研究テーマ

大人のアソビ

音大生でもない、プロのミュージシャンでもない。ごく普通の大人が楽器を持って、いそいそとどこかへ向かっている姿を見かけることが多くなりました。そういう人たちの顔つきが、音大生やプロのミュージシャンの顔つきとどこか違って見えるのはなぜでしょう。それはきっと、勉強や仕事のためではなく、楽器をアソビの道具として楽しんでいるから。今回は「大人のアソビ」について考えてみましょう。

音楽とアソビ

大人向けの音楽教室がにぎわっているといいます。楽器メーカー、ヤマハの「大人の音楽レッスン」の受講者数を見ると、1999年には全体の生徒数の中で50歳以上の人は8%しかいなかったのに、2011年には41%に増加。東京都杉並区では、区民を対象に日本フィルハーモニー交響楽団のメンバーが指導する「60歳からの楽器教室」が盛況だそうです。
また、仕事を持ちながら音楽活動を楽しむ大人のアマチュアバンドも各地で結成されているとか。80年代、90年代のバンドブームのころに組んでいたバンドを再開する人だけでなく、新たに楽器を始める人も多く、そういった人たちに発表の場を提供するためにさまざまなコンテストも開催されているようです。
平安時代には、「あそぶ」といえば、音楽の演奏を意味していました。「古来、音楽を奏でることは神事で、楽器とは、洋の東西を問わず神降ろしの道具」だったと解説するのは、万葉学者の中西進さん(『ひらがなでよめばわかる日本語のふしぎ』小学館)。英語の「play」にも、「遊ぶ」と並んで「演奏する」という意味があるのは、偶然ではないのでしょう。となれば、音楽はアソビの原点。少し余裕の出てきた大人たちが音楽で遊びたくなるのも、ごく自然なことなのかもしれません。

ネットで広がるアソビ

こうした大人の音楽活動の幅を広げる一助となっているのが、インターネットです。ある楽器メーカーでは、教室に通う時間がない人のために、パソコンの画面で講師の説明やお手本の動画を観ながら練習するオンラインレッスンを実施。また音楽仲間を募ったり、仲間内の連絡に使ったり、楽譜のやり取りをしたり、YouTubeで聴きながら個人練習をしたり、といったこともごく普通におこなわれています。自分たちの演奏を手軽に発表する場としてもインターネットが使われていて、演奏を撮影したビデオを動画サイトに投稿し、バンドテクニックを競うコンテストもあるとか。ただ聴くだけでなく、自分で演奏し、発表し、交流する。インターネットの普及とともに、音楽の楽しみ方の幅が広がってきているのです。

子どもの音楽、大人の音楽

そもそも音楽とは文字通り「音を楽しむ」ことですが、子どものときに習う(習わされる)音楽には、楽しむ以外の要素が含まれているかもしれません。
子どもの中にある才能の芽を見出して早いうちからその準備を進めたい、毎日練習を続けることで忍耐力を培いたい、音譜が読めるようになっておけば学校で役に立つだろう…こうした大人の思惑には、「将来のため」という教育的な目的がひそんでいるような気もします。もちろん、そうしたことも大切なのでしょうが、そういう目的が先行すればするほど、子どもの側からすれば音楽を楽しめなくなるという皮肉な結果にもなりがちです。
それに比べて、大人の音楽は純粋に自分が楽しむためのもの。何かのためにやる(やらされる)のではなく、遊ぶことが目的だからこそ、嬉々として練習もできるのでしょう。

アソビの意味

「遊んでばかりいないで勉強しなさい」━子どものころ、そんな言葉を親や先生から言われたことのある人は多いでしょう。農耕民族として長い歴史を刻んできた私たち日本人は、真面目に働くことを善としてきました。一所懸命に働くことが、そのまま収穫量につながり、豊かさをもたらしてくれたからです。そしてその分、遊ぶことに対しては、どこか後ろめたい感情を抱き続けてきたような気もします。遊び半分、遊び人など、マイナスのイメージで使われる言葉が多いのも、おそらくそうした理由からでしょう。
もちろん、真面目に働いたり勉強したりするのは大切なことですが、緊張して頑張るだけでは続かないのも事実。「ハンドルのアソビ」というように、遊びという言葉には、ゆとり、余裕といった意味もあります。車のハンドルやブレーキペダルには、設計段階で適度なゆとりが組み込まれていて、そのアソビが安全装置となり、急ハンドル、急ブレーキを防いで事故を未然に防いでいるのです。意味がないように見えることの中に、意味がある。仕事や勉強も、合間にアソビがあってこそ成り立つのかもしれません。

真面目をモットーとし、頑張ってきた日本人ですが、そろそろアソビの効用を見直してみてもいいのではないでしょうか。
みなさんは、大人になったいま、どんなアソビを楽しんでいらっしゃいますか?

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生活雑貨

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