自分の身は、自分で守る
一昨年の西日本豪雨や、昨年の台風19号に続き、今年の梅雨もまた大雨によって大きな被害が出てしまいました。「令和2年7月豪雨」で被災された方々には、心よりお見舞いを申しあげます。しかし、これで終わったわけではありません。8月後半から9月にかけては、本格的な台風シーズンがやってきます。頻発する水害からどうやって身を守ればいいのか。今回は、ますます難しくなってきた避難のタイミングについて考えてみました。
異常な雨の降り方
このところの気象災害を見て感じるのは、雨の降り方が異常になってきたということ。かつては珍しかった1時間あたり100㎜という土砂降りが、いとも簡単に発生するようになりました。しかも、最近の傾向で恐ろしいのは、その土砂降りが長時間続くこと。「線上降水帯」という、レーダー画像で真っ赤に見える積乱雲の列ができると、激しい雨が数時間、悪くすると1日中降り続きます。そうなると合計の雨量はあっという間に数百㎜に達し、河川の氾濫や堤防の決壊を引き起こしてしまうのです。
近年、被災された方が口を揃えていうのは、「こんなに速く水が来るとは思わなかった」ということ。そう、河川が氾濫したり、堤防が決壊したりすると、これまでの常識では考えられないスピードで水がやってきます。道路が川のようになったかと思うや、あっという間に膝、腰、胸の高さまで水が来て、家屋が水没してしまうのです。こうなると、もう容易に避難はできません。避難することで、かえって命を落とす危険があるからです。
警戒レベルの導入
雨の降り方が大きく変わり、避難のタイミングが難しくなってきました。この事実を踏まえ、国は去年(2019年)から、避難行動をより直感的に分かりやすくするために「警戒レベル」という概念を導入しました。警戒レベルは1~5までの5段階あり、数字が増すほどに危険度が高まります。
といっても、新しい避難の指標ができたわけではありません。従来の防災関連の情報が多岐にわたり、複雑になりすぎたため、それらを危険度別に整理して、分かりやすくまとめ直したのが「警戒レベル」なのです。
「警戒レベル1~2」は、気象庁が出す「注意報」に相当し、避難行動の確認などを行う段階とされています。「警戒レベル3」になると気象庁は「大雨警報」や「洪水警報」を出し、この段階で自治体は「避難準備」を発令します。お年寄りや体の不自由な方は先に避難してくださいということです。
もう一段上がって「警戒レベル4」になると、気象庁は「土砂災害警戒情報」や「氾濫危険情報」などを出し、自治体は「避難勧告」や「避難指示」を出します。この段階で、原則として住民は避難を終えていなければなりません。なぜなら、「警戒レベル5」は、すでに重大な災害が発生している段階だからです。どこかで河川が氾濫し、道路が寸断されているかもしれない。そんな状況下で避難するのは、たいへんな危険が伴います。「警戒レベル5」になったら自宅に留まり、二階へ避難するなど、その場で最大限の「身を守る行動」を取ることが求められるのです。
避難の判断は自分でする
「警戒レベル」の導入とともに、大きく変わった国の方針があります。それは、「自分の身は自分で守る」を原則としたこと。首相官邸のホームページにも「住民は『自らの命は自らが守る』意識を持ち、自らの判断で避難行動をとる」と明記されています。その背景にあるのは、やはり避難の難しさでしょう。かつて自治体の「避難指示」に従って行動した人が、避難の途中で濁流に飲まれ、命を落とすという悲劇が起きました。すべての人を安全に避難誘導するのは、もはや現実的に不可能だということが分かってきたのです。そこで、最終的な避難の判断は「一人ひとりの住民にゆだねる」ことになりました。国や自治体は「避難の判断に必要な情報を提供する」というスタンスに変わってきたのです。
ハザードマップを活用する
では、災害から自分の身を守るために、私たちは何をすればいいのでしょう。専門家の話によると、まず確認すべきは、自分が住む土地にどのような危険が潜んでいるかを知ることだそうです。国土交通省の「ハザードマップポータルサイト」には、全国のすべての地域における「洪水」「土砂災害」「津波」などの危険度が公開されています。ここでまず自分が住んでいる地域の危険性を把握しておきましょう。
川が氾濫した場合、自分の家にどれくらいの高さまで水が来るのか。大雨が降った場合の土砂崩れの起きやすさ。沿岸部であれば、予想される津波の高さなどもハザードマップには載っています。その上で、危険な地域に住んでいる人は、どのタイミングで避難するかを話し合い、あらかじめ決めておくといいでしょう。
もはや行政の指示待ちでは、逃げ遅れてしまう可能性もあります。それほど雨の降り方が激しくなってきたということです。いつ、どのタイミングで避難するかは自分自身で判断する。そんなシビアーな時代に生きていることを、私たちは認識する必要があるのかもしれません。