研究テーマ

心地よい「場」をつくる

1月の古い呼び名「睦月」は、人と人がむつみ合う(互いに仲良くする)月というところから付いた名前だといいます。お正月の帰省ラッシュなどは、懐かしい人や親しい人とむつみ合うために故郷に向かう人の大移動ともいえるでしょう。年に一度の帰省はさておき、日常的に人と人がゆるやかにつながれる場があれば、もっと安心して暮らせるのではないだろうか? そんな思いから生まれた小さなスペースがあると聞いて、熊本を訪ねました。

住宅街の倉庫から

その場所は、熊本市内の住宅街の一角にありました。田代健太郎さんが経営する会社の倉庫のひとつをリノベーションして生まれたスペース、「D_warehouse」。庭先には大きなオリーブの樹が2本生えていて、根元近くに置かれた黒板に手書きで折々の企画が案内されています。
建物は、空の器を思わせるすっきりした空間。ここで生まれる出会い、つながり、学びなど、多様な可能性を受け容れてくれそうです。入り口近くには、詩人・翻訳家の矢川澄子さんから受け継いだというソファがさりげなく置かれ、傍のイグサのオブジェと相まって、清々しい中にもどこか懐かしい空気を醸し出しています。

つながるために

津田晴美さん(左)と田代健太郎さん(右)

設計とプロデュースは、長年東京を拠点に活動してきたインテリアスタイリストの津田晴美さん。2013年に故郷である熊本へ帰ってきましたが、地方都市でも隣近所の顔を知らない、付き合いもないという人が多く、人と人のつながりが希薄なことを実感したといいます。
津田さんと田代さんが出会ったのは2016年、熊本地震の後。田代さんは、当コラムでもご紹介した「おんぶもっこプロジェクト」で、被災した人々におんぶ紐を無料で貸し出す活動をしていました。同じころ、震災後の子どもたちに楽しいことを届けたいと来熊した人たちに出会い、そのご縁で紹介されたのが津田さん。つながりの大切さを感じていたふたりは、「場」をつくるために動き出し、2019年5月にD_warehouseが誕生したのです。

あそこに行けば…

津田さんの講座の様子

発信の土台は「くらし」。近所の人が気軽に立ち寄れ、年齢の垣根なく集えて、おじいちゃん、おばあちゃんからいろいろなことを自然に教えてもらえる場。「あそこに行けば、ホッとできる」「あそこに行けば、誰かと話ができる」「あそこに行けば、何かある」「あそこに行けば、コーヒーをおいしく淹れられる人がいる」──そんな空間にしたいから、津田さんと田代さんは「場を提供するだけ」。「まずは、自分たちがハッピーになること。次にご近所へ、その次に旅人へと広がっていけばいい」と、おおらかに構えています。

くらし方は、生き方

オープンして約8カ月。絵本の読み聞かせ、夏至の夜のキャンドルナイトと映画会、空中ヨガ教室、庭先のオリーブの実を収穫するオリーブ祭り、グラノーラ作りなどさまざまなことが行なわれ、つながりも少しずつ広がっていきました。そして津田さんを講師に始まったのが、家事をすることで癒される、生活をすることで健康になる実践講座。「リビングという空間を清める」、「もっと楽に洗う7つの法則」、「シャツのアイロンがけを極める」、「純正の食品を食べるということ」、「大掃除はマルセイユ石鹸があれば」といったことをテーマに、「本来、人が生きることはそんなに大変ではないように設計されている。"人生の下ごしらえをすると楽だよ"ということを、若い世代に伝えたい」と津田さんは言います。

掘り起こして、伝える

ここには、自分たちが「良い」と思ったものだけが置かれています。長テーブルの上に敷かれていたテーブルセンターは、田代さんの友人であるイグサ農家の人がつくったもの。同じイグサの枕やゴザもあって、ここで使ってみて「いいね」と思ったら販売もするのだとか。
山のお米(自然米)と山のお茶も扱うことにしました。川の上流で栽培されるお米とお茶は、「川下の人たちに迷惑をかけられないから」という配慮から、ずっと無農薬で作り続けてきたもの。80℃の高温で淹れる釜炒り茶は、ヒバの香り、森の香り、甘み…と、味と香りが5回くらい変化するといいます。栽培しているのは「高齢だからもう止めようかと思っていたけど、あなた(津田さん)に誉めてもらってまた"作ろう"という気になった」という70代のご夫婦。「地域で丁寧に作られたものを掘り起こし、私たちが人に伝えることで、農家にも良い影響を与えることができれば」と津田さんが言うように、人と人がつながることで、生まれるものや遺せるものがありそうです。そしてそれは、ゆるやかにつながった人たちに幸せ感のお裾分けをしているようにも思えます。

取材にうかがった日、田代さんのふたりのお嬢さんは津田さんお手製のワンピースを着ていました。インテリア用のテキスタイルで仕立てたもので、姉の惠海ちゃんのそれは、大胆な花柄。妹の陽花ちゃんは白地のワンピースに姉の余り布で作った花柄のベルトを合わせたもの。「子どものころ、近所のおばさんがこんなものを作ってくれたという記憶があると、いいかなぁと思って…」という津田さんの言葉に、D_warehouseの目指しているところを垣間見たような気がします。

みなさんの周囲には、心地よいと思える場がありますか?

[参考サイト]D_warehouse

研究テーマ
生活雑貨

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