春はどこから?
空から降るものが雪から雨に変わるという「雨水(うすい)」は、立春から数えて15日目。今年は2月19日にあたります。沖縄本島に観測史上初の雪を降らせた、さしもの冬将軍も、そろそろ退却の準備を始めるころ。いろいろなところで新しい季節、春の兆しが見つけられますが、今回は木の根元に目を注いでみましょう。
春は木の根元から
雪国に住む人の話では、春は立木の根元からやって来るそうです。立春も過ぎて陽射しが少しずつ明るくなってくると、まず立木の根元あたりから輪を描くように少しずつ雪が解け、土が顔を出してくるのだとか。「根開き(ねあき)」、「木の根開き(きのねあき)」、「雪根開き(ゆきねびらき)」などと呼ばれる現象で、俳句の世界では春の季語とされています。まるで木の体温で足元の雪が解けていくように見えるところから、木温と呼ぶ人も。辞書には載っていない言葉ですが、そう表現したい気持ちもわからないではありません。こうした風景が見られるようになると、北国にもそろそろ春の訪れ。農家にとっては、畑仕事のための準備を始める合図でもあります。
木が温いのは
木の根元のまわりだけ先に雪が解けるのは、なぜでしょう? それは、木が温かいから。植物の体温はふつう外気の温度変化につれて変わりますが、この時季の木が温められる要因は、外からと内からと二つあるといわれます。
まず外からの要因として挙げられるのは、だんだん強くなっていく春の陽射し。太陽光を吸収して木が温まり、その熱が周辺の雪を解かしていくというわけです。同じ陽射しを浴びても他の場所の雪が解けずに残っているのは、雪と木の「光の反射率」の違いによるもの。雪は白いので太陽光のほとんどを反射してしまいますが、木の幹は黒ずんでいるため太陽光を吸収しやすいといいます。
一方、内からの要因として考えられるのは、木の体内での水の移動。春が近づき陽射しが強くなってくると、木は地下深くに張った根から水を汲み上げます。それは、越冬した枝先の芽が芽吹き始めるのを助けるため。その温かい地下水の移動が木の体内温度を上昇させ、木の周囲から雪解けが始まるというのです。
木の生命力
とはいえ、科学的な説明だけでは腑に落ちないこともあります。山間部に暮らす人の話によると、折れて雪の上に落ちた木の枝や松ぼっくりなどの周辺でも、立木の「根開き」と同じような現象が起きるというのです。
光の反射率はともかく、温かい地下水を吸い上げて体内温度が上がるといった説明は、根っこのないものには当てはまりません。もしかしたら、折れた枝や落ちた実にも、雪を解かすだけの生命力のようなものがあるのではないか──そんなことを思わせる話ですね。そういえば、建材として使われる材木は百年以上も生き続けるといった話も聞きます。科学だけでは説明のつかない「不思議」を、自然はいっぱい秘めているのかもしれません。そして私たち現代人は、何もかも「科学的に」理解しようとするあまり、自然の不思議を素直に受け止める感性を失いかけているのかもしれません。
木と水と風と
木と水との関係では、こんなことも聞きました。八ヶ岳の森で暮らしていた、今は亡き園芸家の柳生真吾さんが、生前にラジオ番組の中で語っていた話です。
モミジやミズキはほんのり赤い色、マユミはほんのり緑色──春先、木々の芽がふくらむと、枝先がさまざまに色づいているのがわかるといいます。それは、水分が枝先まで行き届いているという証(あかし)。見た目はまだ雪でおおわれているものの、カチカチに凍った地面がゆるみ、根っこが水を集めて、土の中には春が来ているというのです。根っこが目を覚まして水を吸い上げると、枝先の芽の色が変わるとか。「根開き」も、こうした生命活動の結果、見られる現象なのでしょう。
そして面白いことに、木々の枝先の色が変わるのと、森を吹き渡る風の音が変わるのとは、ほぼ同時期だといいます。冬には乾いてカラカラとした音だったのが、春になると、ざわざわとしたみずみずしい音に。風そのものに音はありませんが、触れるものがあると、それが「風の音」として聞こえます。春先に吹く風の音は、水分を枝先まで行き渡らせた、みずみずしい木々の音だったんですね。
木の温もりが足元の雪を解かす「根開き」。それをつくっていたのは、太陽光という外からの刺激を受けながら、新しい季節に向かおうとする木の命の営みでした。一気に大量の雪を消すほどの強烈な力はなくても、そこにある自然が自然のままに生きることで、その場を温め、やがては雪を解かしていく。それは、ひとりひとりの思いや行動が集合されて社会環境が変わっていくのとも、どこか似ているような気もします。「根開き」をつくる木のように、まずは身近な周囲を温めていく──新しい何かは、そんなことから始まっていくのかもしれません。
みなさんのまわりでは、どんな春が近づいていますか?