里海と生きる
日本は四方を美しい海に囲まれた島国です。その海が1970年代、高度経済成長するなかで、工場や家庭から出る排水で汚され、死にかけたことがあります。その死の海を再生に向かわせたもののひとつが「里海」と呼ばれる考え方でした。先人たちの教えに基づく環境保持の取り組みは、今や「SATOUMI」と呼ばれ、世界の注目を集めるようになりました。
豊かさと引きかえに失った海
日本中の沿岸で進んだ海洋汚染、なかでもひどかったのは、瀬戸内海でした。関西と中国地方、四国に囲まれる日本最大のこの内海では、1970年代、1年のうちに300回近くも「赤潮」が発生したそうです。
海をまっ赤に染める「赤潮」の正体は、無数の植物性プランクトン。発生の原因は、プランクトンが好んで食べる窒素やリンなどが増えすぎたことです。その窒素やリンは、河川によって大量に流れ込む工場排水や生活排水によってもたされました。大小三千もの島々が浮かぶ美しい瀬戸内の海は、底にヘドロの堆積した悪臭漂う死の海に姿を変えたのです。
消えゆく海のゆりかご
汚染前の瀬戸内海は、沿岸部の海中に「アマモ」とよばれる海藻が森林のように生い茂っていました。アマモの森は、海のゆりかご。ゆらゆら漂う海藻のなかで、魚たちは卵を産み、かえった稚魚が成長し、豊かな漁場を形成していたのです。そのアマモの森が消えました。海水の汚濁で透明度が下がり、日の光が届かなくなり、光合成ができなくなって枯れていったそうです。
2014年3月23日、テレビで瀬戸内海の再生をテーマにしたドキュメンタリー番組が放映されました。NHKスペシャル「里海 SATOUMI 瀬戸内海」です。その取材内容に基づいて出版されたのが「里海資本論(井上恭介 NHK「里海」取材班)」。この本には、番組で取り上げた海洋汚染に立ち向かう備前市日生(ひなせ)の漁師たちの取り組みが描かれていました。
再生に立ち上がった漁師たち
漁師たちがまず取り組んだのは、アマモの再生です。岡山県の水産試験場(現・水産研究所)と力を合わせ、海にアマモの種まきを始めました。アマモは不思議な植物です。海に生える海草の仲間ですが、藻類ではなく種で増える種子植物。分類上はイネ科だそうで、実際にイネに似た細長い葉を持ち、お米のような黒い種を身に付けます。そのアマモの種を採取して、漁師たちは海にまいていきました。
もうひとつ、海の浄化に役立ったのは、カキ筏(いかだ)だそうです。カキはたった一個で、一日に風呂桶一杯分の海水を取り込み、海水に混じったプランクトンを食べるとか。カキ筏によって海水を浄化させつつ、アマモの種をまく。この粘り強い取り組みが功を奏して、海に流れ込む排水の規制のおかげもあり、少しずつ海の水はきれいになっていきました。1985年に12ヘクタールまで落ちこんだ日生のアマモの面積は、2011年には200ヘクタール、2014年には250ヘクタールまで回復。それにつれ赤潮が発生する回数も目に見えて減っていったそうです。美しい瀬戸内の海が、人々のたゆまぬ努力によって甦ったのです。
里海の未来
環境省の「里海ネット」というホームページに里海の定義が載っています。いわく「人手が加わることにより生物生産性と生物多様性が高くなった沿岸海域」のこと。古来、日本では人と自然は対峙するものではなく、共に生きるものと考えられてきました。それは「海を生かし、海に生かされる」という"もちつもたれつ"の関係。自然の循環の一部に人間が入り込み、適度に手を加えることによって環境を維持していこうという生き方。「里海」という共生の発想は、今や英語の「SATOUMI」となり、全世界に広まっているそうです。
ただ、一方で、問題も残っています。瀬戸内海の水はきれいになりましたが、なかなか漁獲量が戻ってこないのです。原因としては、海水温の上昇、魚の獲りすぎなども考えられますが、一部の研究者は皮肉にも「海がきれいになりすぎた」ことを原因として挙げています。栄養分の減少によりエサとなるプランクトンが減り、魚が減ってしまったというのです。「水清ければ魚棲まず」ということなのでしょうか。ひとたび狂ってしまった自然のバランスを取り戻すのは、そうたやすいことではなさそうです。
「自然の循環のなかに人が入り込む」。言うはやさしですが、実際にはなかなか難しいこと。私たちの先人は百年単位の時をかけ、試行錯誤を繰り返しながら、自然との最適な付き合い方を見つけてきたように思います。
自然は複雑で、神様の見えない手で織り込まれた織物のように、巧妙にできあがっています。それに対して人間の発想は単純で、目の前の物事に直接的に対処しがちです。全体を整えようとしても、あまりにも複雑で、どこにどう手を入れていいかが分からない。また、「覆水盆に返らず」のたとえのように、一度壊したら、二度と元に戻らない自然もあるかもしれません。
このようなことを胸に刻みつつ、21世紀の私たちは、かけがえのない自然と付き合っていかなければならないのだと思います。
※参考図書:「里海資本論/井上恭介 NHK「里海」取材班」(角川新書)
※参考資料:環境省「里海ネット」