しめ飾り
新しい年の手帳やカレンダーが店先に並び、来る年に思いを馳せる季節になりました。12月の別名「師走」の語源は、「ふだんは悠然と歩く師匠や僧侶でさえも走るほど忙しい月」とも。昔の人たちは、その年の清算と来る年の準備のために、走り回っていたのかもしれませんね。新年の準備に欠かせないもののひとつが、「しめ飾り」。お正月のしつらえとして当たり前のように飾っていますが、どういう意味を持つものなのでしょう。
一本のしめ縄から
「しめ飾り」の原形は、神社の社殿やご神木などに張られる「しめ縄」です。その起源は神話の時代にまでさかのぼり、天岩戸(あまのいわと)に隠れてしまった天照大神(あまてらすおおみかみ)がやっと姿を現したとき、二度と隠れることのないよう天岩戸に縄を張り巡らせたのがはじまりとか。神が宿る印ともされ、しめ縄で囲まれた中を神域とし、「聖なるもの」と「俗なるもの」を隔てる結界となり、その中に不浄なものが入らないようにする役目も果たしています。
このしめ縄が時代につれて変化し、一本の縄からいくつかの「かたち」が生まれて「しめ飾り」に。タマカザリ、ワカザリ、ゴボウジメ、ダイコンジメ、マエダレなどさまざまありますが、同じ名前でも地域によって微妙に異なるのは、それだけ土地柄を映したものだったのでしょう。
歳神(としがみ)様を迎える
各家庭でお正月にしめ飾りを飾るのも、神社がしめ縄を張り巡らせるのと同じ理由から。自分の家が、新しい年の神様(歳神様)をお迎えするのにふさわしい神聖な場所であることを示すためといわれます。しめ飾りを取りつけることで、その内側が清らかな場所となり、歳神様が安心して降りてきてくださるというわけです。また、天照大御神の神話になぞらえて、一度家の中に入った神様が外へ出ていかないようにするためだという説も。年の暮れに飾るしめ飾りには、その一年の感謝と新年への期待が込められているのです。
稲の力
しめ縄やしめ飾りの材料となるのは、刈り取った稲の茎を干した藁(わら)です。日本の美称「瑞穂(みずほ)の国」とは、みずみずしい稲穂が実る国のこと。古来、日本人は「稲」に対して特別な力を見出し、最大限の敬意をはらってきました。お正月にお餅を食べる習慣も、神の力が宿り魂の象徴とされる米を食べることで、生命力・霊力を得られるという考えから。稲の副産物である藁にもそれに似た力が宿る、と考えたとしても不思議はないでしょう。その年に収穫した新しい藁を使い、両手で藁をよりあわせて作るしめ飾りは、新しい年への思いを込めた、祈りに近い行為だったのかもしれません。
稲の恵み
稲からとれるものは、主食となる米だけではありません。その茎を干した藁、脱穀の段階で出る籾殻(もみがら)、精米の過程で出る糠(ぬか)などの副産物は、稲作が始まった古代から昭和30年代まで、日本人の生活になくてはならないものでした。
中でも、衣食住のさまざまな場面で使われてきたのが藁。雨風をしのぐ蓑(みの)や履物の藁草履(わらぞうり)をはじめ、藁半紙(わらばんし=藁の繊維を混ぜて漉いた半紙)に、鍋敷きに、畳の芯や土壁のつなぎに、藁葺(わらぶき)屋根に、農作物や樹木の霜よけや雪よけに、夏の畑の雑草防止に、家畜のえさに、肥料や燃料に、納豆の藁苞(わらづと)にと、そのフィールドの広さは驚くばかり。また、藁をよりあわせて作る縄は今で言うロープで、それを編んだ莚(むしろ)は敷物や目隠しに、袋状に合わせた俵はものの保管や運搬に使われました。
そして、古くなった藁製品は燃料として燃やし、その灰も肥料として土に戻す。藁は100%リサイクル可能なアイテムだったのです。
しめ飾りを伝える
「縄を綯う(なう)」──今では死語に近い言葉ですが、「数本の藁をよりあわせて一本の縄にすること」を言い、しめ縄やしめ飾り作りの基本となる作業です。そのためには、ある程度の長さの藁が必要ですが、コンバインで藁を粉砕しながら収穫することの多い現代の農業では、材料となる長い藁を手に入れることすら難しいのが現状。山梨県の富士河口湖町では、地域の神社に飾るしめ縄を作るため、わざわざ長い藁の採れる古代米を栽培しているグループがあるほどです。
100円ショップでもしめ飾りが手に入る時代に、そこまでして手作りのしめ飾りにこだわるのはなぜでしょう? 「ライスサイクル」に寄り添いながら稲をとことん使い尽くして生きてきた、農耕民族としてのDNAがそうさせるのか。あるいはまた、今年収穫した藁に向き合って一年の感謝をし、来る年への祈りを込めながら作る「時間」そのものに価値があるのかもしれません。最近、土地の古老たちが中心になってしめ飾り教室を開くところが増えているのも、そういった「しめ飾りの心」を伝えたいという思いからなのでしょう。
来る年に向けて、みなさんはどんなしめ飾りを選び、どんな思いを託されますか。