研究テーマ

ベンチ

1980年代にヒットした五輪真弓さんの名曲『恋人よ』では、終わってしまった恋を象徴するものとして、「雨に壊れたベンチ」が描かれていました。恋人や友だち、家族といった間柄はもちろん、たとえ初対面でも、並んで座るだけで人と人の距離を縮めてくれるのがベンチ。同時にまた、ひとりで考えごとをしたり、景色や道行く人をながめたり、本を読んだり、ときには居眠りしたり…どこであろうと、ベンチに腰かけると、そこが自分だけの世界にもなる。ベンチは不思議な装置といえるでしょう。今回は、そんなベンチについてのお話です。

過去と現在をつなぐベンチ

イギリスでは、公園や住宅街のちょっとした空き地など、あちこちにベンチが置かれています。それらの多くは、亡くなった人の思い出の場所に遺族が寄付した、メモリアル・ベンチと呼ばれるもの。散歩の途中にいつもそこで一休みしていた、そこからの眺めが気に入っていたなど、その場所を愛していた故人をしのぶ忘れ形見として、遺された人々が寄付したベンチなのだそうです。ベンチにはめ込まれたプレートには、名前、生年月日、没年月日のほか、誰(故人)の思い出のために誰(家族など)が設置したのかが刻まれていて、故人の口癖や好きだった言葉などが刻まれていることもあるとか。
そこに行き、ベンチに座って故人の好きだった景色を眺めたり、故人に語りかけたりすることで、心の中にその人が生き続け、大切な人を失った悲しみも少しずつ癒やされていくのかもしれません。そして、そのベンチがまた、見知らぬ人と人の物語を紡いでいくとしたら…ちょっと素敵な習慣ですね。

思い出を語るベンチ

個人の「想い」をかたちにする寄付ベンチは、日本にもあります。そのひとつが、東京都建設局が募集する「思い出ベンチ」。結婚や出産、卒業、退職など、心に残る人生の節目を記念してベンチを寄付してもらい、公園・霊園・動物園などの施設を充実させ、多くの人に支えられた親しみやすい施設をつくろうという取り組みです。ベンチには、寄付者の名前とメッセージを刻んだ記念プレートが取り付けられ、寄付した人の思い出を目に見えるかたちで保存。平成15年度から始まったこの事業では、これまで都立公園・霊園・動物園あわせて900基以上の寄付があり、多くの都民に好評を得ているそうです。

土地と人をつなぐベンチ

寄付ベンチの動きは東京都以外にもあり、名古屋の「なごやかベンチ」、世田谷区の「かたらいのいす」など、名前もそれぞれ。東京大田区の「メッセージベンチ」は、記念プレートの制作に「大田区ものづくり優秀技能者(大田の工匠100人)」を受賞した職人が協力し、その技術を通して「ものづくりの街」を感じてもらうことを目的としています。また、神奈川県伊勢原市の「みんなのベンチ」は、伊勢原市森林組合の協力の下で制作した伊勢原市オリジナル。材料には伊勢原産の木材が使用され、ひとつひとつ手づくりされています。
多くのベンチの金額は10万円から20万円といったところですが、広島市の「市民ふれあいベンチ」は1口1万円からで、40口でベンチ1基分。誰でも払いやすい金額にして間口を広げ、みんなの参加で街を盛り立てようというものです。

命をつなぐベンチ

ちょっと珍しいベンチもあります。レンガ囲いの土台の上に座板を乗せたそれは、ベンチとかまど、ふたつの機能をもつ「かまどベンチ」。ふだんはベンチとして使いますが、災害時には座板を外すと2口のかまどになり、炊き出し用の「かまど」に変身するというものです。停電になっても薪で煮炊きができるだけでなく、寒い季節なら暖を取ることもできて、まさに命をつなぐベンチ。今では防災用品のひとつとしてネットショップでも購入できますが、このベンチは地域で交流しながら「手づくり」することに意味があるといいます。

人と人をつなぐベンチ

このかまどベンチを高校生として初めてつくったのは、滋賀県の彦根工業高校です。防災授業の一環としてベンチづくりに取り組んだのをきっかけに、近隣小学校の子どもたちや保護者、地域の人にも呼びかけ、協力してかまどベンチを完成。世代や環境の異なる人たちが一緒に行うベンチづくりと防災訓練を兼ねた炊き出しでは、若い世代がお年寄りから経験や知恵を学ぶという副産物もあり、人と人との絆づくりにつながりました。滋賀県のホームページに書かれた「かまどベンチづくりは、ものづくりであって、まさに人づくりであって、それがまちづくりにつながる」という言葉は、体験を通しての実感なのでしょう。

1956年11月1日の朝日新聞に掲載された「サザエさん」の漫画には、公園のベンチが登場します。そこに描かれているのは、ベンチを占拠して寝ころび、高イビキをかきながら爆睡する中年男性の姿。ふと周りを見回すと、今ではこんなふうに体を横たえられるベンチは少なくなっていることに気づきます。座面を金属の仕切りで分断されたベンチの方が、圧倒的に多いのです。「90年代に入ってバブルが崩壊してから、都会の公園にねぐらを定める人が増え、それに比例するように分断のベンチも増えていった」(朝日新聞「サザエさんをさがして」/2017年5月20日)のだとか。「不寛容の時代」がベンチのかたちにもあらわれているとしたら、寂しい気がしないでもありません。
みなさんは、ベンチにどんな思い出をお持ちですか?

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