研究テーマ

無印良品スペシャルイベント「北の大地に根ざして」第1回 生命(いのち)ことほぐ「君の椅子」

講演者:磯田 憲一氏

君の椅子プロジェクト代表・旭川大学客員教授
1945年北海道旭川市生まれ。1967年に明治大学法学部卒業後、北海道庁へ入庁。以後、一貫して北海道人の視点で、地域力を活かしたさまざまな取組みに関わる。北海道総合企画部長を経て北海道副知事となり、2002年に退任。北海道庁在職中は、北海道文化振興条例制定や、行政の無謬性神話を打破する契機となった「時のアセスメント」の発案、BSE(狂牛病)問題対策本部長として日本の標準となった全頭検査と一次検査公表などを手がける。2006年からは、子どもの誕生に地元の職人が作った椅子を贈るプロジェクト「君の椅子」に取り組む。

朗読:安藤 千鶴子氏

元北海道放送アナウンサー。TVパック2レポーターなど担当。 語りを担当した「ヒューマンドキュメンタリー命の記憶~小林多喜二十九年の人生」で芸術祭大賞。現在は折々に大人子どもを対象にした朗読ワークショップの講師をつとめている。

初夏の爽やかな空気に満たされた5月23日の夕べ、無印良品スペシャルイベント「北の大地に根ざして」が開催されました。このイベントは、北海道に根ざして活躍するさまざまな団体や個人を、無印良品の価値観やモノづくりの視点を通してご紹介するものです。
第1回目の今回は、ゲストに「『君の椅子』プロジェクト」代表の磯田憲一さんをお迎えして、「生命ことほぐ『君の椅子』」。磯田さんの講演とあわせて、元北海道放送アナウンサー安藤千鶴子さんに手記の一部を朗読していただきました。

会場に入って真っ先に目に飛び込むのは、中央の檀上に並べられた歴代の『君の椅子』。「わあ、ちいさいのね」━━そんな声が方々から聞こえるほど、それは本当に小さく、広い会場で目にすると一瞬ミニチュアかと見まがうほどです。近づいた人の多くが、思わず手を出しそっと触れていたのが、印象的でした。

『君の椅子』は、子どもが誕生した喜びを地域で分かち合うために贈られる、手作りの木の椅子です。「君の居場所はここにあるよ」という気持ちを伝え、「生まれてきてくれて、ありがとう」の想いを託した、世界でたった一つの椅子。その活動は2006年に東川町で始まり、剣淵町、愛別町、東神楽町、中川町とゆっくり着実に広がっています。
2009年秋からは地域の枠を越え、全国どこに住んでいても個人として参加することの出来る『君の椅子倶楽部』の取組みもスタートしました。

そんな中で起きたのが、東日本大震災です。多くの尊い生命が失われたあの日、壮絶な状況の中、東北3県(岩手・宮城・福島)で104の新しい生命が産声をあげていました。「3月11日は日本の鎮魂の日となったけど、この日に生を受けた新しい生命に『おめでとう』と言える日にしたい」━━そんな思いから、あの日に生まれた赤ちゃんと家族の元へ"希望の『君の椅子』"を贈り届けるという新たな活動が始まります。

磯田さんは、できあがった椅子を手渡すため、7回にわたって岩手・宮城・福島の計41市町村を訪ねました。この行程には、プロジェクトに参加している北海道の3つの町(当時)の町長も各県ごとに参加。この椅子のデザイナーや設計・製作者も一部の工程に同行しました。

「手づくりのこの椅子は、ほとんど壊れることはないと思うけど、万が一壊れたときは、椅子を持って北海道へ修理の旅に来てほしい」━━各家族に椅子を手渡す旅で、磯田さんは、それぞれの家族に向かってそう言ったといいます。それに対して、多くのお父さん・お母さんが「行きます。壊れなくても行きます!」と答えたとか。つくり手と使い手のこの関係性こそ、このプロジェクトが大切にしてきたことなのです。

一方で、磯田さんには一つの「心残り」がありました。それは、あわただしい行程のため、一つひとつの家族の「あの日」の状況を十分に聞けなかったこと。「あの日、どのような状況下で時を過ごし、そして新しい生命が誕生したのか。父として母として胸に去来したものは何か。その記憶を形として残し伝えていくことは、成長していく子どもたちにとって未来への勇気となり、また私たちにとってもあの日を記憶し続けていくうえで大切なこと」━━そう考えた磯田さんは、あの日に新しい生命を授かった家族の元へ、手記を依頼する手紙を書きました。そして寄せられた原稿を、8ヵ月かけて記録文集として編集。新しい生命を迎えたお父さん・お母さんが記憶の中から紡いだ手記は、1冊の本になったのです。本のタイトルは、「3.11に生まれた君へ」。当事者自らが書き綴った生命誕生の貴重な記録は、多くの震災関係本の中でも貴重な1冊になるでしょう。そして何より、あの日誕生した子どもたちにとって、生命を未来につないでいく勇気を授けてくれる本となるに違いありません。

磯田さんの話をはさんで、手記のうち2篇を安藤千鶴子さんが朗読しました。大地震のさ中、病院から脱出して車中で出産したという話もあり、その状況は私たちの想像を絶するものです。そんな中での、生まれてきた新しい生命への賛歌と周囲への感謝あふれる心情に触れ、朗読を聞きながら涙ぐむ人も。磯田さんの講演が終わった後、多くの参加者があらためてその椅子に触れ、その手触りや重さを確かめていたのは、自分の手で生命の重さを実感していたのかもしれません。

その年ごとにその年だけのデザインを新たに決め、その地域の木工家の手によってつくられる『君の椅子』。それは、デザイン、製作、贈り手、それぞれ「顔の見える」人々が、想いを込めて、その土地のモノづくりを後押しする仕組みでもあります。そしてそれをカタチにしたのは、「道民として、北海道家具の職人に敬意を払いたい」「モノづくり日本の伝承を支えたい」という磯田さんの熱い想いだったのです。

[関連リンク]
「君の椅子」プロジェクト
くらしの良品研究所 コラム『希望の「君の椅子」』
くらしの良品研究所小冊子 くらし中心 no.06「手渡すこころ」(PDF:10.3MB)