社会貢献を知ろう!「良品計画社員と学ぶ寄付先団体の活動」第29回
募金券 寄付先団体の皆さんの活動を、良品計画の社員との対談を通してお知らせします。第29回は、母国での迫害を逃れ、日本にたどり着いた人たち、「日本にいる難民」に寄り添う、難民支援協会さんにお話をお聞きしました。
- 逃げてきた先の日本で、試練が続く
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「難民」というと、外国の難民キャンプなどを思い浮かべがちですが、日本にも難民がいます。民主化運動に参加した、改宗した、同性を好きになった。そうした理由で、自国の政府から迫害を受け、命の危険をも伴う状況から逃れてきた人たち。つらいことですが、「日本にたどり着いて一安心」というわけにはいかないのが実情です。正式に難民と認められ、法的地位と生活が安定するようになるまでに待ち受けているのは、高いハードルと、長い時間。働けない、住む場所がない、病院に行けない・・・。母国で十分に苦労してきた人たちに、さらなる試練が続きます。最も不安定で、弱い立場にある人たちを知ることで、日ごろ実感しづらい平和や人権について、気づくことがありそうです。
プロフィール
難民支援協会
難民支援協会は、日本に逃れて来た難民が、自立した生活を安心して送れるよう支援する団体です。難民認定のための申請手続きから、生活の基盤づくり、厳しい難民受け入れの改善をめざす政策提言や、社会的な理解をえるための広報活動まで、難民への対応が立ち遅れていると言われる日本において、専門知識を持つスタッフを有し、民間の力で幅広いサポートを行っています。
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石川えりさん
難民支援協会
事務局長上智大学法学部国際関係法学科卒業後、企業勤務を経て2001年より難民支援協会の職員となり、主に調査・政策提言の分野で国内外にて活動を行ってきた。難民問題にはルワンダにおける内戦を機に関心を深め、同協会には設立前よりボランティアとして関わった。二児の母。
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伊藤美奈
良品計画
品質保証部 品質管理担当
課長短大卒業後、靴メーカー等を経て1993年9月入社。店舗勤務等を経て食品部へ異動。菓子の開発から生産管理、企画を担当後、2012年6月より現職。食品部在籍中に大人の食育に興味を持ち「健康・食育シニアマスター」の資格取得。趣味は、スキー、旅行など。
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枚田正章
良品計画
WEB事業部 ショップ運営担当
課長1989年11月入社。京都の店舗勤務を皮切りに、いくつかの店舗や本部業務を経て、2006年より現職。ネットストアの運営担当として、ネットショッピングの成長とお客様満足のために奮闘中。趣味は子供へのお弁当作りと料理。子供のために、創作料理に取り組むも、いつも迷惑がられている。
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切迫した状況で、逃げて来る
枚田:正直言って最初は、「日本にも難民が?」という感じでした。そういえば、ニュースでときどき見るような・・・というレベルでした。
石川さん:多くの人に、実生活での接点はないでしょうし、難民というと海外の難民キャンプを思い浮かべるのが一般的だと思います。
伊藤:私も難民に関する知識はほとんどないのですが、自国で迫害を受けた人のすべてが、国外に逃れられるわけではないですよね。
石川さん:そうですね。国外に逃げることができるのは一握りの人たちです。飛行機で海を越えるならなおさらです。とはいえ、楽に逃げて来られるケースはほとんどありません。私たちがサポートした中でも、家財をすべて売り払ってお金を工面し、子どもだけを飛行機に乗せ、自分たちは徒歩で国境を越えたソマリア人の例がありました。
伊藤:どのような経緯で日本にたどり着くのでしょう。
石川さん:とにかく逃げることが重要なので、日本がどんなところか、まったく知らずに来てしまう人もいます。日本に来たら英語もフランス語も通じなくてショックを受けることも珍しくありません。私が初めて担当したアフガニスタン人の方は、少なくとも私たちのような団体の人間には、当たり前にパシュトゥー語が通じると信じていました。
伊藤:逃げた先のことなど考えられないほどに、切迫していたということなんですよね。
石川さん:その通りです。文字通り命がけなんです。
枚田:そのような状況で単独で逃げてきた場合、母国の家族や友人のことが気がかりでしょうね・・・。
石川さん:家族のメンバーが殺されたり投獄されたケースもありますし、多くの場合政府から迫害を受けていますから、運良く家族の所在がわかっていても、おおっぴらには連絡も取れません。年に1~2回の手紙のやり取りがやっとで、10年以上家族の声を聞いていないという人もいます。
2012年、難民として認定された人は1%未満
枚田:そんな思いをされて逃げてきた日本で、彼らは無事に保護されているのでしょうか。言葉もできないとなると心配です。
石川さん:迫害の危険こそなくなりますが、残念ながら、すんなり安心が得られるわけではありません。日本政府から正式に難民だと認定されれば、日本に居住でき、仕事もできます。ただし昨年の実績では、難民申請したのは2,500人。認定されたのは18人です。認定された人たちも、認定までのだいたい2年以上、人によっては7~8年もの間不安定な生活を余儀なくされていました。
枚田:18人・・・!1%にも満たないじゃないですか。しかもそんなにかかるなんて衝撃的です。
伊藤:言葉も文化も生活習慣も異なり、頼る人もいない外国で、その先に難民と認められる日が待っているのかもわからず過ごす月日は、どんなに不安なことか・・・。
石川さん:仕事ができず健康保険も利用できないから、体調が悪くても限界まで我慢してしまいます。いよいよになり救急搬送され、手術をして、返すあてのない借金ができてしまった人もいます。病気以前に、冬には凍死の危険すらあります。入国して数か月間は、政府からの支援がないので、その間、何とか持ちこたえないといけない。私たちもシェルターを何カ所か確保しますが全員を収容しきれません。暑い国からさしたる準備もなく来た人が、真冬の夜を幾日も路上で過ごすのは生死にかかわることです。
伊藤:命がけで逃げて来たのに、過酷すぎます。
枚田:何が問題で、そうした状況になるのでしょう。
石川さん:日本における手続きや制度が、なかなか現実に即したものになっていないんですね。迫害の事実が完全に証明されれば難民として認められるのですが、そのための資料を揃えるのには、恐ろしく高いハードルがあるんです。例えば、民主化運動をしていて逮捕歴がある、という人も、逮捕状を持っていない限りはすんなりそれを証明できません。ふつうは持っていないですよね。拷問されていてもそうです。また、日本では戸籍や住民票が整っていて、それらの書類がすぐに手に入れられますが、国によっては難しいんです。そのため、本当にその国に生まれ、暮らしていたのかさえも証明が困難なケースが珍しくないのです。
平和のありがたみをひしひしと
伊藤:難民申請をする先として、日本以外の国での事情はどうなのでしょう。
石川さん:日本に比較すると、欧米のほうが容易ですね。難民認定の確率は、アメリカだと約50%に達しています。日本も多くの国と同様、「難民の地位に関する条約」の批准国ですし、本来でしたら同じ基準が適用されないとおかしいのですけれど・・・。
枚田:何年間も待った末に、99%の人が認められないわけですよね。どうも釈然としませんが、その99%の人たちはどうするのですか。
石川さん:基本的な選択肢は、他の国に行くか、もしくは自国に戻るかです。
伊藤:自国に戻るって・・・。
石川さん:別の国にも、そう簡単に行けませんから、選択肢がなくて自国に戻る人もいます。日本で難民申請をして、結果を何年も待つ間に、自国の状況が良い方に変わることも中にはあります。スリランカの内戦終結や、ミャンマーの民主化などがその例です。ただそれも一部なので・・・。私たちも力がおよばず歯がゆい思いです。
伊藤:やり切れない思いがします。
枚田:難民の出身国としてはどこが多いのでしょうか。
石川さん:日本では、これまではミャンマーが多かったです。それから、国を持たないクルドの人たち。クルド人はトルコやイラクなど中東を中心に暮らしていますが、長く弾圧を受け、今も苦難が続いています。また、世界で見ると、アフガニスタンはこれまでに最大の難民を出しています。無政府状態が続いているアフリカのソマリアも、かなり多いですね。そして、現在最も深刻なのは、内戦によって難民も国内避難民も爆発的に増えたシリアです。
枚田:普段なかなか意識できませんが、自分に置き換えて考えることができないほど壮絶な境遇の人たちが、世界中にいるんですよね。平和のありがたみがわかります。
石川さん:そうなんですよね。難民と接していると、その方の境遇だけで日本では考えられないほど壮絶なのに、彼ら、彼女らが後にして来た地域では、何万、何十万という人たちが、過酷な人生を生きているわけです。難民の人が、日本のテレビで政治家の悪口を言ったり茶化すのを見ると驚くんですよね。自国ではありえないと言って。そうしたシーンに触れるたびに、民主主義のありがたさが身にしみます。