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想像してみてください。もしも無印良品が他の国や地域で誕生していたとしたら。たとえばドイツで、あるいはイタリアで生まれていたとしたら、どんな商品やお店が生み出されていたでしょうか。さらには経済が活性しつつある中国で無印良品が発案されたのだとしたら、どんな製品群がどのように世界に登場したでしょう。そんなイマジネーションが新しい無印良品のヒントになります。世界の様々な地域や文化そして才能から無印良品を構想し、そこに新しい無印良品の可能性を見つけ出してみたい。そんな風に私たちは考えはじめています。無印良品は世界に発想を開いていく時代を迎えているのです。
無印良品の誕生は1980年。その発想の基本はものの生産プロセスを徹底して簡素化することでシンプルで低価格の商品を生み出すことでした。たとえば、紙の原料であるパルプを漂白するプロセスを省略すると、紙はうすいベージュ色になります。無印良品はそれをパッケージ素材やラベルなどに用いています。結果として非常にピュアで新鮮な商品群が現れました。それらは演出過剰ぎみだった一般商品と好対照をなすことで、日本のみならず世界に衝撃を与えました。無印良品の店舗は現在、日本国内で260を超え、商品アイテムも5,000点を数えました。また、海外への出店も行って各地で大きな話題と反響を呼んでいます。
このような無印良品にも課題があります。そのひとつはプロセスを省くことで発生する矛盾。生産工程の合理化は無印良品の基本ですが、プロセスを簡略化するだけで自動的に魅力的な商品が生まれるとは限りません。たとえば「椅子」はどうでしょうか。製造プロセスを省略するだけではよい椅子はできません。椅子の文化に日の浅い日本ではなおさらでしょう。椅子は生活から得られる知恵の蓄積と考え抜かれた設計、そして熟練の加工技術によって生み出される製品です。そこには椅子の文化の叡智が集約されているはずです。衣料品、生活雑貨、家具、家電、食品なども基本的には全て同様。あらゆる製品の背景と本質を謙虚に探り当てていくことがプロセスの合理化と同様に重要なのです。
製品に触れるだけで生活意識が鼓舞されるような、そんな啓発性を持った製品が無印良品の理想です。最適な素材や製法、そして最適な形を探る中にものの本質的な魅力が現れてくる。そんな創造的な省略ができれば理想ですが、それは「省略」ではなくむしろ「究極のデザイン」と呼んだ方が自然です。つまり、無印良品の思想を正確に実現するためには極めて高水準のデザインが必要なのです。
幸い、無印良品の考え方が世界に広まるにつれてこれに共感を示してくれる優れた才能が世界中からメッセージを送ってくれます。経験豊かで優れた思慮を持つデザイナーの多くは無印良品を知っています。知っているだけではなく愛用している人も多いのです。彼らは潜在的な無印良品の協力者で、無印良品のために力と知恵を提供してくれます。
昨年はイタリア・デザインの巨匠エンツォ・マーリ氏が無印良品のためにテーブルと椅子のデザインを提案してくれました。「わたしは50年前から無印良品だった」が口癖のマーリ氏は「多くを売りたいからではなく消費者とコミュニケーションをとり、デザイン文化とは何かを語り合いたい」と話します。勿論、マーリ氏の仕事もあくまで無印。デザイナーの名前を冠するブランドにはなりません。無印良品のもとに集まるアイデアは「発見された普遍」であり、誰かの著作ではないのです。
「素」を旨とする無印良品の思想の根底には日本古来からの生活の美意識があります。ここに無印良品の思想の基軸があることに変わりはありません。そこを確認しつつ、無印良品は世界の文化や才能と交流していくことを開始します。生活のための「必然」や「普遍」を地球規模で発見し合い持ち寄る。そういうプロジェクトがすでにはじまっているのです。
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