映画『もち』が気づかせてくれること
新型コロナウイルスの影響は私たちの生活や文化に直接、間接の変化をもたらしています。今回のコラムは映画の分野で生まれた新作をめぐって考えます。
題名は「もち」。そう、あのお餅、都会ではお正月にしか目にしない食べ物が山村の生活を象徴する役割を果たしながら、ノンフィクションとフィクションのはざまの世界に観客を導いていく映画です。
岩手県一関市の山間に
冬には深い雪に閉ざされる一関市の本寺地区に実際に住む少女、ユナ。映画が撮影された2017年には14歳の中学生だった彼女(佐藤由奈さん)とその環境に目を向けたのが映像ディレクターの小松真弓さん。小松さんは東京のCF(コマーシャルフィルム)制作の分野では注目される存在ですが、一関をふとしたことから訪れて、そこに住む人たちの生活に興味を持ったことがきっかけでこの映画の自主制作へと突き進んでいます。おそらく最も容赦のない時間や経済の仕組みを持つCF制作の現場で感じたり考えたりしてきたことが溜まっていたのでしょう。また彼女のお父さんが会社員をやめて有機野菜の栽培を業とし、東日本大震災の時にはその仕事を手伝った経験から「土が人に与える安心感」を実感したと言います。
小松さんが訪れたその本寺地区では、中学校の閉校が決まっています。でも中学生たちは古くから伝わる神楽(かぐら)鶏舞の稽古に熱心に励んでいます。親の世代から使われてきた小道具や衣装、かぶりものなど鶏を思い描いてつくられてきたものが外の人の目には見事なクラフトワークとも見えます。でもそんなことより中学生は踊りの動きをなんとか身につけなければならないので大変。
臼と杵でつくる「もち」にこだわる、おじいさん
小松さんは800年も前から変わっていないという山間の自然とそこに生きてきた人々、続けられてきた生活を観察し、オリジナル脚本を書き始めます。主役を託す少女を見つけ、そのおじいさん役を設定して最適の男性に会い、中学校では実際の先生も探し出す。取材を昼間して夜脚本を書き、翌日撮影、その夜また脚本は書き直しという繰り返しの作業が続いた結果として映画は生まれていったのです。映画のタイトルでもある「もち」ですが、おばあさんのお葬式を前に突然おじいさんが"もちをつく"と言ってきかないエピソードがあります。臼と杵でつくものということへの彼の「もち」へのこだわりは、おばあさんとともに過ごした時間や記憶への深い思いの結果です。子供のおねだりのようにそうしたいと言うおじいさんの気持ちに寄りそう孫娘、ユナ。別のシチュエーションではおじいさんは臼が女、杵が男と、思春期の娘に話し出したりするのです。こういった家族のありのままの姿、同性、異性の友だちとのいきさつなど小さな事柄の積み重ねで綴られる日常と、際立つことも特にない山の道、川のせせらぎ、それらに見る自然の姿が淡々と映されていきます。
この映画は新型コロナの問題が顕在化する前に劇場公開の準備を整えており、いざ公開という直前に緊急事態宣言が発せられました。
ようやく7月4日から劇場上映となりますが、自粛期間の間に私たちは自然との触れ合いをどれほど願ったか、またこれからの生活をどのように思い描いたかなどを映画という触発剤が引き出してくれるように思います。
日本映画の新作を観に劇場に足を運びませんか?
[外部リンク] 映画「もち」公式サイト