被災地の産業復興に向けて ─第2回 東山温泉「くつろぎ塾」─
大震災の後、被災地への救援活動はさまざまな形で進められています。このコーナーでは、被災地復興に向けて真摯に取り組んでいる方たちに直接取材し、その思いと活動内容をご紹介していきます。
被災者を単独で受け入れた会津地方、東山温泉「くつろぎ塾」
今回ご紹介するのは、会津地方の東山温泉の代表取締役、深田智之氏です。氏は震災当日、羽田空港で震災のニュースを知ります。その光景を見て、すぐに被災者の受け入れが必要だと判断したということです。会津地方は海岸からは100キロ近く離れた場所。安全ではあるものの、震災当日まだ多くの人が動揺している中、氏の判断は冷静でした。
地震の翌日、2011年3月12日(土)、深田氏はすぐに市役所に受け入れを申し出ましたが、市には県や国からの指示がなく、受け入れについては未定とのこと。そこで、氏は新聞紙上に受け入れを告知します。その日のうちに、情報を聞きつけた人が着の身着のままで続々と集まってきました。数日の間に1,360人という人がやってきました。宿泊がいっぱいになったあとでも温泉を開放して、一人でも多くの人に一時の安らぎと安眠を提供してきたのです。市が受け入れの対応を決めたのは、翌週月曜14日のこと。その後も、深田氏は自費で独自に受け入れを続けていきました。
この英断について聞くと、「常々、宿泊施設とはこうした緊急時のための受け入れ先でもあると考えてきた」とのこと。そして、この宿のスタッフも、休みも取らずフル稼動で被災者の対応にあたりました。この震災を支援できる自分たちに誇りを持ち、自信をもって活動してくれた。スタッフのそんな姿に、氏は本当に感動したといいます。
定員を超える宿泊者を迎え、数日後にはスタッフだけでは回らなくなったそうですが、ここでも氏は英断を下しました。宿泊者からボランティアを募り、食事の分配や支援物資の薬の分配など多くのことをボランティアの方々に思い切って任せることで、その難局を切り抜けたのです。宿泊者の中には医師や看護士もいて、それぞれの場で活躍してくれたといいます。多くのことを、常に現場に任せていく。深田氏の姿勢に、真のリーダシップを感じました。
だんだんと落ち着いてきたころ、館内で盗難がおきたそうです。そこで、氏は「迷惑をかけない、たばこを吸う場所、お風呂の入り方」など館内での基本的なルールを決めて、「そのルールが守れない人は、外へ出てもらう」という張り紙を出しました。館内にも緊張感がよみがえり、その後の生活には乱れがなくなったそうです。ひとたび盗難がおきると、さらなる連鎖がおきやすいもの。そんなことにならないようにと、すぐに判断し行動したのです。
次々におこる難局に、冷静にそして適切に判断をしていく様は、見事なものでした。
「いま必要なのは野菜や肉。栄養のあるものを食べさせてあげたい」と深田氏は言います。新潟から運ばれてきた野菜や魚(前回ご紹介した会津食のルネッサンス 本田勝之助の活動によるもの)を、自ら喜んで運んでいた姿が忘れられません。
4月1日からは、被災者の受け入れをする温泉施設に対して補助金が出るようになり、他の旅館でも受け入れが始まったそうです。それに先駆けて、自費での活動で道筋をつくったのは「できることをただしただけ」と淡々と語る深田氏でした。
まだまだこれから、復旧復興に向かってすることは山のようにあるでしょう。
ますます、彼らの無償の活動にエールを送りたくなりました。
掲載アーカイブ
-
1
- 2011年4月27日 名前は「義援米」
-
2
- 2011年5月4日 東山温泉「くつろぎ塾」
-
3
- 2011年7月6日 Plant to Plant