養生のススメ
本屋さんで、テレビやネットで、健康関連の情報が氾濫し、健康ブームともいえそうな昨今。「健康」とは、「身体に悪いところがなく心身がすこやかなこと(『広辞苑』)」とありますが、「病気にかかっていないから健康」と言い切れるほど単純なことでもなさそうです。多くの人が、健康を気にしながら健康に不安を抱えている現代社会。今回は、昔からいわれてきた「養生」をキーワードに、健康について考えてみましょう。
養生とは
「養生」というと、病気になったときや病後の手当てといったイメージがあり、若くて健康な人には関係ないことと思われがちです。しかし辞書をひもといてみると、「養生」とは文字通り「生命(いのち)を正しく養う」こと(『大漢語林』)。「日本漢方養生学協会」のホームページでは、養生を「真の健康へ向かって生命力を養い高めていく、すなわちより一層のパワーアップをしていくこと」と定義し、真の健康とは「単に病気でないというだけではなく、心身ともにいきいきと快適に生きている状態」と説明しています。
江戸時代も健康ブーム?
健康への関心は現代人に限ったことではないらしく、江戸時代にも養生を勧める書物がいくつかあります。なかでも有名なのは、福岡藩の儒学者、貝原益軒が記した『養生訓』(1713年)。益軒83歳のときの著作で、実体験に基づいて健康法を解説した生活心得書として、人々に広く愛読されました。この本の特徴は、身体の養生だけでなく、精神の養生も説いていること。環境の変化に注意をはらい、欲望に流されず、腹八分目に食べて適度な運動をしながらライフワークや趣味を楽しむ──現代の健康指導に、そのまま通じる内容といえそうです。
心は静、身体は動
「病は気から」といわれるように、心と身体は切っても切れない関係です。その関連性について、益軒は「心は身体の主人だから、安らかにして苦しめてはいけない」と説いています。そして、「身体は心のしもべだから、大いに労働させるべきである」とも。「身体を動かして労働すれば飲食したものは停滞せず、血行もよくなり病気とは無縁になる」というわけです。
また、「適度な運動を行うことは、すなわち働くことも意味し、勤勉に働くこと自体、健康法である」という一節も。「身体を動かすこと=働くこと」という時代には、人は今よりもっと健やかでいられたのかもしれませんね。
「ながら運動」で養生
身体を使う実感の少ない仕事が増えている現代。わざわざ運動しなければ養生できない人も多いことでしょう。
そこで注目されているのが、『養生訓』にヒントを得て考案されたという「ながら運動」。たとえば、布団から起き上がる前には、手足を上げてブラブラさせ、むくみの予防。部屋の中で歩くときは、爪先立ちの「エレガンスウォーク」で、ふくらはぎを鍛える。洗濯物を干すときには、「洗濯バンザイ」のポーズで頭の上で広げて肩凝りの予防、などなど。家庭でいつでもできる運動を続けることで、日常的に身体を動かし、養生につなげようというものです。
何事も、ほどほどに
『養生訓』の大きな特徴は、「中庸(過不足がなく調和がとれていること)」をよしとしているところ。身体にいいからといって、無理をするほど動き回ったり、何かひとつのものばかり食べたりするのは、かえって良くないといいます。食べ過ぎず、働き過ぎず、遊び過ぎず、休み過ぎず、眠り過ぎず、悩み過ぎず、毎日身体を動かして働く。生活習慣病の原因の多くが過食といわれ、働き過ぎで心を病んだり過労死したりする人も多い現代社会。中庸の精神は、江戸時代以上に求められているといえそうです。
食養生
「万薬といえ食事にしかず」──『養生訓』では薬の服用は最小限にとどめ、まず食事で栄養を摂ることを勧めています。適度に働き、適度に休み、適度に身体を動かすことが理想とわかってはいても、人はそれぞれ事情を抱えていて、なかなか思い通りにはいきません。でも、どんなに多忙な人にも実行できるのが食養生。自分の口に入れる食べものは、自分でコントロールできるからです。
といっても、サプリメントの勧めのように「これさえ食べれば○○に効く」といった類の話ではなく、食材の個性を理解し、旬のものをバランスよく食べるという、至ってシンプルなこと。野菜や魚介類の旬がはっきりしていて、食べもの自体に生命力があふれていた時代、食べることは薬以上の養生になったのかもしれません。
みなさんは、どんな養生をなさっていますか?
※参考図書:『図解雑学 養生訓』(帯津良一編著/ナツメ社)