世界は複雑から始まった
さて、ここで問題です。「エンプティ」と「シンプル」はちょっと似てる、と僕は思うんですけれどもいかがですか。シンプルって何でしょう。よく「無印良品はシンプルだ」と言いますけど、今日は「無印良品はシンプルではなくエンプティだ」ということを話すために、わざわざこんな難しい話をしてるんです。
まず「シンプル」というのはいつできたか、わかる人、いますか? 僕は、150年くらい前にできたと言っているんです。勝手に言ってることなので、反論がある人は言ってください(笑)。
なぜかというと、世界は「複雑」から始まったからなんです。その複雑さを理性で乗り越えてシンプルにたどり着いたのが約150年前。
この写真は青銅器です。故宮博物院などに行くとありますね。青銅器はいきなり始めからこんなふうに複雑だったんです。無印良品のサラダボールみたいな単純なかたちから徐々に進化してこうなったんじゃない。
なぜかというと、こういうオブジェクトっていうのは「力」を表現するためにつくられたからなんです。
古代の村なり共同体なり国なりは、王なり長なりがいて、その共同体を治める強い求心力を持っていたし、持たなくてはならなかった。統治する力を持たなければならなかったんです。そして、その力の所在を目に見える形で示す必要があった。ですから力を表象するというか、表現するための、いろいろなものが必要だったんです。青銅器というのは10円玉と同じですから出来たてはピカピカだったんでしょうけど、表面には複雑な模様がびっしり付いています。ツルツルじゃなかったんです。ツルツルから進化してこうなったんじゃなくて、最初からこんな風だった。こういうものをつくる技術に長けた技術者が、膨大な時間と手間をかけてなしとげた「高度な達成」。
こういうものを見せられると、みんな「おおー」とか「ひえー」とか、思わず感じ入るでしょ。そういうオーラを発して、みんなを注目させるような力を持つということが、こういうものの役割だったのです。お酒を貯蔵するとかいう用の合理性じゃなかったんですね。ものをつくるということは、そこに何か力を込めるということで、そういう力を発生させるように、ものはつくられてきた。表面をびっしり覆うような複雑きわまりない模様があったりするのは、そのためだったんです。