2地域居住 ─富士山と東京、行ったり来たり─
東京から約100km離れた富士山の北麓で暮らしながら、週の半分近くは仕事で東京へ。そんな2地域居住を続ける研究所スタッフのブログです。過去50回にわたって連載したブログ「富士山麓通信」の続編となる今シリーズでは、時折り都会の出来事も織り交ぜながら、暮らしのあれこれを綴ります。

12.別れの季節(とき)

2020年03月25日

3月は別れの季節。卒業や転校、転勤など、事情はさまざまでも、これまで当たり前のように顔を合わせてきた人たちと会えなくなる寂しさに変わりはありません。ましてや、それが此岸と彼岸というふたつの世界にまたがる別れとなれば、なおさらのこと。今回は少し湿っぽい話題になりますが、お付き合いください。

わが家の預かりもの

これまでも何度か登場していたのでお気づきの方もあるでしょうが、わが家には14歳の犬と11歳の猫が同居しています。
犬の方は、ブリーダーが飼育放棄(つまり食事もろくに与えずケージに入れっ放し)していたのを、見かねた動物愛護団体の人が助け出し、里親募集で引き取った柴犬。猫の方は、ポケットに入るくらい小さなとき、息子のアルバイト先の店先に捨てられていた子。ですから、いずれも年齢は推定です。
子育てをする中で、「子どもは預かりもの」という言葉を聞いたことがありますが、わが家の2匹は、まさにその「預かりもの」。縁あって同じ屋根の下で暮らす家族です。

どっちも可愛い

世の中には「イヌ派」と「ネコ派」があるようで、「犬のほうが忠実で可愛い」、「猫の、人に媚びないところがいい」と、それぞれの立場で熱く語る場面によく出くわします。小学生のときから傍に犬がいる暮らしをしてきた私は、自分のことをずっと「イヌ派」だと思っていました。初対面でも、犬という犬がちぎれんばかりにシッポを振って近寄ってくるから、「私に向かって吠える犬は犬じゃない」と豪語していたくらい。

ひょんなことから猫とも一緒に暮らすようになって、まず驚いたのは、その自由気ままさです。「飼い主だから」などという忖度は一切なしで、ただ自分の気の向くままに動く。人間社会で同じことをしたら顰蹙(ひんしゅく)を買いそうな自由奔放なスタイルは、ある意味あっぱれで、ネコ派の人が猫を好きな理由もわかるような気がします。

付かず、離れず

かまってほしい犬と、放っておいてほしい猫。真逆な2匹が同じ屋根の下に暮らしたら、どうなるのか? 当然、日常の生活では基本的に別行動になります。とはいえ、犬は猫のことが気になって仕方ないらしく、猫が傍に行くと耳を舐めたり、身体を舐めたり。猫はといえば、気の向いたときはそれを許していますが、そのうちプイといなくなるというのがいつものパターンです。

そんな2匹が仲良く座るのは、冬場の暖炉や薪ストーブの前。人間よりも先に2匹が陣取り、「あったかいねえ」とでもいうようにウトウトしているさまは、見ているこちらの気持ちまで温めてくれます。富士山麓の冬の寒さが、異質な動物を寄り添わせるのでしょう。

*何年か前、犬の体調が悪くなって歩けなかった頃は、付かず離れずの距離からさりげなく犬を気づかっている猫の様子に感動。単なるマイペースではなかったようです。

動物と暮らす幸せ

猫の自由さに憧れる一方で、余計に犬がいじらしくなって、「そんなに気を遣わなくてもいいのに」と思うこともしばしば。特にわが家の柴犬は飼育放棄という辛い経験をしているだけに、人への気遣いもハンパではありません。

例えば、私が楽器の練習をするとき。どうやら彼はマンドリンの音色が好きではないらしいのですが、急に逃げ出しても悪いと思うのか、10分くらいは傍にいてくれます。その後、遠慮しいしい後ずさりしてそこを立ち退くのが常。片や猫の方はマンドリン好きで、私が練習を始めるとわざわざ近寄ってきます。猫の場合、遠慮も何もない性質ですから、こちらは純粋にその音色が好きなのでしょう。

寒ければさっさとコタツに潜り込む猫の器用さに比べると、犬はなんとも不器用です。寒いだろうからと掛けてあげる布団も、いつの間にかずり落ちて、震えている。不器用でもの言わぬ動物だからこそ、犬の心中を察しようと人は想像を巡らせます。もしかしたら、未熟な人の心を育てているのは、共に暮らす動物なのかもしれません。

「お散歩」のおかげ

わが家に来たときはボロ雑巾のようだった犬も、富士山麓の自然の中で次第に元気を取り戻し、野鳥を追いかけて走るほどになりました。

犬には毎日の「お散歩」が必要です。飼い主の気持ちを常におもんぱかってくれる律儀さが犬の大きな特徴ですが、ことお散歩に関してはそうはいきません。雨が降ろうが、雪が降ろうが、お散歩タイムはお散歩タイム。正直、面倒だなと思うこともあるのですが、こちらが重い腰をあげるまで、容赦なく要求のワンワンが続きます。

でも、そのお散歩に出かけることが、人間の心身の健康にどんなに恵みをもたらしていたことか!運動不足解消のためだけではありません。春先に木々の芽の膨らんできたことに気づいたり、野イチゴの花や実を見つけたり、青葉から降り注ぐ木漏れ陽に見とれたり、落ち葉を踏むサクサクという音に心地よさを感じたり…犬と一緒に森の中を歩いていたからこそ、富士山麓の自然の細やかな移ろいにも気づくことができたのです。
この連載でご紹介している写真も、わざわざ撮影に出かけたものはあまりなくて、ほとんどが犬のお散歩中のスナップだということに気づきます。

犬に教えてもらったこと

子どもが生まれる以前から、わが家には犬がいました。先代は、大型犬の秋田犬。子どもが生まれてからは、夜はベビーベッドの下で眠り、赤ちゃんが泣けば親に知らせてくれ、幼いころ子どもが泣いていると涙を舐めてなぐさめるといった光景も。
東京から富士山麓へ移住したのは、その犬がだんだん老いてきたころ。東京の夏の暑さでかなり体力を消耗していて、「この夏はもたないかも…」と案じていたのですが、高原の涼しさが功を奏したのか、移住後3年以上生きて、16年半の生涯を閉じました。
「子どもが生まれたら犬を飼いなさい」という格言が英国にあるそうです。その続きは、「赤ん坊のときは良き守り手となり、幼少時は良きあそび相手となり、少年期には良き理解者となり、子どもが青年になった時は自らの死をもって命の尊さを教えてくれるでしょう」というもの。たしかに、計り知れないほどたくさんのことを犬から教えてもらった気がします。

*子育てのサポートもしてくれた先代の秋田犬

*歩行が難しくなってからは、滑り止めの人工芝を室内に敷き詰めました

*老いていく姿を見せてくれるのも犬の仕事?

2月23日フジサン(富士山)の日、しばらく寝付いていた柴犬が旅立っていきました。幼年期に辛い体験をしながらも、わが家で13年間暮らし天寿を全うできたのは、きっと富士山麓の自然のおかげ。そして遺された私たちの喪失感を癒してくれるのも、この自然なのでしょう。

*いつでも彼に声をかけられるよう、庭の山桜の樹の下、先代の秋田犬が眠る隣に永眠の場を設けました。

*2月23日、フジサンの日の富士山

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    M.Tさん

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