人新世という地質年代
「人新世」という言葉をご存じですか? 読みは「じんしんせい」もしくは「ひとしんせい」。地質学の方から出てきた言葉で、原語は「Anthoropocene(アントロポセン)」といい、"人類の時代"という意味を持つそうです。今回は、新たな地質年代の候補としてクローズアップされてきた「人新世」を話題に取りあげたいと思います。
地質年代とは?
「人新世」の話題に入る前に、まずは地層の話から。「地層」という言葉はご存じですよね。崖や切り通しなど、地面の断面がむき出しになった箇所では、いくつもの地層がミルフィーユのように重なっているのを見ることができます。それぞれの地層はその年代に降り積もった堆積物でできていて、地面から深く掘り進むにつれ古い時代の地層が現れてきます。地層を調べることで、過去の時代にどんな生物がいて、どんなドラマが地球に起きたかを推測することができるのです。
ところで、地球の歴史は46億年もあるので、地面の下にはものすごくたくさんの地層があります。どの時代にどんな地層があるのかを調べていく学問が「層序学」で、その結果分類された地層に対応する年代が、「地質年代」と呼ばれるものです。地質年代の種類は多いので、大区分の「代」、中区分の「紀」、小区分の「世」に分けて整理されています。たとえば、三葉虫などの節足動物が海中に繁栄したのは「古生代」の「カンブリア紀」で、いまから約5億4,200万年~約4億8,830万年前のこと。また、かの有名な恐竜ティラノサウルスが地上を闊歩していたのは「中生代」の「白亜紀」で、いまから約6,800万~約6,600万年前のことです。ちなみに、いま私たちが生きているのは、約1万1,700年前から始まって現在に至る「新世代・第四紀・完新世」と呼ばれる地質年代です。
新しい地質年代の提案
2000年2月、メキシコのクエルナバカという街で、「地球圏・生物圏国際共同研究計画(IGBP)」の会議が開かれました。そこで「完新世」という現代の地質年代について議論が交わされていたときに、ある科学者が突如発言をしました。「完新世という言葉を使っているが、我々はもはや『人新世』に入っているのではないか」と。こういったのは、オゾンホールの研究でノーベル化学賞を受賞したパウル・クルッツェン氏で、発言には次のような意図がありました。「完新世」はいまから1万1,700年前に始まり現在まで続いているとされているが、それは石器時代までのことで、人類の影響が地球環境に大きく影響しているいまは、もはや「完新世」の次の地質年代に移行しているのではないか。それをクルッツェン氏は「人新世」という言葉で表したのです。この発言後、生態学者ユージン・ステルマーがすでに「人新世」という言葉を使っていたことを知ったクルッツェン氏は、2人でIGBPのニュースレターに「The Anthoropocene(人新世)」を寄稿します。さらに、その2年後には単著論文「Geology of Mankind(人類の地質)」を発表し、人間活動による地表改変が地質的に影響を及ぼすことを「人新世」という言葉で定義しました。「人新世」という言葉が世界的に注目されるようになったのは、これ以降のことです。
地球を埋めつくす人工物
2020年12月、「ナショナル・ジオグラフィック」に「地球の人工物と生物の総重量が並ぶ、研究」という見出しの記事が載りました。読んでみると、地球上の生物の総重量約1兆1,000億トンと、人間が作り出した人工物(コンクリート、ガラス、金属、プラスチックなど)の総重量が現在ほぼ同じになっているそうです。そして、さらにこのままの勢いで増え続けると、2040年までに約2.2兆トン、生物の総重量の2倍以上になると予測されています。人間の作り出した人工物によって、地球が埋めつくされているのです。
18世紀半ばに起きた産業革命以降、私たち人類は石油や石炭などの化石燃料を燃やしつつ、金属、コンクリート、プラスチックなど、自然界にはない人工物を作り出し、便利で豊かな社会を築いてきました。しかし、その反動で大気は排ガスで汚染され、海はマイクロプラスチックにまみれ、二酸化炭素が増えすぎて地球の温暖化を招いています。とくに温暖化の問題は深刻で、このままの勢いでCO2が増加すると「ポイント・オブ・ノーリターン」、つまり回復不能なダメージを地球に与えてしまうことが危惧されています。絶妙なバランスを保っている地球の自然に大きな狂いが生じたら、これまで以上に異常気象が頻発し、随所で甚大な災害が発生し、大寒波や大干ばつによって食物が育たず、深刻な大飢饉に見舞われる恐れがあります。そして、その先にちらちら見え隠れしているのは、人類滅亡という最悪のシナリオです。
私たち人類が地球から姿を消した後、はるか未来に現れた知的生物が地球を調べていったとき、コンクリートやプラスチックなど、他とは明らかに異質な物質で構成された地層を発見することになるでしょう。それが「人新世」と呼ばれる地質年代が意味するところです。そのような未来を決して招かないために、私たち人類は何をすべきなのか。いま、まさにそれが問われているのだと思います。