8.春を食べる
「春を食べる」──この季節にこんなタイトルをつけると、暖かい地方の方には少し違和感があるかもしれませんね。でもここは、多くの人が避暑にやって来る高原。特にわが家がある場所は標高1100メートル近い森の中ですから、東京に近いとはいえ、春の訪れは遅いのです。今回は、待ちに待った春を、食卓にのせてお届けします。
山野の春を食べる
春は、萌え出る季節。苦みのある春の山菜は、冬の間に身体に溜まった毒素を出してくれると言われます。
それをもっとも実感するのが、根雪を割って春を告げるフキノトウ。家族全員の好物で、とにかくこれを食べないと春が来ません。地元の道の駅にも並んでいますが、じっとガマン。わが家の庭で顔を出すのを待って、いただきます。そして、季節の最初にそれを食べるときは、東を向いて三回笑うのがわが家の恒例。初物を食べるときにそうすると寿命が三日延びる、と子どもの頃から言い聞かされてきたので、いつの間にか身についてしまいました。節分の恵方は毎年方角が変わりますが、初物を食べるときの恵方は、わが家では東と決まっているのです。
陽射しがまぶしくなってくると、タラの芽の出番です。天に向かってすっくと伸びた幹はトゲにおおわれていて、その先端にふっくらと愛嬌のある芽をつけます。もっちりした食感は天ぷらにすると最高。でも、ちょっと油断していると育ち過ぎて葉っぱが開いてしまうので、東京と森を行ったり来たりする私は、タイミングを逃すことも。先端の一番芽のあと、二番芽、三番芽と脇芽を付けていきますが、翌年も翌々年も楽しむためには、二番芽、三番芽は採らずに残しておくことと教わりました。脇芽を採りつくすと、樹勢が衰えて枯れてしまうのだそうです。
山椒といえば、薬味にしたり、筍の木の芽和えに使ったりというのが一般的ですが、富士北麓に移住して初めて知った食べ方は、若葉のお浸し。葉っぱのやわらかい、ほんの短い期間だけ楽しめるもので、大量に摘んでさっと湯通しして、シラスやオカカなどをかけて、いただきます。掌にのるような小さなパックに100円以上の値段がつく都会では、できない贅沢といえるでしょう。
青葉は薬味に、実はちりめん山椒にと、ずっと楽しめる山椒。そして、材の固さを活かしてスリコギになるのも、山椒の木です。ちなみに写真のスリコギは、わが家の山椒の木で作ったもの。台風のとき近くの木が倒れかかって真っ二つに割れてしまったため、スリコギとして再生させました。
可憐な姿と鮮やかな色で、食卓を春の色に染めてくれるのは、すみれです。「すみれごはん」は、薄い塩味で炊き上げたごはんに洗って水気を切っておいたすみれを合わせるだけ、という簡単ごはん。アツアツのごはんにのせても、ごはんが冷めてもきれいなすみれ色を保って、春の野を感じさせてくれます。
そしてこちらは、タンポポ、レタスと合わせて胡麻油と塩だけで味付けした「春色サラダ」。時間に余裕があるときは、おやつのホットケーキにも散りばめて遊びます。
店先の春を食べる
山菜や野草だけでなく、地元の道の駅や都会のスーパーマーケットに並ぶ野菜たちも、春は特別いきいきとして見えます。今では一年中手に入る野菜たちも、新じゃが、新タマネギ、新キャベツ、新ゴボウと春の野菜にはわざわざ「新」という冠がつくのが嬉しい。森の中に住んでいるからといって、山菜や野草だけで生きているわけではありませんから、春の店先は心躍る風景。やわらかく甘い春野菜は、若い空気を運んでくるようです。
「桜」を食べる
桜にちなんだ料理やお菓子を味わうのも、春の楽しみのひとつです。桜といえばまずは桜餅を思い浮かべますが、地元の芝桜まつりの会場には、さまざまな桜がありました。塩漬けした桜葉を刻んで餡に練り込んだ「桜葉餅」、桜の花びらの塩漬けを入れて焼き上げた「桜シフォンケーキ」、桜の花びらを散りばめた「桜くず餅」のほか、地元特産の豚肉「富士桜ポーク」入りの肉まんやラーメン、ちまき、キーマ丼などなど。日本人の桜好きを実感する光景です。
政治学者でありベストセラー作家でもある姜尚中(カンサンジュン)さんは、旬の素材を活かしたお母さんの手作り料理を通じて、自分の身体や心の筋肉を形づくってきたといいます。そのお母さんが常々言っていたのが「春はね、何もかんも新しくなっと。だけん、春の野菜は栄養があっとよ。春によかもんば食べとくと、夏バテせんけんね。しっかり食べときなっせ」『母の教え』姜尚中/集英社新書)」という言葉。
春を食べるとは、旬の食材を味わうと同時に、春という季節がもつエネルギーを取り入れることでもあるんですね。