よみがえるまちの魅力
どんな土地にも歴史があり、その歴史はさまざまな形でその土地に息づいています。名所や旧跡、記念碑などはもちろんですが、そこに住み続けてきた名もなき人々の暮らしの蓄積が、見えない魅力となって現れていることもあります。今回は、まちの歴史や文化を大切にするとはどういうことかを、湯河原温泉のまちづくりを例にとって考えてみました。
湯河原の盛衰
神奈川県の湯河原町は、古くから温泉場として栄えてきました。その歴史はとても古く、万葉集に唯一ある温泉の句は湯河原を詠んだものとされています。江戸時代にも湯治場として人気を博した湯河原ですが、最も栄えたのは明治から大正、昭和の初期にかけてで、東京から近いこともあって有名老舗旅館が次々と建ち並び、夏目漱石や芥川龍之介をはじめ、名だたる文人、墨客、政治家などが逗留に訪れました。
また、戦後の高度経済成長期には、日本中が観光ブームに沸き、湯河原も例にもれず大型バスで乗りつける団体客で賑わいました。源泉の豊富に湧き出る湯河原は、日本でも有数の温泉地として栄えてきたのです。ところがです。昭和が終わってバブル経済が弾けたころから、雲行きが怪しくなってきました。旅行の主流が団体から個人へと移り、社員旅行や宴会を目当てに来る泊まり客が減ってきたのです。良質な温泉が出ることから依然として温泉場としての人気はありますが、訪れる人の減少にともなって廃業する宿も現れ、湯河原のまちは徐々に活気を失っていきました。
心に眠る資源の発掘
湯河原温泉が新たなまちづくりへの第一歩を踏み出したのは、平成24年のこと。まちづくりプランナーの中西佳代子さんを講演に招き、それをきっかけに地域再生に向けた取り組みが始まりました。中西さんは草津温泉の景観まちづくりで実績を上げた人で、草津は平成15年から「日本の温泉100選」で1位をキープし続けています。
中西さんが湯河原で始めたのは、川沿いにある湯元通りという小さな地区で、住民との勉強会を開くことでした。平成26年度から「街なみ環境整備事業」がスタートしますが、はじめの1年は、住民のみなさんの話を聞きながら、図書館や史料館を訪ねて古い絵図や写真などを集め、それをみんなで共有するということを繰り返したそうです。「どこの街でもそうですが、住んでらっしゃる方は『ここには何もないよ』とおっしゃるんですね。でも、こちらで調べてきたものをお見せすると、みなさん驚きの連続で、あ、これおじいちゃんから聞いたとか、そういえば小さい頃にそんな話を耳にしたなど、いろんな話が出てくるんです」。
地元の人と話しあって、その場所がどんな意味を持つのかを考えることが、まちづくりにとって大切だと中西さんはいいます。自分の親や祖父母、先祖の人たちが頑張って生きてきて、いまその街とともに自分があるのだと気づくこと。自分にとってここが大切な場所だったんだと再認識すること。「みなさんの中に眠っている資源を発掘していく作業」、そこからまちづくりが始まるのです。
よみがえる愛着
勉強会の成果をもとに、湯元通り地区では住民で協議をして景観に関する「街なみ協定」を作成しました。昔の絵図や写真をもとに、どんな屋根や外壁、建具などがこの街にふさわしいかを決めていったのです。家を新改築する際にはこの協定を参考にして、街の景観を整えていこうという取り組みです。
また、路面を石畳に変え、街路灯を建てていく「回遊空間整備」も行いました。通常はどこの街も道路は自治体が整備するのですが、この地区では、そもそも道を石畳にするのにはどんな意味があるのかということから住民で話しあい、舗装材は人工素材がいいのか天然石がいいのか、街路灯や案内板はどんなデザインがいいかなどを決めて行政に提案し、整備を進めていったのです。その結果、たとえば石畳が汚れたら「どうやって汚れを落とせばいいの?」と、住民から問い合わせが来るようになったとか。自分たちで創った街だから、自分たちの手できれいに保たなければ、そんな街を大切にする想いが育まれてきたのです。
湯元通りという小さな地区から始まった湯河原のまちづくりは、平成28年度からエリアを拡大し、官民が連携した温泉場全体の再生計画へと発展しています。今年3月には廃業していたランドマーク的な老舗旅館の「富士屋旅館」が「かながわ観光活性化ファンド」により復活。「町立湯河原美術館」には地元で活躍する事業者が運営するおしゃれなカフェもオープンし、ライブコンサートや地元アーティストの展覧会が開かれたり、さらに温泉場の観光の要である「万葉公園」の再生事業も検討されるなど、街は活気を取り戻しつつあります。
最後に中西さんが素敵な言葉を紹介してくれました。「新しいものは、古いものの上にしか創られない」。
歴史や文化は長い歳月をかけて人々が営々と築き上げてきたもの。古いものは一瞬で壊せますが、一度失われた歴史や文化を取り戻すのは本当に大変です。新しいものを創るとき、古いものの中に受け継がれてきものの価値を丁寧に発掘し、再発見する作業が大切だという話は、まちづくりに限らず、私たちの身のまわりのすべてに共通して当てはまることのような気がしました。