集う幸せ
旧盆のある8月半ばは、お正月と並んで日本民族大移動の時期。故郷をめざす人々の帰省ラッシュは、夏の風物詩ともなっています。高速道路の渋滞や交通機関の混雑を避けたいなら、帰省の時期をずらせばすむことですが、なぜみんなそうしないのでしょう? それはきっと、人が集うお盆の時期なら、会いたい人に会えるから。集うことの楽しさが、故郷へ向かう引力になっているのかもしれません。
二つの意味をもつお盆
お盆は、あの世から家族のもとへ帰ってくる先祖の霊を迎え入れ、一緒に過ごす古くからの行事です。盆路(ぼんみち)を整え、迎え火を焚き、盆棚をしつらえ、仏壇を浄めて供え物をして とこう書くと、なんだか抹香くさい感じがするかもしれませんが、お盆の意味はそれだけにとどまりません。先祖の霊を迎える一方で、お盆は、生きている人が集う行事。目上の人に対して敬意をあらわし、みんなで集える幸せに感謝する日でもあったのです。
めでたいお盆
新しく迎える新仏(あらぼとけ:死後はじめての盆にまつられる死者の霊)もなく、一族のだれも欠けることなく迎えるお盆は、何よりもめでたいことでした。それは「吉事盆」と呼ばれ、「新仏のない家では盆も祝日」。「むしろそれが、盆としてのあるべき形でもあった(『日本年中行事辞典』鈴木棠三)」のです。
こんなお盆を長野県諏訪地方などでは「盆節句(ぼんせっく)」と呼び、「お静かな盆でございます」とか「結構なお盆でおめでとうございます」といったあいさつが交わされるのも、そうした理由からなのでしょう。
中でも両親が健在で迎えるお盆は、とりわけめでたいもの。「生盆(いきぼん、しょうぼん)」などといわれ、多くの地方で、両親を中心に一族が集まって祝いの宴が開かれたといいます。吉事盆や生盆という言葉を知らなくても、現代の私たちがやっているのは、これと同じこと。「人間のお盆」の伝統は、脈々と受け継がれているのです。
お盆と食
埼玉県川越地方では、嫁に行った娘がお盆に米または小麦粉を持って実家へ帰り、その米を炊いて両親にご馳走する風習があるそうです。そしてその翌日は、残った米や小麦粉を婚家へ持ち帰り、今度は舅と姑にも炊いてふるまうのだとか。また、山梨県富士吉田市などでは、他家に嫁いだ娘が、親元に盆礼に来るとき盆粉(ぼんこ)という小麦粉を持参し、親元ではこれでうどんを作ってご馳走するといいます。
いずれの場合も楽しい集いの媒体として「食」があり、こうした行事を通して地域の食文化が受け継がれていったことがうかがえます。
ボンガマ
お盆の集いは、家族や親戚の間に限ったことではありません。屋外に竈(かま)を築いて煮炊きをし、地域で共同の食事をする例も。盆竈(ぼんがま)・お夏飯・お盆飯・餓鬼飯・門飯・川原飯・精霊飯・辻飯といわれるものがそれで、北は青森から南は長崎・宮崎まで見られ、ことに伊豆地方では広い地域にわたって盛んに行われたといいます。
川原や路傍、寺の前、家の前など、毎年決まった場所に竈を築き、主に「女の子」が管理者となって煮炊きをしたとか。その様子を、さらに幼い人たちが真似たのが「ままごと」の起源ともいいますから、かなり古い時代から行われていたことなのでしょう。
仲間と集う
故郷での同窓会や同級会が開かれるのも、多くはこの時期です。幹事役を務める人は、「お盆は家族が集まるので同級会に出席するのはむずかしい」という地元組の声と「お盆かお正月でないと出席できない」という遠隔地に住む人との間で板ばさみになりながら、結局は、この時期に開催することが多いとか。集いの場を用意して、帰省してくる人たちを温かく迎えたいという思いからなのでしょう。
そして、そんな場で供されるのは、郷土の食材や料理。同じものを同じ場所で食べるという行為を通して、共に生きる友としての連帯感を確認し合っているのかもしれません。
「盆と正月が一緒に来たよう」とは、うれしいことや楽しいことが重なることのたとえですが、この二つに共通しているのは、「集い」の場があることです。
核家族化とともに共同体意識が失われたといわれる昨今ですが、お盆やお正月は「集う」喜びをとりもどす機会。故郷に帰る人も、都会に残る人も、そんなことを意識して夏休みを過ごしてみられてはいかがでしょう。
この夏、みなさんはどんな集いをもたれますか?
*参考図書:『日本年中行事辞典』鈴木棠三/角川小辞典16)」