全ての解釈を受け止める広告
これは2003年に東京ADC賞のグランプリをいただいた、無印良品のポスターです。
じつは、コミュニケーションにも同じことが言える。つまり、無印良品はこんなことを考えていますというメッセージを出すのではなくて、何も言わずにお客さんとアイコンタクトをして、目を合わせてうなずくだけ。そういう手法が無印良品のアドバタイジングには有効だと思います。
企業のコミュニケーションのとり方にも、いろいろあります。この製品はどこが優れているかを、微に入り細にわたって説明しなくちゃならないという局面もありますけれど、広告の役割の基本は、まずアイコンタクト。お客さんと目を合わせていくという、そういうことだと思います。
お客さんによって無印良品の解釈は実にさまざまです。MUJIのことをエコだと思ってる人もいるし、日本の禅の思想だと思ってる人もいる。値段の安いブランドだと思っている人もいるし、デザインを拒否してると思ってる人もいる。あるいは、デザインを感じさせないから気楽でいいやと思ってる人もいる。いろいろいるわけです。
そういうところにもっていって、広告で「エコです」なんていうと、何を気取ってるんだとしかられるかもしれない。だから、何も言わないで全ての解釈を全部受けとめて、それに応えていくということを考えるのが、無印良品の広告です。
お客さんとのコミュニケーションは、そこが基本だと思います。合理性とかシンプルとかローコストとか、省資源とかナチュラルとか、無印良品に関しては、いろいろなことを言ってくれる人がいらっしゃいますが、その全てを受けとめていく。
もちろん、ちょっとくらいは、言うんですよ(笑)。雑誌広告など、販売促進的な広告では勿論しゃべりますけど、それも基本姿勢としては、最低限の説明のみにする。
「しぜんとこうなりました」なんていうのも、限りなく何も言わないコピーのひとつだと思います。
「やさしくしよう」なんていうのも同じですね。
なぜ自然とこうなったんですか、とか、何にやさしくするんですか、そういうことはあまり説明しない。いろいろな解釈があるでしょうけど、そこはエンプティにしておくんです。多義性があるというか、キャパシティが広いというか、さまざまな解釈が可能な言葉をコピーにしていくということです。
ファッションでも、同様です。いかにもというモデルじゃなくて、何かスーッとしていて、いるのかいないのかわからないような、だけどすごく清潔できれいだなというようなモデルを起用しています。そういう人が無印良品のモデルとしてはふさわしいのかなと思います。メッセージのかたまりのように、挑んでいくような、現代的でアグレッシブで、というようなモデルじゃなくて。