかさを確認できたという報告も。
山梨県工業技術センター・ワインセンターの試験醸造では、音楽振動を与えた仕込みタンクは酵母菌が活発に働き、発酵に要する日数も2日間短縮されたとか。また、瓶詰して半年間ねかせ、試飲・官能テストをしたところ、「香りがたかく芳醇」「のどごしがすっきりしている」といった評価が得られたといいます。
鰹節にモーツァルト
鹿児島県枕崎市にある鰹節工場・金七商店では、本枯節(ほんかれぶし)のカビ付け工程でモーツァルトの曲を流し、「クラシック節」と呼ばれる鰹節をつくっています。
そこでは、カビ付けの全工程でモーツアルトを流し、部屋の入口にかけられた黒板には、その日に流れているモーツアルトの曲名が書かれているそうです。音楽を聴かせていなかったころに比べると、「カビののりが早く、きめが細かくなった気がする」と、四代目の瀨﨑祐介さん。
とはいえ、鰹節のカビ菌にクラシック音楽が効果的ということは、まだ成分的に実証されているわけではありません。しかし、瀬﨑さんが注目しているのは、鰹節づくりと酒づくりのカビの共通点。鰹節に最初に生えてくるカビは、パンに生えるのと同じ系統のペニシリウム属というアオカビですが、天日干しを繰り返していくうちに、アスペルギルス属という別の種類のカビに変わるのだとか。そしてそのカビは酒づくりに使われる麹菌と同じ種族だから、クラシック音楽を聴かせることで、「醗酵熟成も活性化し、よりおいしくなる確率が高い」というわけです。その解明は今後の研究を待つとして、瀬﨑さんが実感しているのは、音楽が人に与える影響。クラシックが流れる工場で鰹節と向き合うと、リラックスして、やさしい気持ちで鰹節を扱うことができるといいます。
子守唄でねかせる
子守唄を聴かせて熟成させた味噌というのもあるそうです。山口県でつくるその味噌は、県産の大豆と手づくり麹を使い、天然醸造で仕込むもの。そして、4ヵ月あまりの熟成中、同県出身の詩人・金子みすゞの詩「波の子守唄」に曲をつけた子守唄を聴かせるといいます。商品説明に科学的な根拠は記されていませんが、味噌をねかせる間(熟成期間中)に子守唄を聴かせるという発想は、まさに、人間を相手にしているのと同じ感覚。鰹節にしろ、味噌にしろ、つくり手のそうした気持ちが微生物に伝わり、出来具合に反映されたとしても、不思議はないのかもしれません。
見えないものの力
音楽療法というカテゴリーもあるように、命あるものは音楽に癒されます。では、目に見えない微生物たちにも、それは通じるのでしょうか? それはまだ、科学的に解明されてはいませんが、だからといって、「あり得ない」と断言できるものでもないでしょう。
目に見えない微生物が醸し出す発酵の世界は、顕微鏡が発見されるまでは解明されませんでした。しかし、先人たちは顕微鏡発見のずっと以前から、その神秘に気づき、それを利用し受け継いできたのです。何事につけ、科学的な裏付けというのは、後になって付いてくるもの。もしかしたら、真実というものは、目に見えないものの中に潜んでいるのかもしれません。
少しでも速く効率よく大量にものをつくろうという時代にあって、微生物のために心地よい環境をつくろうと、音楽を聴かせる人たち。それは、お腹の中の赤ちゃんに胎教のための音楽を聴かせる母親の気持ちと、どこか通じるような気もします。
みなさんは、発酵に与える音楽の力について、どう思われますか?