適材適所?
(今週のコラムは、過去にお届けしたコラムをコラムアーカイブとして、再紹介します。)
スポーツチームのポジション決めから、企業の人事、大臣のポストまで、さまざまな場面で言われる「適材適所」。「人を、その才能に適した地位・任務につけること(『広辞苑』)」という解説の通り、適材の「材」は人材の意味で使われることが多いようです。しかし、そもそもの語源は、伝統的な日本家屋や寺社などの建築現場で、造るものに合わせて「木材」を使い分けること。飛鳥時代に建てられた法隆寺が、千三百年たった今でも健在なのは、随所に適材適所の工夫がなされているからだといわれます。今回は、適材適所のいろいろについて考えてみましょう。
木のクセを生かす
樹齢千年の木は、材にしても千年もつと言われます。とはいえ、すべてがそうなるわけではなくて、「木のクセや性質をいかして、それを組み合わせて初めて長生きする」のだとか。法隆寺や薬師寺の復元を果たし、最後の宮大工棟梁と呼ばれた西岡常一さんによれば、法隆寺の堂塔では「左に捩れ(よじれ)ようとする木と、右に捩れようとする木を組み合わせ、部材同士の力でクセを封じて建物全体のゆがみを防いで」いるといいます。なんだか、理想的な社会の縮図のようにも見えますね。
そもそも「木のクセ」とは、動けない木が自然の中で生きのびていくためにまわりの状況に自分を合わせていった結果の姿。「木のクセは木の心」ととらえ、もっとも適した場を与えることで、その命が最大限に生かされていくのでしょう。
不揃いいだから、美しい
法隆寺や薬師寺の建物の各部材は、「千個もある斗(ます:柱の上に設けた受け木)にしても、並んだ柱にしても同じものは一本も」ないそうです。でも「不揃いながら調和が取れて」いて、「すべてを規格品で、みんな同じものが並んでもこの美しさはできません」と西岡さん。多様性から生まれる美しさを、飛鳥時代の人たちはすでに知っていたのでしょうか。
脚本家・山田太一さんの代表作のひとつに、1983年から1997年にかけて放送された「ふぞろいの林檎たち」というテレビドラマがありました。学歴主義の価値観が恋愛や進路に暗い影を落としていた時代を背景に、規格から外れた登場人物(ふぞろいの林檎)たちが懸命に生きる姿を描いたもの。このドラマが共感を呼んだのは、均質なものを求められる息苦しい社会のなかで、「不揃い」は自然な姿だということを多くの人が心の底で感じていたからかもしれません。
横一列でない価値観
適材適所の考え方は、大量生産・効率・均質化とまったく逆の「子育て」にも通じます。
授業中はおとなしいけど体育の時間になると俄然張り切る子、文化祭で目立つ子、人を笑わせるのが上手な子、目立たないけどやさしい子
かつての学校にはいろいろな子がいて、凸凹があってもよしとする空気がありました。しかし今の学校では、計算でも漢字でも縄跳びでも、なんでも「人並み」を求められがち。もちろん、何かを目指して努力することは尊いのですが、得意・不得意に関係なくすべてのことに「他人と同じ」均質を求められては、なんだか辛いものがありそうです。学校に行けない、行きたくない子どもが増えているのは、すべての子どもを一律に扱い同じ結果を出そうとする学校社会の息苦しさが一因かもしれません。
得意も不得意も、あっていい。自分の「得意」を生かせる場所を子どもが探し当てるまで、じっくり待つというおおらかさも必要ではないでしょうか。子どもの「適材適所」を見極めるためには、まずは大人が「常識的な物差し」を手放すことが必要なのかもしれませんね。
家庭料理の適材適所
「適材適所」は、日々の食生活のなかにもあります。それは、旬の素材を旬の時期に工夫していただくこと。旬の食材は生命力にあふれ、その時期の人の身体に必要なものを含んでいるからです。春先の山菜が冬の間にたまった体内の毒素を出してくれたり、夏に旬を迎えるウリ類が身体を適度にクールダウンしてくれたりすることはよく知られています。
さらに言えば、たとえば一本の大根の中でも部位によって適材適所があるのだとか。大根の根の上1/3は、大根自身が寒さから身を護るために糖度を上げて甘くなっている部分。水分量が多く繊維のきめが細かく、加熱しても煮くずれしにくいので、ふろふき大根や大根ステーキなどに使うと味わいが引き立ちます。まん中1/3は、適度なみずみずしさがあり、甘みと辛みのバランスがよい部分。上1/3に比べると繊維は目立ちますが、縦切りにするか輪切りにするかで食感や味わいを変化させることができます。そして下1/3は、成長途中のため水分が多く、虫から身を護るために辛みが強く、皮も厚い部分。皮つきのまま乱切りにして断面積を大きくし、天日干しして水分を飛ばすと、アクや辛みが飛んで味わいが増すといいます。こうした適材適所を知っておけば、野菜の生命をまるごとおいしくいただくことができるでしょう。
素材のクセを見抜き適切に使う「適材適所」は、使われたものの命を生かすだけでなく、できたものは美しく、丈夫で長持ちします。しかし、そうしたクセを生かす工夫より、大量生産のために処理しやすい均一さを追い求めてきたのが現代社会。効率化のための「工夫」を、「適材適所」と思い込んできたのかもしれません。そしてそんな考え方が、教育の現場を含めて、私たちの価値観にまで影響を与えているとしたら この辺で少し立ち止まって、本当の適材適所の意味を考え直してみてもいいのかもしれませんね。
※参考図書:
『木に学べ 法隆寺・薬師寺の美』薬師寺宮大工棟梁 西岡常一(小学館文庫)
『木のいのち 木のこころ』西岡常一、小川三夫、塩野米松(新潮文庫)