ここにありますこのタオル、約半年かけて、やっとこのタオルが染められるところまで来たのです。じつは「伝統の森」と私たちが呼んでおりますカンボジアの村では、1枚1枚の布、糸を括り染めて、布を織り上げています。それは、1回にせいぜい1メートル、2メートル、多くて5メートル、10メートルという、そういう世界です。あるとき、フランスの有名なパリコレのデザイナーが、うちの絣の布を見て「欲しい、買いたい」と言ってくれた。しばらくして写真を見て、「じゃあ、この柄10メートル、こっち30メートル」とオーダーが来たのです。それで私はこう答えたのです。「ごめんなさい、30メートルだったら3年待ってください」って。それから彼は連絡してこなくなりましたけれども(笑)。彼は、うちの物づくりを知らなかった。気に入ってはくれたけれども、本当のうちの手づくりの、どうやってつくっているか、どうやってできているかということを知らないでオーダーをしてくれた。それはそれでうれしいのだけれども、実は私たちはそういう物づくりをしております。
その逆に、今回のこの無印のタオル、今回はタオル1,000枚、来月は1万枚、再来月は10万枚、いつになったら50万枚できるかなみたいな、そういう話を私はしています。実はそれをつくるために、中国の上海の無印の製品の染色をやっておられる工場には、大きさがちょうどこの部屋ぐらいの最新鋭のドイツ製の染色機械があります。1回で例えば1時間、2時間、3時間かけて2,000メートルクラスの布が染められる、そういう最新鋭の機械なんです。でも私は、その機械に心を込めてそれを道具に変える、それが私の役割、仕事だと理解しておりまして、今まで、半年やってきましてやっとちょっと道具になったかなと。
道具というのは、基本的には手の先にあるものですね。こういう手工芸の世界の中で、例えば昔織られた絣の複雑な柄を私たちは伝承して、それを再現しています。でも、下絵も何もございません。全て手の記憶と私たちは呼んでおります。技術というのはお母さんから娘さんにという形で、手の記憶として伝承されてきている。そういう意味で使っている道具も、基本的には手の記憶の中で使われていく道具なんです。いいものをつくろうとしたら、実は機械や素材や道具、そういうものが大切ですけれども、一番大切なのは実はいいものをつくりたいという心。自然を色にするというのは、やはり自然の命を色にするということだと私は理解しております。
だから今回、上海でドイツ製の最新鋭の機械を、私は機械を道具に変える仕事と理解して、そのためには、道具を変えるためにはやっぱり機械に心を込めていかなきゃいけないと考えておりました。
愛知県の尾州で、日本の毛織物をやっておられる産地の方とお話したときのことです。私が「急いで染めた草木染めは色落ちする。でも丁寧にゆっくり染めてやったら色落ちしないんですよ」という話をしたら、その聞いておられた織元さんの方たちが、「そうだそうだ」と言われるんですよ。えっ? と思って私が聞いたら、「実は機械も同じだと。急いで回すと機械も嫌々、いい布を織ってくれない。ゆっくり回してやると機械も喜んで、いい布を織ってくれるんだよ」と。
尾州のあのあたりというのは、もともと江戸時代には綿織物の産地だったところです。それが木綿から羊毛に転換して、今でも日本の最先端の織物を作っているところです。現在も例えば日本のいろいろな車のシート類、あれは多分ほとんどあの辺でつくられているんじゃないかなと思います。だから現在でも毛織物の1つの大きな産地だと思いますけれども、そこでそういう機械を動かされている方たちがそう言われた。私はそれがとても印象に残っていて、実は今回、上海で最新鋭の染色機械を動かそうとしたときに、そのことを思い出しました。その機械をゆっくり回してやる。急いで回したらやっぱり機械も嫌がって、いい色を染めてくれない。本当に試行錯誤、決して簡単ではない作業でした。今、ここに置いてありますけれども、これになるまでにいろいろな大変な苦労をもちろんしております。でもそれは、そうやって機械を道具に変えるための苦労だったと思います。
自然の染料というのは、実は生ものなんですね。例えばこの椰子の実、海南島から上海の工場まで運んで来ます。椰子の実が畑でとれて、1日か2日後に市場に来て、その市場に出すために外側の皮を取る。剥いだ後、そこに1週間置かれてから上海に来たものと、剥いで次の日に上海に送られたものでは染めたときの色が違うんです。自然の染料というのは基本的に生もので、新鮮なほど色が鮮やかです。例えば明るい赤みの強い色を出したいと思えば新しいものを使わなきゃいけない。海南島から上海まで決して近い距離ではございません。例えば送られてくる前にもう既にそこの市場で3~4日放ってあった。それでまた送られてくるのに時間がかかったりしてもう既に10日ぐらいたっていると、もう色が違う。
こんな話があるんですよ。私が昔、タイで村の伝統織物を調査しているころに、ある村にきれいな赤を染められるおばあちゃんがいました。みんな彼女のまねをして同じ木の皮で赤い色を染めようと思うのだけれども、どうやっても染まらない。みんながやっても、茶色にしか染まらない。彼女は、染めるときにいつも森に入って染めていた。だから、みんなは本当は彼女が極秘の何かを持っているのじゃないか、秘伝を持っているのじゃないかと理解していたのだけれども、実はそうじゃなくて、その木の皮を剥いで30分以内に染めてやると赤が染まるのです。木の皮を剥いで、それをぶら下げて村に持っていく。村に届いたときには30分以上たっていて、それで染めても赤は出ない。茶色にしか染まらない。酸化してしまうのです。その木の皮を剥いだときは、樹液が本当にきれいな赤をしている。私も村の人の話を聞いて、実際にその現場に行ってみて、そのことに気がついたのです。その木の皮を剥いだときは、本当に血のような赤い色の樹液が出ている。ところが、それが30分以上過ぎてしまうと茶色い液に変わってしまう。だから、みんなが村に持って帰って染めても、幾ら頑張っても赤は染まらない。けれども、彼女はそれを知っていたわけです。だから彼女は、染めるときにいつもその木のそばで、森で木の皮を剥いですぐ煮出して、それで染めていたからきれいな赤が染まったのです。
本当に自然の染料というのは生き物で、だから私が先ほど言いましたように幾ら機械を道具に変えてやると言いましても、そして相手にしているものは生き物です、生ものです。そういう染め材もそうですし、皆さんもご存じだと思いますが、江戸時代に歯を黒く染めていたお歯黒、これは酸化鉄ですね。これが媒染剤として使われています。自然の染料というのは、染めた後に媒染剤に浸けることで色を定着して発色させます。私が今、着ていますこれ、これはアーモンドの葉っぱで染めた色なんですけれども、そのままだったらこれは黄色なんです。でも、お歯黒に浸けることでこのきれいな黒に変わります。実はそのお歯黒も生ものなんですよ。酸化鉄です。その酸化した状態で、アクティブな状態をキープしてやらないと、放っておくと還元してもとの水に戻ってしまいます。その状態を保つためには、酸化させるためのレモン、それから温度、それからお砂糖をちょっと入れます。アクティブな状態をキープして、酸化から還元に行くそのピークの状態をいつもキープしてやらなきゃいけないんです。これは放っておくと、さっき言いましたように還元してもとの透明な水に戻ってしまいますから、この状態をキープしてやることが結構大変な仕事です。実は、上海でも、この作業は大変でした。キープすることもそうですし、始めたころと今とでは外気温が違う。30度を超えているような時期もあったし、今はもう23~24度ですかね。その自然環境にとても影響される。
皆さんご存じの藍染めもそうです。藍染めが日本で難しいと言われるのは、実は一番のポイントは、藍の発酵温度にあるのです。藍が発酵しないと、きれいに染まらない。藍の発酵温度は実は32度なんです。この寒い日本で32度をキープするのは難しいから、藍染めというのは染めるのが難しいと言われてきた。発酵温度の32度をキープすることが大変だった。昔は素焼きの壺に入れて、壺の下に炭を入れて、そうやって温めていました。ところがカンボジアとかラオスは、平均気温が32度なんですね。私もタイで最初に藍染めをやっている村を訪ねたら、藍はどこにあるのと私は大げさなそういう設備を考えていたら全然そうじゃなくて、小さな素焼きの壺があって、その高床式の家の下に壺が転がっているのです。「あれだ」と言われて、えっ? って。その環境に置いていても本当にきれいな藍が発酵しているのです。だから、自然の気温ですよね。
実はお歯黒も同じなんですね。そういう温度をキープしてやること、それが非常に大変でした。
最近、日本で藍染めをやっている若い人たちは――皆さんご存じですか。熱帯魚の水槽に保温する温度計とヒーターがありますね。あのセットは32度に設定されているんですよ。それは藍の発酵温度なんです。最近、日本では若い人があれを使って藍を発酵させていると聞いたことがあります。あ、おもしろいなと思って、それも新しい伝統です。
だから私は、やっぱり常に伝統というのはそうやって新しくつくられていく。つくられてきているものだと。だから今、私たちもそういう生ものを相手にして、それを生かして、そういう最新鋭の設備ですね。これは実際に上海の現場で、その機械をもう何十年使ってきたような人たちがおります。そういう人たちの知恵と経験、私が持っている伝統の知恵、自然の染料を私が使ってきた知恵、そして無印の方たちのそれを製品にしたいという強い思い、それらのコラボレーションの結果が実はこのタオルなんです。私は先ほど言いましたように、それは明らかに新しい伝統をつくり出していくことだと理解しております。これはまだまだ始まったばかりの仕事だと思っております。これが実現するかまだわかりませんけれども。私はもともと京都で着物を描いておりましたので、最近、無印の着物ってできないかなとちょっと言ったりしていまして、これはまだまだこれからの話なんですけれども。
だから、私はいろんな可能性を。私はやっぱり日常の生活の中で本当にいいものを普通に使える、そういう環境をつくることがすごい大切だと。それがあることで喜びを感じられる、そういう日々、生活、そういうものを皆さんに提供していければいいな、と。
無印良品はそういう思いを持っておられる会社といいますか、企業だと理解しております。30年前、私がタイの村で織物をやっている村の人たちと一緒に織物プロジェクトを始めたとき、その同じころに無印良品も日本で活動を始めて、製品が店頭に並び始めた。そのときに無印良品タイの藍染めの服が並んでいまして、ちゃんとそのいわれが書いてあった。私は今でもはっきりそれを覚えております。無印の方たちが物づくりに対するこだわりというのですか、そういうものを現在もずっと持ち続けられて、そういうものをつくっていこうとされている。そして、つくっている人たちを思い、それを使われる方を思い、その両者をつなげていく、そういう役割を考えておられるということに私は強く共鳴しております。
例えば日本で言えば民芸ですね。日本の民芸、柳宗悦さん、それから浜田庄司さんとか河井寛次郎さんとか、いろいろな工芸の方たちがなされた仕事、その時代がありますね。あれはヨーロッパで言えばアールヌーボー、それからバウハウス、イギリスで言えばアーツ・アンド・クラフツ。それは19世紀から20世紀への時代の転換点、ヨーロッパが近代に急激に転換していく中で、そういう物づくりをもう一度見直していきたいという人たちの思いがそこにあったと思うのです。ちょうど同じように20世紀から21世紀、100年たって、そういう意味での時代の転換点に、私たちは今いるのだと私は理解しております。
そういう中で皆さんもご存じのように、大量生産、物を大量につくって使い捨てればいいそういう文化・伝統が、それも1つの新しい伝統だと思うのですけれども、そういう伝統が今、生活の中に定着してしまっています。でもそれに対する、もう一度それを見直していこう、そうでないものをもう一度使いたい、そういうものをつくっていきたい、そういう思いを持った人たちが今、確実におられると私は理解しております。そういう人たちの中で例えばこのタオル、自然の染料で染めた、化学染料ではない、体にいいものを使う、使える環境をつくりだしていく。新しい21世紀というこれからの時代の中で、それはとてもとても大切なことだと理解しております。そして、そういう仕事をこれから無印良品の方たちと一緒にできることを、私はとてもうれしく思っております。
だから、まだまだいろいろな展開といいますか、可能性があると思っております。本当に始まったばかりの仕事ですけれども、これからも新しい伝統をつくり出していく、そういう仕事にかかわっていきます。
私もカンボジアで約20年やってきて、皆さんもご存じのように普通の伝統がお土産文化になってしまった。それは、工芸もお土産も区別がつかなくなってしまって、逆に工芸そのものの価値が混乱して、もう何でもいいやみたいになっちゃった世界。僕はそれをもう1回、例えば来週、マレーシアのサラワクでアジア・ナチュラルダイ、自然染料をやっている人たちが集まったシンポジウムがあります。その後、また来月、インドネシアのティモールの昔からのやり方で絣をつくっている村の人たちの集まりがあって、そこに呼ばれています。実は私のもう一つの役割というのは、私がカンボジアで伝統の織物を取り戻す、そういう仕事をやってきた上で、やはり本当の伝統の昔なりのやり方でいいものをつくっていくことだと思います。実は最近、カンボジアでも、うちの模造品が出回っているんです(笑)。
おもしろいなと思うんですよね。よく言うのですけれども、私はいいものがちゃんとあれば、それが基準になっていく。そういう意味で今は混乱してお土産文化が当たり前になって、使い捨てが当たり前になっている中で、本当にいいもの、基準となる点をつくることが僕はやっぱり大切なんだと理解しております。そういう意味でこのMUJIのタオルも、世界中のタオル業界がみんなこれに注目していると思います。そういうクォリティーのタオルを今、つくり出すことができた。それが新しい時代をつくる。
私は、先ほどちょっと言いましたけれども、インドネシアやマレーシアやそういうアジアの中で伝統工芸と言われている世界が、お土産文化の中で混乱して本来の物づくりを失ってきてしまった分を、もう一度取り戻していく。そういう人たちと、そういう織り手やつくり手たちとこれからかかわりながら、私はそういう人たちにもう1回、これはお土産物じゃないんだよとはっきり言い切れる、そういう物づくりの姿勢、物づくりの仕方、そういうことを一緒にディスカッションしていきたいなと思っています。実は今、それが自分のこれからの、次の仕事だと自覚しておりまして、そういうこともできたらやっていきたいなと思っております。
とりあえず私の話はここで一たん終わらせていただきます。どうもありがとうございます。(拍手)