研究テーマ

桜守(さくらもり)

各地で開花宣言が聞かれ、日本列島が桜色に染まる季節になりました。春が来れば桜は自然に咲くもの、と私たちはあたりまえのように思い、お花見を楽しみます。しかし桜が元気で開花するのは、常に桜に愛情を注ぎ、花の季節以外にも桜の健康状態を見守り、手当てをしている人たちの存在があってこそ。今回は、「桜守(さくらもり)」と呼ばれるそんな人たちにスポットをあててみましょう。

「桜守」とは

「桜守」とは、文字通り、桜を守り育てる人。時代劇にはよく「若殿の守り役」といった人が出てきますが、桜にもそんな役回りの人がいるんですね。
というのも、桜は他の植物に比べて復元力の弱いデリケートな樹木。一度傷がつくとその傷がなかなかふさがらず、「小さいときにちょっと傷がつくと、幹が太るのと同じように、その傷も大きくなる」のだとか。
逆に梅は切ったところから新芽が出て花をつけるといいますから、「桜切るバカ、梅切らぬバカ」という言い伝えも、そんなところから来ているのでしょう。でも、そんな特性を知ったうえで手をかければ、いい花を咲かせ長生きするのが桜。だからこそ、桜守という人たちが出てくるのかもしれません。

人の手になる桜

桜に「守り」が必要なのは、最近の桜の傾向とも関係があるといいます。万葉の時代から、桜の代表といえばヤマザクラでしたが、現在、日本の桜の90%以上はソメイヨシノ。この桜は、もともと自生していたものではなく、江戸時代に染井村(現在の豊島区駒込)で生まれた園芸品種です。つまり、実生で育つヤマザクラなどと異なり、人によって植えられ、育てられている桜。生長が早く豪華な花をつけるところから日本中に植えられていきましたが、生長が早い分だけ寿命も短く、60年とも50年とも。人間がつくって人間が植えたものなので、最後まで人間がかかわらないと永らえることができないともいわれます。

桜が生きにくい時代

それだけではなく、酸性雨や排気ガス、都市部のヒ-トアイランド現象など、桜が生きるための環境はどんどん悪化しています。特に都市部の桜が衰弱する原因として挙げられるのは、土壌環境の悪化。街路樹の根元の周囲の地表がアスファルトやコンクリートでおおわれていると、のびのびと根を伸ばすことはできません。公園のような緑地であっても、踏み固められた地表は水分不足、酸素不足になりがち。さらに地球温暖化による環境異変が桜に与える影響もあるでしょう。こうしてみると、桜が生きにくい環境とは即ち、人間が生きにくい環境ともいえそうですね。

桜の一年は、花が散ってから

花の便りが届けばこころ浮き立ち、お花見をし、花が散れば「今年の桜も終わり」と思うのが、私たち一般人の感覚です。でも、「花が咲くのは、桜の一年間の最後の仕事」であり、「花を散らして初めて芽が出て一年間の営みが始まる」のだとか。当然、桜守の仕事も、花が咲いて終わりではありません。
葉の出る時期や茂り方、枝の伸び方、紅葉した葉の赤みや落葉の時期など、一年を通じて「桜をみる」という地道な仕事を積み重ね、必要に応じて手をかけていくのです。同じように、樹齢何百年といわれるヤマザクラなどの古木も、桜に寄り添う桜守の努力で支えられています。

桜を守った人々

大阪造幣局の桜並木をつくったことで知られ、水上勉の小説『櫻守』のモデルにもなった笹部新太郎さん。京都の桜栽培の第一人者で、京都を名実ともに日本一の桜名所にした十四代目・佐野藤右衛門(とうえもん)さんと、その志を引き継いだ十五代目、十六代目。国鉄(当時)バスの車掌をしながら「太平洋と日本海を桜の道で結ぶこと」を目指し、休日を利用してバス路線260キロの区間に自ら苗木を植えた佐藤良二さん。桜守として名の知れたこれらの人をはじめ、全国各地にはたくさんの桜守がいて、その地域の桜を守っています。この時期、桜列島とも形容される日本の美しい風景は、こうした人たちの見えない尽力によって生み出され、保たれているのです。

市民ボランティアの桜守

地元の桜を守ろうと、地域の人たちが市民ボランティアとして立ち上がり桜守の活動をしているところもあります。その一つが、東京都国立市の「くにたち桜守」。国立駅から南に2kmほど伸びる大学通りの桜並木を守る活動は、市民の一人、大谷和彦さんが桜の異変に気づいたことから始まりました。
傷ついた桜の現状を知ってもらうために、毎年開催されている「さくらフェスティバル」で桜に関するテーマを企画。三年目には桜のポストカードを作り、その売り上げによる利益で念願の樹勢回復へ向けた作業に着手することになったのです。四年目、五年目には作業に参加する人たちが100人を超えるまでに。その姿が行政に届いて、2000年の春、日本ではじめての市民と行政の協働組織「くにたち桜守」が発足しました。そして、国立市の花見時期のゴミの排出量は、10年前と比べて十分の一に。この活動をきっかけに、住民のひとりひとりが、広い意味での「桜守」になっていったのかもしれません。

あたりまえの話ですが、桜も自然の一部です。逆に言えば、バランスのとれた自然があってこその桜。そう考えると、私たちひとりひとりが、それぞれの立場で、広い意味での桜守になれそうな気もします。お花見でビニールシートのようなものを敷くと「人間は濡れへんさけいいけど、桜にしたら息ができないんですわ」という十六代目・佐野藤右衛門さんの言葉は、私たちに何を示唆しているのでしょう?

参考図書:
『日本一の桜』丸谷馨(講談社現代新書)
『桜のいのち庭のこころ』佐野藤右衛門/聞き書き:塩野米松(ちくま文庫)*1
『桜』勝木俊雄(岩波新書)

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