研究テーマ

消えゆく暗闇

月のない夜、一寸先も見えない闇に囲まれて、恐怖に身をすくませたのはいつのことだったでしょう。どこもかしこも明るくなった現代では、真夜中ですらそんな恐れを抱くことはなくなりました。暗闇が、ものすごい速さで各地から消えているように思います。闇を失うことで、かえって見えなくなってしまったものがあるのでは。今回は暗闇について考えてみました。(画像:ヨーロッパの都市の夜の衛星画像)

光は善、闇は悪

心の闇、社会の闇というように、「闇」にはおおよそ悪いイメージがついてまわります。キリスト教や古代イランのゾロアスター教をはじめ、多くの神話や宗教でも、光と闇は善と悪の対立として描かれています。私たちの国にも「天の岩戸」の神話があり、天照大神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に引きこもるや、世界は闇に包まれ、さまざまな災いが起きたとされています。人間が火を使うようになったのはいつのことか定かではありませんが、日没とともに訪れる闇の世界はたしかに人智の及ばぬ脅威であり、何が起きるかわからない恐怖におののき、人々は火のそばに身を寄せて、まがまがしい夜を過ごしてきたのでしょう。「文明」という言葉に「明かり」の文字の入っているのも、うなずける話です。

文明の火

ギリシャ神話は、神話でありながら示唆に富むエピソードが多いことで知られています。天上界から盗んだ火を人間に与えたプロメテウスの寓話もそのひとつでしょう。この場合、プロメテウスが与えた「火」は文明の象徴であり、それによって人類は恩恵をこうむるとともに、戦火のような災厄を招いてしまったと解釈されています。神話的な善悪の対比で考えれば、光をもたらす火は善であり、神の側にあるものであり、それを手中に収めた人間は、火の力で自然を切り開き、闇を照らし、この世から恐れや混沌を取り除いてきたと考えられます。と同時に、神の力の一部を手にした人間は、文明によって自然を制圧し、自分たちの都合のいいように地球の姿を変えてきました。人工衛星から撮影された夜の地球の写真などは、まさにこのことを物語っているかのようです。暗闇に包まれた地球のあちこちに、先進国と呼ばれる都市部の明かりが煌々と輝いて見えます。それはあたかも天上界から盗んできたプロメテウスの火が燃え盛っているような光景です。

暗闇の力

長野の善光寺に「お戒檀巡り」というものがあります。これは一寸先も見えない暗闇の中を進み、ご本尊の真下にかかる「極楽のお錠前」に触れるというものです。お参りをする人は完璧な闇に包まれ、壁伝いに手探りをしながら少しずつ進みます。尋常ならざる闇に触れ、恐怖に近い感情を覚えた人々は、ほのかに出口の明かりが見えてきたときにほっと安堵の息をつき、普段忘れていた光のありがたさ、目の見える尊さに気づくといいます。
また、インドネシアのバリ島には「ニュピ」というヒンドゥ教の行事があります。これはバリ島のサカ暦の正月で、年によって違いますが、例年3月から4月にかけて行われるようです。「ニュピ」の日は、朝6時から翌朝6時まで、人々は明かりを灯さず、仕事もせず、遊びもやめ、食べたり話したりすることも控えて静かに暮らすそうです。「ニュピ」はバリの人にとって、一年を振り返り、自己を見つめるための大切な日であり、心をリセットするための装置として、暗闇と静寂が用意されるのです。

陰影礼讃

作家谷崎潤一郎は、著書「陰影礼讃」の中で、文明的に進んだ西洋の住まいと対比して、日本家屋に差し込むほの暗い自然の明かりの美しさを称えています。一節を引用すると「私は、数寄を凝らした日本座敷の床の間を見る毎に、いかに日本人が陰翳の秘密を理解し、光りと蔭との使い分けに巧妙であるかに感嘆する。」その背景にあるものとして挙げるのは、「案ずるにわれわれ東洋人は己れの置かれた境遇の中に満足を求め、現状に甘んじようとする風があるので、暗いと云うことに不平を感ぜず、それは仕方のないものとあきらめてしまい、光線が乏しいなら乏しいなりに、却ってその闇に沈潜し、その中に自らなる美を発見する。」
よりよい暮らしを求め、ランプからガス灯へ、電灯へと明かりを進化させてきた西洋人に対して、日本人は独特の諦観を伴う自然観の中で、家屋の薄暗さを不便とせず、かえって美しいものとして受け入れてきたというのです。

3.11の東日本大震災で、私たち日本人は久しぶりに暗闇を体験しました。当時は電力の喪失とともに一部の地域で計画停電が行われ、明かりや暖を奪われることによって、電気のある暮らしのありがたさを、改めて身に染みて感じたものです。あれから4年、ふと見まわすと、いつの間にか街に煌々と輝く明かりが溢れています。まるで暗がりとともに「節電」の二文字まで消えてしまったかのようです。

静かな夏の夜、まずはひととき、人工の明かりを消して過ごしてみませんか。そこに広がるうっすらとした闇に、普段忘れかけていた大切なものが見えてくるかもしれません。
あなたのまわりに暗闇はありますか。

(今週のコラムは、過去にお届けしたコラムをコラムアーカイブとして、再紹介します。)

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