生産者のひとり、藤本敦さん。かつて「明浜絣(あけはまがすり)」の行商を生業としていた藤本家は、戦後の混乱の中、行商を続けるのが苦しくなり農家へ転向。最初はかんきつだけでなく、芋や麦なども栽培していたそうです。
敦さんはそんな藤本家の長男として生まれました。愛媛県立農業大学校を卒業し、「デスクワークよりも体を使った仕事をしたい、青い空の下でのびのびと働きたい」とのとの想いから農家を継ぐことに。
1990年ごろ、「自分たちで作ったものは自分たちで値段をつけて販売したい」と考え、無茶々園へ入りました。まだ20代半ばの決断でしたが、お父さんの「好きなようにしろ」との言葉に後押しされ、思い切って農薬に頼らない農業へ舵をとりました。
生産の中心地である愛媛県西予市明浜町は、明浜のみかんは三つの太陽に恵まれているといわれています。太陽の光に、海からの照り返し、そして段々畑の白い石垣からの反射。万遍なく光が当たり、味の濃いみかんが育ちます。