研究テーマ

椀の取っ手あり、なし。

朝起きて初めに口にする水、1杯目のコーヒー、あるいはお茶のいろいろ。私たちが一日中つきあっている飲みものの容器はカップ、マグ、椀など呼び方も来歴もさまざまです。かたちで見ると、大きく分けて取っ手の有る無しと言えるかもしれません。

バーナード・リーチに教わる

© Marty Gross Film Productions, Inc.

日用品と美しさを共存させることに力を注いだ1930年代の民芸運動には柳宗悦、浜田庄司、河井寬治郎をはじめ多くの作家や指導者がいましたがイギリスから来日したバーナード・リーチの仕事に注目した映像作家がいます。
マーティ・グロスさん。カナダの映像作家、グロスさんは日本の創作の現場に深く入り込みドキュメンタリー作品を数多く手がけていますが、特に民芸運動の力に惹かれて初期の制作状況を伝えるフィルムのアーカイブを保存することに努めています。
その中にバーナード・リーチが日本の陶工たちにハンドル=取っ手の扱いを示しているシーンがあります。なにもリーチに教えられずともと思いますが、ピッチャーなども新しい考えに立つ器として学ぶことは多くあったのでしょう。1930年前後の日本の窯場のことですから、中には伝統のままの器づくりでよく、ハンドルを付けるなど思いの外という職人さんが大勢であったことも想像できます。
そのピッチャーを作ることから始めている画像には東と西の文化の遭遇のドラマを見るような感じさえあります。
日本は40年代前半にはアジアでの世界大戦に突入し、後半は敗戦後の欧米化に務めています。水差し、茶碗のような日用品にハンドルがつくことを取り入れたのも、ふり返ってみればそう遠い過去の出来事ではなかったのだと思い当たります。

ハンドルは器の個性

あなたの卓上や食器棚にあるカップ類をあらためて見ていただくと、どんな過程を経て生まれた製品もそれなりにハンドルの位置が意匠として生きていることが感じられると思います。大量、中量生産の工業製品のカップのかたちも、丸みを帯びていればそれなりにもっこりと、あるいはマグの場合は一番上部の縁からはじまるなどのバリエーションがあります。
巧まずして妙、という言葉がありますが街の小さな工場の主の考えるハンドルの整合性と意匠の微妙な関係から生まれるかたちは、まさにアノニマス(無名)のもの作りの素敵さを表してくれているように思います。
一品製作の作家ものともなればハンドルの重要度は更に増し、カップの魅力の焦点、個性の象徴表出などと見る人、使う人の目の厳しさにも晒されていきます。

ハンドル無し

茶碗にはハンドルがありません。手のひらで抱くように持つ茶碗のタイプは洋の東西を問わず歴史的に使われてきました。素材も陶磁、木、石、金属といろいろ。「わん」という漢字の左側は「偏」ですが素材によって椀、碗、などと使い分けてきた先人の知恵も器とともに残されています。ちなみにわんの右側の部首は「つくり」、碗の字のつくりは人間がうずくまったかたちを現すと言われてきました。ゆったりとリラックスして背中を丸めている姿が碗の漢字のルーツにあるというのも興味深いことです。お茶のいっぷくで休まることに通じるのではないでしょうか。
英語圏ではハンドルなしの丸いタイプをtea bowl、ハンドルつきをtea cupと呼んでいます。ボウルを使うのはアジアからの影響で西欧は古代からハンドルがあったのだという説もあります。
現在は世界のあらゆる国々の食器が市場にあふれ、選択に迷うほどですが、ハンドル無しの茶碗タイプの器で珈琲や紅茶を飲む方は多くいらっしゃるでしょう。
不思議なことに毎日気に入って使うカップは自然ときまっていく、それが使い続けること即ち愛着の器になっていくのですね。そこでハンドルの有る無しは好みの器の属性であって、まずハンドルありきではないということもできるのかもしれません。日々の暮らしのディテールは観察すればするほど興味深いものです。

あなたはどのようなカップを愛用していらっしゃいますか?

※トップ画像: 左 2点 武田武人作、右 Tina Schwihitenberg作

研究テーマ
生活雑貨

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