「共用」する? しない?
古い映画の中で、一緒に暮らしている男友だちに自分の歯ブラシを使われた女子大生が、「そういうとこが嫌いなの」と怒る場面がありました。歯ブラシを使われて不快感を抱くのは当然として、週末に料理をするご主人がキッチンの鍋を使って奥さんに嫌がられ、自分専用の鍋を持つことにしたという話も。これを「あたりまえ」と取るかどうかは、個人差がありそうですね。共用できるものと自分専用にしたいもの、その線引きはどの辺にあるのでしょう?
共用の場は、ふれあいの場
二人以上の人が共同で使うことを「共用」と言いますが、今のようにお金で何でも買えるわけではなかった時代、人々は多くのものを共用して暮らしていました。古いところでは、時代劇によく登場する洗い場。長屋のおかみさんたちが井戸端に集まって洗い物をするシーンは、長屋の住人たちで一つの井戸を共用していたことをあらわしています。ここでするおしゃべりが、いわゆる「井戸端会議」。共用の場は、同時に情報共有の場であり、人と人とのふれあいの場にもなっていたのです。
銭湯も、そのひとつ。各家庭でのお風呂(内風呂)が一般化したのは、昭和30年代後半から40年代のことで、それまで多くの人は銭湯に通って入浴するのが普通でした。こうした共用の場で、周りの大人たちに見守られたり叱られたりしながら、育っていった子どもたち。それは、母親が孤独を感じながら育てる現代の「孤育て」とは、まるで違う風景といえるでしょう。
遊んでいるものを活かす
自分が使わないときは遊んでいるものを活かす共用もあります。タクシー会社が撤退した京都府京丹後市で、昨年春から始まったのは、マイカーに人を乗せて運ぶライドシェア。アプリを開き、行き先を入力すると、依頼した人の近くで今すぐ運転できるドライバーの名前が表示され、マイカーで迎えにきてくれるというのです。運転手はプロのタクシードライバーではなく、地元のNPO法人のメンバー。日本の法律では、一般市民がマイカーで有料の配車サービスをすることは禁じられていますが、ここの場合はNPOが過疎地で住民に行うサービスという枠組みの中で認められているといいます。
眠っているものを活かす
着物の貸し借りを仲介するサイトもあります。着物を貸したい人が情報を登録し、気に入った人がレンタルを申し込み、所有者から借りる人へ直接送る仕組み。このとき、貸し手が借り手に手紙を添えることになっているのは、それを通して「世代を超えたつながりができれば」というサイト運営者の狙いからです。多くの場合、着物は持ち主の思い出が詰まったもの。そうした思いを書き添えることで、単なる「もの」の共用では終わらない何かが生まれるのかもしれません。
また、電動工具や高圧洗浄機といった、ふだんはあまり使わないものをみんなで共用するための仲介サイトも。こうしたことは以前なら、ご近所や知り合いの範囲でなされていたのでしょうが、インターネットを介して、より広い世界で活用されているようです。
共用しながら助け合う
オランダ発の新しい共用ワーキングスペースとして知られるのは、「Seats 2meet」です。サイトにプロフィールを登録すれば無料でスペースを使って仕事をできる代わりに、ほかの利用者から助言を求められたら、お互いの知識や経験、情報などを教え合うという仕組み。さまざまな職業経験や技能をもった人々が、共用スペースを活用しながら助け合う関係を強くし、同時に、個人がサービスの提供者になることで経済力も高められるといいます。
シェアハウスにも新しい動きが見られます。以前のシェアハウス利用者は、ほとんどが若い学生や独身者だったのですが、最近では夫婦や高齢者を受け入れるところも。東京都三鷹市のNPO法人が運営するシェアハウスは、高齢者同士が助け合って暮らすためのもので、プライバシーを尊重しつつ、入居者がお互いを穏やかに見守る環境づくりを目指しています。
キッチンを共用するメリット
一つの家を二つの世帯で共用する二世帯住宅の家づくりでは、これまで、「キッチンだけは別々に」というのが一般的でした。世代により食事時間や嗜好が違うことが多く、食材の費用分担をどうするかといった現実的な問題もあるからです。しかし、最近では共用キッチンを提案する建築家も。「キッチンを共用することは家事を助け合えること」であり、若い共働き世帯にとって、大きなメリットになるといいます。それはまた、食文化の継承、家庭の味の伝承という面でも、意味を持つことでしょう。
ただし、共用キッチンにしても、冷蔵庫だけは世帯ごとに専用を持つのが、うまく行くコツだとか。好みの違いや食材の費用分担の課題などを解消できますし、二つのキッチンを設けることを考えれば、はるかに省スペースだからです。
私たち日本人が自分専用の箸やご飯茶碗にこだわるように、何を共用できるかは、その国の文化や習慣などによっても違ってくるでしょう。また、バスタオルひとつ取っても、ひとりに1枚ずつという家庭と家族で共用する家庭があるように、共用と専用の境目をどこに置くかは、それぞれの人の生理的な皮膚感覚によるものかもしれません。
とはいえ、ものを「所有」することで豊かさを実感した時代はもう終わりました。これからは、いま持っているものをどこまで手放せるか。そして、共用することの中から、どんな楽しみを見つけ出せるか。そんなことが問われるのかもしれません。
みなさんは、暮らしの中でどんなものを共用していますか?