研究テーマ

お説教

「お説教」と聞くと、「お叱り」や「お小言」をイメージする方が多いのではないでしょうか。また、「説教くさい」という言葉があるように、どこか堅苦しく、うとましい印象もつきまといます。でも、もとはといえば「説教」は、現代の落語や講談に通じる娯楽性の高い話芸であり、庶民の日常の楽しみだったのです。今回は面白おかしくて、尊くて、ありがたい、昔の「説教」のお話です。

説教のルーツ

説教の歴史はたいへんに古いもので、研究者である故関山和夫さんの著書「説教の歴史」によると、すでに仏滅後から、当時の王がインドの内外に説教師を派遣した様子が見られるそうです。また、釈迦の弟子である富楼那(ふるな)や賓頭盧(びんずる)も名説教を演じたことで知られ、大乗仏教が小乗仏教を圧するころに、説教はますます枝葉を広げたとのこと。インドに端を発した仏教が世界に広がっていく過程において、説教は大きな役割を果たしたのですね。
文献上では、日本で最初に説教を行ったのは聖徳太子とされています。仏教の伝来と一緒に、説教の風習も中国から入ってきたのでしょう。平安時代には、すでに説教を行う「説教師」は貴族の間でスター扱いされていたとか。清少納言も「枕草子」で「説教師というものは顔の美しいのがよい云々」などと書いているそうです。「一声・二節・三男」と言われたように、朗々と美声で弁ずるイケメンの説教師は、宮廷女房たちの間で人気を博したようです。

節談説教

醒睡笑
説教が貴族から庶民のものとなったのは、法然が出現し、浄土教が開かれてからのこと。民衆の絶大なる支持を得た「説教」は、教化や布教という本来の目的もさることながら、庶民性豊かな文化の中で「話芸」の性質を帯びるようになってきます。当時、仏教の各宗派が説教に熱を入れ、布教活動を行いましたが、最も激しく説教活動を行ったのは親鸞の打ち立てた浄土真宗でした。
真宗の説教は「節談(ふしだん)説教」と呼ばれるもので、高座に上がった説教師が、言葉に抑揚を付け、見事な美声と絶妙な節回しで、歌うようにとうとうと弁じ立てるスタイルです。内容も教義を押しつけるような堅苦しいものではなく、たとえ話を多用して、ときには笑いと涙の人情話を交えたりした、分かりやすいものだったそうです。
近世になると全国各地におびただしい数の説教所が設けられ、説教師は現代の落語家や講談師のように高座に上がり、扇一本を手に持って、身振り手振りを交えて話したそうです。娯楽の少なかった時代、高座には大勢の庶民が集まり、説教師の熱弁に聴き入ったことでしょう。実際に落語の開祖と目されている安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)は浄土宗の説教師のひとりでした。策伝は話の末尾に落ちを付ける「落とし噺」を高座で実演し、数々の小咄を「醒睡笑(せいすいしょう)」という書物にまとめました。

説教の衰退

そもそもの説教の目的は、もちろん娯楽ではなく、仏教の経典や教義を民衆に説くことです。しかし、崇高な仏法の教えは庶民には難しいため、身近な比喩を用いて興味を引き、分かりやすく伝える役割が説教にはありました。古来わが国では、寺の縁日や祭礼、盆踊りなどに参加することは庶民の生活の一部でした。説教もそのひとつとして、宗教・娯楽・生活をともにする暮らしの中で発展してきたのです。
ところが江戸の世が終わり、明治に入ると、西洋の文化が雪崩をうって日本に入ってきます。欧米化が急速に進む中、説教は旧態依然とした"古くさい"ものと誤解され、衰退の道をたどります。通俗的な節談説教は、仏教界においても異端視するものが現れ、次第に学問的な講演・講義式の「法話」に置きかえられるようになりました。活動写真や蓄音機、ラジオなどの娯楽の台頭も、説教衰退の一因となったようです。
こうして、第二次大戦が終わる頃には、日本の随所にあった説教所は姿を消し、説教の文化は終焉を迎えることとなります。ユーモアと人情にあふれた"ありがたいお説教"は失われ、「叱る、小言をいう」という意味の「お説教」という言葉だけが残ることになったのです。

昭和の時代、伝統的な「説教」に魅せられた俳優の故小沢昭一さんは、当時細々と受け継がれていた説教師の節談を収録するために、「説教の歴史」の著者である関山さんと全国をまわったそうです。このとき集められた音源は「節談説教(ビクターレコード)」というレコードにまとめられました(今でもCDで出版されています)。
また、笑いあり、涙ありの「節談説教」を実際に聴かせてくれる寺院もあります。大津にある浄土真宗本願寺派の「法林山淨宗寺」などはそのひとつ。このお寺は2007年に行われた「築地本願寺節談説教布教大会」にも加わり、説教の技法の研究と現代への再生を目指しているそうです。

日本人が一千年以上も慣れ親しんできた「説教」には、巧みな話芸で人々を楽しませながら、庶民の心を豊かに耕す働きがありました。宗教心が薄れ、心のつながりが希薄になった今、ふたたび、私たち現代人の感覚にマッチした新しい「説教」を聴いてみたい気もします。

※参考図書:「説教の歴史-仏教と話芸-/関山和夫」(岩波新書)
※「醒睡笑」画像引用元:国立公文書館デジタルアーカイブ

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