2地域居住 ─富士山と東京、行ったり来たり─
東京から約100km離れた富士山の北麓で暮らしながら、週の半分近くは仕事で東京へ。そんな2地域居住を続ける研究所スタッフのブログです。過去50回にわたって連載したブログ「富士山麓通信」の続編となる今シリーズでは、時折り都会の出来事も織り交ぜながら、暮らしのあれこれを綴ります。

17.いつものことを、できるだけ。

2021年02月03日

コロナ禍で、外出自粛を強く求められている今。終わりが見えない状況の中で、身動きの取れない暮らしはいつまで続くのでしょう。こんな時だからこそ、日常のひとこまひとこまを大切にしたい。そう思って私なりに出した答えは、「いつものこと」をできるだけ置き去りにしないこと。もちろん、叶わないことも多々あるのですが、できる範囲で日々を愛おしみながら暮らしを紡いでいきたいと思います。

寝正月で、体を休める

愛犬が昨年旅立ち、子どももコロナ禍で帰省できず、夫婦と老猫だけの静かなお正月となった今年。せっかくステイホームするなら、いつもはできないことをしようと、「寝正月」を決め込みました。新春の富士山の写真を撮りに近所まで出かけた以外は、ひたすら、家でのんびり。頂き物の新酒をちびちび飲みながら、朝寝して、昼寝して、夕寝して。自分でも驚くほどですが、コロナ禍での暮らしは、深いところで心にも体にも緊張を強いていたのかもしれません。そんな緊張感の中で、「あれもしなければ、これもしなければ」と何かに追い立てられるように暮らしていたのだと気づきます。

自家製干し柿を加えた柿なますを肴に、純米吟醸の初しぼりを堪能。

干支のぐい吞みは、研究所の先輩ご夫婦の合作。毎年いただいて、来年の寅で十二支すべてが揃います。

無病息災を願って、七種粥

松の内最終日の一月七日には、やはり七種粥が欠かせません。本来は早春に萌え出てくる草を摘んで入れるのでしょうが、寒冷地の当地にはまだ草は生えていないので、スーパーの七草セットで代用。若菜を刻むときのトントンという音と清々しい香りが気持ちを穏やかにしてくれます。
温室栽培のそれで代用してまでも七種粥にこだわるのは、若草の生命力を体内に取り入れたいのと同時に、お正月疲れしていた胃腸を休息させたいから。そして何より、そもそもが「無病息災」を願っての行事だから。今年ほど「無病息災」の大切さを感じ、願うことはなかったような気がします。

酒粕で、あったまる

お酒はたしなむ程度ですが、日本酒造りの副産物である酒粕は大好物。寒いこの時期になると特に出番の多くなる食材です。暮れに山形の酒蔵の酒粕をいただいたので、雪国出身の家人は大喜びして早速、網焼きに。子どもの頃は火鉢に網をのせ、炙っておやつに食べたといいます。やってみると、たしかに、おいしい。酒まんじゅうのようなほのかな甘みと香りがふわ~っと口中に広がり、薄いお餅のような食感と相まって、心身ともに温まる感じです。料理とも言えないほどのシンプルな食べ方ですが、素材の良いものはシンプルに食べるほどおいしいという説に納得します。

酒粕の定番レシピは、豆乳酒粕鍋。ふつうの豆乳鍋よりまろやかで、ほんのり甘みも感じられる大人向けのお鍋です。

クリームチーズと合わせて練った酒粕ディップ。クラッカーやトーストに塗ってもよく合います。

冬に、新鮮野菜!

標高の高い当地は、冬は畑も凍土と化す寒冷地。冬場の野菜づくりは無理な土地だと思っていたら、「富士山やさい」のコーナーで「水かけ菜」と「水かけネギ」を見つけました。漬物になった水かけ菜は食べたことがありますが、生の葉を見たのは初めてです。
米の裏作として水田に畝を作り、畝と畝の間に水温が一定している富士山の湧き水を流し続け保温することで栽培できるのだとか。冬のこの時期だけの旬野菜です。寒冷地に住んでいると冬場に地場野菜を食べるのは無理とあきらめていただけに、うれしくて早速買い求めました。

水かけ菜の漬物は、春先に出て売り切れたらおしまい、という人気の漬物。今回、初めてチャレンジしてみました。

ネギは白味噌と酢で和えて「ぬた」に。

小正月の小豆粥

1月15日は、小正月。別名「骨正月」とも呼ばれ、松の内に忙しかった女性の労をねぎらう日とも言われます。寝正月で過ごした今年は骨休めも必要ないのですが、伝統の行事にならって、朝食に小豆粥を作りました。
小豆を煮るところから始めるとちょっと時間がかかるので、ここは無手勝流で。冷凍ごはんから作ったお粥に、すでに煮てストックしてあった小豆とお餅を加えただけの簡易バージョンです。このところ小豆のパワーに注目しているので、煮小豆は無糖と加糖の2種類を常備。料理にデザートにと、便利に使っています。

きな粉餅やヨーグルトも、甘い煮小豆(=あんこ)を加えるだけで、手作り感アップ。

ミニミニどんど焼き

小正月はまた、歳神さまの依り代(よりしろ)として飾っていた門松や注連飾り(しめかざり)を取り外す日。そしてこれらを燃やしながら、お正月にお迎えした歳神さまをお送りする「どんど焼き」の日です。本来は家々から持ち寄った正月飾りを地域で一ヵ所に積み上げて燃やし、無病息災や家内安全を願う火祭り行事ですが、このコロナ禍ではおそらくどこも中止のはず。
というわけで、裏庭でわが家だけの「どんど焼き」をしました。門松代わりに対で揃えた松の枝と小さな小さな注連飾りですが、今年ほど無病息災と家内安全を願ったのは初めてかもしれません。

ふつうは残り火で焼いた餅や団子を食べるのですが、それほどの火力もないので、この夜の締めは酒粕で作った甘酒。ほっこり温まりました。

半月遅れの初詣

密を避けて、やっと初詣に出かけたのは小正月も過ぎてから。家人の誕生日に合わせて、隣町の富士吉田市にある「北口本宮 冨士浅間神社」に参拝しました。富士山の北口に位置するこの神社は、富士登山(吉田口)のスタート地点。かつて富士登山をする人は、ここで参拝したのち、神社裏手の登山道から山頂を目指したといいます。
いつもならこの時期には閑散とする参道や境内も、まだ初詣の人で賑わって(?)いるのは、私たち同様、密を避けた人たちなのでしょう。

いつもと違うことが、もうひとつ。参拝前に手を浄める手水舎に、柄杓が見当たりません。これもきっと新型コロナの感染防止のため。雰囲気をこわさないよう、白木の板で囲って水路をつくているところに、心遣いを感じました。

そして、もっとも大きな違いは、お参りする人々の表情。例年なら初詣は半分お祭り気分に満ちているのですが、今年は「祈る」ために来ている人が多い感じ。自分の力ではどうしようもないことに出合った時、人は大いなる力にすがりたくなるのでしょう。「祈り」の原形を見たような気がします。

お焚き上げ。真剣に手を合わせる人の姿が印象的でした。

境内にある神楽殿。一昨年まで、夏は毎年ここで薪能が開催されてきました。

春の準備も、そろそろ

女の子のいる家を「うらやましいな」と感じながら、男の子しかいないわが家では、これまで雛人形を飾ってきませんでした。
そんな内心を知ってか知らずか、旧い友人が夫人お手製の小さな内裏雛を送ってくれました。嬉しくて、玄関の棚に早速飾ったのが、下の写真。「桃の節句が過ぎても雛人形を片づけないでいると、お嫁に行くのが遅くなる」という話は聞いたことがありますが、早く飾る分にはお咎めもないでしょう? といった屁理屈はともかく、春を先取りしたい一心です。桃の節句が来るまでに、背景になる屏風を用意したいと思っています。

節分も過ぎて、少しずつ日脚が伸びていく季節になりました。実感としてはまだまだ寒さが続きますが、コロナ禍でも日々の暮らしの中に少しずつ楽しみを見つけながら、本当の春を待ちたいですね。みなさま、どうぞお元気でお過ごしください。

  • プロフィール くらしの良品研究所所員
    M.Tさん

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