2地域居住 ─富士山と東京、行ったり来たり─
東京から約100km離れた富士山の北麓で暮らしながら、週の半分近くは仕事で東京へ。そんな2地域居住を続ける研究所スタッフのブログです。過去50回にわたって連載したブログ「富士山麓通信」の続編となる今シリーズでは、時折り都会の出来事も織り交ぜながら、暮らしのあれこれを綴ります。

16.冬を迎えて

2020年12月02日

朝晩急に冷え込むようになったころの、よく晴れて少し風がある日。森の樹々が競って葉を落とす場面に出くわすことがあります。大きい葉はざわざわと雨のような音をたてながら、小さい葉はひらひらと蝶のように舞いながら、針葉樹の葉は粉雪のようにしんしんと。さまざまな樹々がひたすら落葉するさまはなかなかの圧巻で、人間界に何が起ころうと変わらない自然の営みを見せてくれます。樹々が葉を落とすのは、余分なものを削ぎ落して厳しい冬をやり過ごすため。逆に人間は、「冬支度」という仕事を抱え込み、焦ったり、尻込みしたり。寒冷地に住む人間にとって、冬を迎えるこの時期は、毎年ちょっと緊張する時期でもあるのです。

冬本番前の外仕事

掃いても掃いても降ってくる落ち葉がすぐに積もって、この時期、家のベランダや駐車場は、ふかふかの絨毯を敷いたようになります。落ち葉をかき集めるのは楽しいし、なんとなく心が清まる感じもあって、落ち葉掃きは好きな作業ですが、一方ではせっかくの自然の絨毯をこのままにしておきたいという気も。なんとなく複雑な気持ちで掃除をする毎日です。

踏んで歩くには心地よい落ち葉ですが、屋根に積もった落ち葉は放置しておくと家の傷みの原因にも。雪が降り始める前に、それを取り除いておかなければなりません。母屋の屋根は急勾配になっていて落ち葉が積もることは少ないのですが、問題は素人で手作りした東屋の屋根。家人が腰を傷めている今年は、私がやるしかありません。高い脚立に登り長い柄をつけたほうきを持って行う落ち葉の掻き出しは、高所恐怖症の私にとってなかなか骨の折れる作業でした。

寒冷の当地では11月に雪がちらつくこともあり、早めに冬用タイヤに履き替える作業も欠かせません。まだ雪の怖さを知らなかった移住したてのころは、車をスリップさせて通りがかりの人に助けられたことも。たっぷり積もってしまえばまだ安心なのですが、雪がちらついた後で夕方から気温が下がる、というのが一番危ないパターンなのです。

暖の算段

ここ富士山麓、特に私の住む森の中は、真冬には氷点下10℃を下回ることも珍しくない寒冷地。暖を取るための準備は、もっとも大切な作業です。12月初めころまでは暖炉で何とかなるものの、中旬を過ぎると暖炉だけでは心もとなく、薪ストーブの出番。とはいえ、薪ストーブは使う前に薪割り、煙突のチェック、ストーブ本体(鋳物部分)のチェックなど、たくさんの下準備が必要です。手間がかかる分だけ、温かさが身にしみるといったところでしょうか。

身体の中から温めるのも大事、というわけで、早めに用意したのはこちら。ホットワイン用のハーブのティーバッグです。ちょっと早過ぎる感じがしなくもないのですが、実はこれ、「たすけ愛やまなし」のイベントで購入したもの。コロナ禍で需要が落ち込み、事業継続が危ぶまれる食品関連の人たちをサポートし、食品ロスも防ごうという取り組みです。

保存食の準備

事情があってここ2~3年お休みしていた初冬の恒例行事、「干し柿作り」を再開しました。

遊び仲間の犬が亡くなって暇を持て余している猫は、干し柿用のロープにじゃれて遊ぼうとします。

趣味で100種類以上の果樹を栽培している友人の話では、「カビや細菌の増殖防止には15℃以下の環境下での乾燥が必要」とのこと。温暖な岡山に在住するその友人は、冷蔵庫の中に除湿器を入れて乾燥させるといいます。その点、こちらは寒冷地。ただ干しっ放しの素人仕事ですから、寒くなるのを待ってはじめます。以前は毎年200個ほどは作っていましたが、今年は久しぶりのこともあり、わずか40個弱。それでも軒下の柿のすだれは、冬を迎える景色に少しだけ明るい色を添えてくれます。

むいた皮は、干して糠漬けや白菜漬けに。

この時期になると、地元のスーパーでは漬物用の炒りぬかやあらしお、昆布、唐辛子などが山積みされます。「学問のすすめ」ならぬ「漬物のすすめ」といった風情。その引力に逆らえず、せっせと漬物づくりに励むことになります。

東京に住んでいたころから、白菜漬け、糠漬け、沢庵といろいろな漬物を仕込んできました。ここ富士山麓では、寒冷地でゆっくり発酵する分おいしい、と期待していましたが、意外な落とし穴も。たとえば、白菜漬けや沢庵は漬け込む前に野菜を「干す」作業があるのですが、大根などは干している間に中が凍って「凍み大根」のようになってしまうのです。
白菜も、半日程度干している間に葉っぱが凍ってしまったことが度々。今年はなんとか晴れ間をとらえて、凍らせずに干すことができました。白菜は寒くなるほどおいしくなるのですが、残念ながらわが家での白菜漬けは、12月初旬が限界。できるうちに、せっせと仕込んでおくつもりです。

冬ごもりの前に、ひと遊び

とはいえ、冬支度に追われてばかりではちょっとしんどい。というわけで、道路が凍てつく前に、冬の湖へドライブしました。私たちのお気に入りは、富士五湖の中でもっとも小さな湖、精進湖。ここから望む富士は、手前にある小さな山が子どものように見えることから「子抱き富士」と呼ばれ、 ちょっと変わった富士山を見られるスポットとしても知られます。私たちが訪れた日、富士山の頭は雲に隠れていましたが、湖畔のそこここには冬の陽光を浴びて銀色に光るすすきの群生。冬に向かって緊張しがちな気分をほぐしてくれる景色でした。

そして、この時期ならではの楽しみは、落ち葉の絨毯を踏みながらの散歩です。乾いた落ち葉を踏んで歩くときのカサコソという音や足裏の感触は、なんだか五感が喜ぶよう。春先に亡くなった愛犬もこの感触が大好きで(彼は素足でしたから)、わざわざそこを選んで、うれしそうに歩いたものでした。

初冬の一日、少し足を伸ばして里の公園へ。このコロナ禍、東京の公園では遊びに来ている親子連れを見てもどこか緊張感のようなものを感じましたが、こちらの公園は日常とあまり変わらない雰囲気。大きな自然に抱かれているという「安心感」からでしょうか。このところ首都圏から近郊へ引っ越す人が増えているのも、わかるような気がします。

雪に埋もれる前に

富士山の日(2月23日)に愛犬が旅立って、10ヵ月近く。温かい毛に触れることのできないこの冬は、寒さもひとしおに感じることでしょう。そして、彼が眠る庭の山桜の樹の下も、年が明けると雪に埋もれるはず。きっと寂しいだろうな、と気になっていたとき、道の駅で「吾亦紅(われもこう)」の根を見つけました。

開花時の吾亦紅は、こんな感じ。

移住したばかりのころは野生の吾亦紅があちこちに自生していたのですが、根が漢方の薬草になるとかで根こそぎ引き抜かれてしまい、最近ではすっかり見かけなくなっていました。
愛犬の眠るそばで、こんな花が育ってくれたらいいなと思い、買い求めて植えてみました。

来年の夏には、山桜の樹の下で赤い吾亦紅が咲いてくれることでしょう。

円形に石を積んだところが愛犬の眠る場所。その前方に吾亦紅を植えました。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    M.Tさん

最新の記事一覧