研究テーマ

おんぶ、してますか?

かつて山口百恵さんが歌って大ヒットした『いい日旅立ち』という歌の中に、「母の背中で聞いた歌を道連れに」「夕焼けをさがしに」旅に出るというくだりがありました。おんぶされたときの背中の温もりや肩越しに見聞きしたことは、人の記憶の深いところに刻み込まれているようです。でも、「抱っこ」が全盛の昨今、「おんぶ」で子育てしている人の姿を見かけることは滅多にありません。そんな中、熊本県天草地方で受け継がれてきた、「もっこ」と呼ばれるおんぶ紐が人気を集めているとか。もっこと出合い、おんぶ育児の良さを再発見して普及活動をしている田代佳織さんにお話を聞きました。

必要から生まれた、もっこ

もっこは、大きな四角い布で赤ちゃんをくるんで担ぎ、布についた紐を赤ちゃんのお尻の下で交差させて前か後ろで結んで固定するというもの。高い位置でおんぶできるので、漁業が盛んな天草・牛深町では、港での魚の仕分けや磯での海藻採りなどは、もっこで子どもを背負って作業していたといいます。
「もっこ」とはカゴのことで、〈持ちカゴ→持ちこ→もっこ〉と変化したとか。かつて農村では、赤ちゃんを入れたカゴをあぜ道に置いて野良仕事をしたものでした。一方、潮の満ち引きがある海の仕事ではカゴのまま置いておけないので体に縛り付けたところから、おんぶをもっこと呼ぶようになったと解説する人も。いずれにせよ、もっこが高い位置でおんぶするようにできているのは、漁村の暮らしが生んだ必然だったのでしょう。

子育てを楽しいものに

赤ちゃんの脇の下と背負う人の肩の上端部に支点があり、その二点が近い距離になるので密着感があり、ずり落ちにくくなります。

田代さんは、第一子を出産した後に立ち上げた子育てサークルで、天草出身の友人からもっこを教わり、鮮やかにおんぶする姿に見とれました。使ってみると、赤ちゃんと頬が触れ合うほど高く背負うため密着度が高く、腰の負担も和らいだといいます。そして実感したのは、「まだ言葉を発しない赤ちゃんと同じ方向を見てコミュニケーションが取れる」ことでした。「これはきゅうりだよ、今から切るね」「お洗濯干してるよ~」などと話しかけながら一緒に家事をしているような感覚。第一子の子育て中は孤独を感じていたという田代さんですが、「もっこでおんぶして赤ちゃんとコミュニケーションを取れるようになると、育児がとても楽しくなった」と言います。おんぶしたまま、赤ちゃんが寝たのが息づかいでわかることにも感動。おんぶができたら育児ストレスがもっと減るのではないかという想いから、2014年、普及活動を行う「おんぶもっこプロジェクト」を発足。型紙を譲り受け、育児サークルのメンバーで手づくりして使ううちに、評判が広まっていきました。
(現在は、SGマークの基準の検査を受け、製品化しています)

おんぶの効用

人間は五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)で外部からの情報を受け止めますが、そのうち8割は視覚を通して得ているとか。それだけに、赤ちゃんの発育には視界の確保が大事とされます。「対面抱っこの場合は赤ちゃんの視界のほとんどを大人の胸でさえぎるので、赤ちゃんが視覚を通して情報を得る機会を奪ってしまう。おんぶの場合、赤ちゃんは大人の肩越しに周囲を見渡せるので視野が広がり、脳によい刺激を与えることができる」と言う専門家も。普段の赤ちゃんの視界では見えない景色を見られるおんぶは、赤ちゃんにとって新鮮で楽しい時間であり、その結果、知的好奇心が育まれるというわけです。 視界が広がるだけでなく、お母さんやお父さんと同じ世界を見ることは、親子のコミュニケーションにもつながっていくでしょう。

時代に合わせて進化

金具やバックルなどがなく、布に紐が付いただけのシンプルなもっこは、サイズ調整もいらず男女で兼用できます。その基本を生かしつつ、田代さんたちは「おんぶ=古臭い、育児に疲れた感じ」といったマイナスイメージを払拭するため、現代のお母さん目線でデザインや機能性を見直して改良。使いやすく持ち運びやすいよう薄手の布を使い、胸を締め付けないよう前でクロスしない形にしました。
シンプルなだけに、工夫次第でいろいろな使い方ができるのも、もっこの魅力。おんぶ紐としてはもちろん、抱っこ紐に、ブランケットに、授乳ケープに、おむつ替えシートに、子どもが眠ったらふとんに、椅子に巻きつけたりママと一緒に結んだりしてチェアベルトにと、自由な発想で使われています。
多彩な使い方と両手が空く身軽さは、災害時にも役に立ちました。2016年の熊本地震では、地震発生約1週間後、約400枚のもっこを被災したお母さんたちに無料で貸し出し。「避難生活に役立った」との声が相次ぎ、「ママと常に密着するため、子供たちの地震の精神的ダメージも緩和される効果もあった」といいます。

おんぶで伝えたいこと

田代さんたちは、もっこの使い方を伝えるアンバサダーも養成しています。これまで鹿児島・熊本・福岡・広島・高知・香川・大阪・三重・石川・東京・宮城・福島で講座を開催。「おんぶに限らず、子育てのさまざまな知恵や工夫が伝わる場になればうれしい」と言う田代さんがその場で伝えたいのは、「何はなくても子育てできる母になろう」「子どもを見る力を高めよう」ということ。情報のあふれる時代、情報に振り回されず子どもをしっかり見て選択していくことが主体的な子育てにつながると思うからです。そんな想いを受け止めて育ったアンバサダーの数は、300名に達するまでに。中国やハワイ、アメリカ、ニュージーランドにもいるそうです。

最近では、少しずつ「おんぶの効用」が語られるようになってきました。赤ちゃんの発育への好影響だけでなく、母親の立場からも「赤ちゃんの方を向いているか一緒に未来を見つめているかで、育児のとらえ方が変わってきます」と田代さん。みなさんは、おんぶ育児についてどう思われますか?

※「おんぶもっこプロジェクト」は、2017年からは株式会社化しておんぶ育児の普及に力を注いでいます。
[関連サイト]gran mocco

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