誰も教えてくれなかった「家のつくり方」
さて、「エンプティネス」から話題をすすめて、「家」の話をしましょう。無印良品のこれからのテーマのひとつは「家」だと思うんです。
日本人は家のつくり方を忘れてしまったというか、現代の家のつくり方を見つけられていないんですね。応仁の乱のあとには、義政がつくった和室ができたんですが、その伝統は明治維新のときに再びリセットされて、西洋というのが入ってきたわけです。このとき、西洋の技術だけいただいて、あとは日本流にやればよかったんですが、ガス灯を輸入したとき、ガス灯のかたちまで輸入したものだから、国会議事堂もあんなかたちになってしまった。だから、家の住まい方というのも、ますます混迷の状況を呈してきていて、どんな家をどうつくるかということに関して、今の日本にはノウハウがないんです。
僕の父も「こういうふうに家をつくりなさい」とは教えてくれなかった。学校の先生もそうです。なぜなら、この五十年ほどで、日本はコミュニティーのかたちも、家族のかたちも、コミュニケーションの方法も激変したからです。直系の大家族がいっしょに住んで、土間で作業をしたり、そういう生活だったんですよ、ついふた世代前までは。だけど、この50年で完璧に変わっちゃいましたね。昔は蜜柑が田舎から送られてくると、隣近所にお裾分けにいったりしましたけど、最近はお隣りさんとも会いません。だから、どうやって家をしつらえたらいいかなんて、親は子に教えられないし、学校でも教えられない。知恵が社会の中に蓄積されていないんです。
では、どこで学習するかというと、不動産屋のチラシで学習している。2LDKより3LDKのほうがいい、みたいな、家に対する欲望がそういうところで貧しく育成されている。日本人の家に対する欲望ってそんなところで寸止めになっているんですね。だから僕は欲望のエデュケーションということを最近は考えるようになった。
世界には大きな経済文化圏がいくつかある。EU、中国、日本、北米と。日本という経済文化圏はけっして小さくはない。これだけの所得をもった人たちが1億3千万人いるのですから。だけど、その日本にいる人たちの欲望の質、生活の希求の質みたいなものが、中国やEUに比べてどうなのか、という点は今後重要です。なぜなら、それがそこで生産されるプロダクツの質を決めているからです。誤解を恐れずに言うならば、みなさんの生活の希求の質みたいなものが、日本の乗用車の質を決め、家やインテリアの質を決め、無印良品の製品の質をも決めているんだと思うんです。
日本の産業、つまりそこから生まれるプロダクツの質をより良くしていくためには、企業という木が生えている、その土壌の質を良くしなければだめです。無印良品は7000品目というアイテムを使って、暮らしそのものをつくっていくのだとすると、無印良品はこの土壌に影響力を持つことができるかもしれない。そんな風に僕は思うのです。だから「暮らしのかたち」について、無印良品はもっと考えていかなければならない。
どういう方法で家をつくりますか、どんな部屋をつくりますか、テーブルを選ぶポイント時は何ですか、照明はどうやって選びますか、収納はどうすれば効率がいいでしょうか......。そういうことについては、誰も教えてくれない。家をつくるというのは、家そのものだけではなく、生活をどうやってつくっていくか、ということだと思うんですが。
OSというのはオペレーション・システムのことですが、無印良品は人の生活をつくっていくための生活OSにならなきゃならない。家を供給するのではなくて、タオルを供給するのでもなくて、暮らしの知恵を総合的に供給するような、暮らしのシンクタンクのような存在です。