土谷 ありがとうございました。昔の町家というのをご存じですかね。玄関を入ると土間があって、玄関が結構高いところなんだけれども。水回りというのは、家を腐らせてしまうので、大体家の構造から離して土のほうにあるんですね、外に近いところにありますよね。まさにそういう感じですね、玄関入って、土間があって、水回りがあって。
馬場 そうですね。
土谷 だからこれを見ていて思うのは、日本の公団というのは、さっきの2部屋というのは、本当、まさにプロトタイプですよね。
馬場 そうですね。
土谷 40平方メートル弱なんですよ、一番初めにできたプロトタイプは。そのころは40平方メートルに4人住んだんですよ。戦後、1960年ぐらい。もう2015年には、ひとり暮らしのほうが多くなっちゃう。今、家族数でいうと、ひとり暮らしがもはやトップなんですよ。だから、こういうかつて40平方メートルだったものが、今、ひとり暮らしで住むと、もうぴったりみたいな空間になってくるんですね。だからそういう社会的な環境が変わったこと、それでさらにこの当時建てた建物は、その当時とは違う、今の文脈で見たときに、そのよさがより出てくるわけです。
馬場 そうですね。
土谷 本当にすごいですよね。4畳半が2つに、ダイニングキッチンなんだけれども、これ当時はあこがれだった。
馬場 あこがれだった。
土谷 僕らのもうちょっと上の人たちにとって公団というのは、モダンな建物、モダンな生活の象徴だったんですよ。片仮名で「コウダン」と書くぐらい。
馬場 でも、おもしろいんですよ。ここ、ダイニングと書いてあるんです。ここでご飯食べるのはちょっと無理ぐらいな狭さなんですよ。みんなやっぱりここでちゃぶ台でご飯食べていたのではないかと思うんですが、見ていただいたように冷蔵庫どこに置くんだろうという感じですね。
土谷 まだなかった。
馬場 なかったんですね。これいきなりお風呂だし、洗濯機を置くとこないよという。
土谷 洗濯機もなかったのね。
馬場 なかった。当然エアコンもなかったという40平方メートルなので、全然今と違う。
土谷 これ、お風呂もなかったんじゃないの。これ51C型、1970年までのスタンダードだった。みんなおふろ屋さんに行っていたんですよ。
馬場 ああ、そうだ、一番原始的なモデルですね。
土谷 一番初めがこのタイプだから。
馬場 そうです、これに1個おふろがついたのが次のモデルですね。
土谷 そうなんですよね。でも、ここにたらいがあったんですね、水回りに。そのたらいがあることによって、洗濯機は水回りの近くに置くようになるんだけれども、でも一旦は洗濯機が浸透すると、ベランダに置くようになったんですね。
馬場 そうですね。
土谷 なんていうことを思い出しながら、ま、どうぞどうぞ。ありがとうございました。どうですかね、さっきの観月橋。
5万円弱で、あの部屋に住めると。それで本当にこう、おもしろい選択ができる時代なんだなと思うんですよね。暮らし方に選択の幅が広がるというのと、もう1つは何ていうんだろう、重みがあるというか、ぺらぺらではない、新しいものではなくて、そこに時代を積み重ねてきたものに触れる楽しさみたいなのがあって、そういう美意識が広まってきたんですかね。
馬場 何か、うちに仕事の相談に来る人も、東京R不動産で物件を探す人も、住むことに対するデザインのリテラシーが上がっているんですよね。
それで昔は、僕らの親の世代なんかは家を手に入れることが、ある種のゴールに近かったと思うんですが、今は住む空間自体をどう居心地よくするかということが、自分の洋服とかアイデンティティを示すものの延長線上にあるようになっていて、自分の感性の表現の場になっているような気もするんですね。だからすごくこだわりも強いし、みんな自分で自分の空間をつくっていく能力がありますよね。昔は与えられたものに、自分が合わせて住むという人が多かったと思うんですが、今はできるだけプレーンな空間があるならば、そこに自分の世界観を自分の知恵とデザインで加工していくという人たちがどんどん増えてきているような気がしますね。
土谷 全くそう思う。住宅の住まいのリテラシーが確かに上がってきているんですね。ただ、本当はこれから開いていくんだろうと思うんだけれども、こういう選択肢が広がることで、前にドリルが与えられましたと。このドリルをどう使いこなしていくかということをこれから問われていて、実際にやってみるといろいろなことが学ばれて、さらにブラッシュアップしてくるんだろうと思うんですね。
日本は今、そういう意味で非常に、明るい未来としてはストックというのがいっぱいあるという、余りものがいっぱいある時代なんですね。余りものがある時代って、豊かともいえるのではないかと思うんだけれども、今日のキーワードで、余ったところ、余ったもの、余ったというのはすごいたくさん出てきましたね。
馬場 そうだっけ。
土谷 余った屋上をうまく使うよとか。
馬場 ああ、確かに。
土谷 ここで余っていた空間を、こう使うとか。だから1つの生き方の知恵かなと思うんです。目の前にあるものをうまく使ってしまうとか、新しく買ってつくるのではなくて、あるものを変えてとか、リフォームしてとか、何かこう、すごい高い知恵というか、暮らし方の知恵、工夫というのが問われる時代ですね。
馬場 そうですね。いや、本当、こういう団地にしろ、ビルにしてもそうです。さっき屋上の話が出ましたけれども、すごく風通しがよくて、いい空間ではないですか。でも住むことに対して知恵の使い方が、まだ雑だった気がするんですね。けれども、よくよく見てみると、使われていなかった屋上が一番いい庭だったりとか、そういう隙間が、実はまだたくさん残っているということに、じわじわ気がつき始めた。
団地だって、建物自体も気持ちいいんですけれども、隣棟間隔といって、建物と建物の間が少し広いんですね。僕らがちっちゃいころはその建物と建物の間を走り回って遊んでいて、お母さんはそれを上から眺めているみたいな空間があった。それはまだ経済効率性追求以前の時代なので、間を広くとって、日当たりをよくして、子供が遊べるようにという設計になっているんですね。今はどうしてもたくさん建てて、収益をたくさん上げなければという意識がどうしても日本は強くなってしまいました。その後、人口もふえましたし。
ただ、ちょっと人口がちょっと減り始めて、「あれっ、僕らの生活は本当に豊かだったのか」ということを、ちょうど問い直されているような時代のような気もするんですよ。
去年、地震もあって、夏なんかはエアコンをつけることにちょっと躊躇せざるを得ない時期がありましたよね。日本は、例えば東京だって、エネルギー15%マイナスを実現したわけですよね、エアコンなどみんながちょっとずつ我慢して。その時に、ああ、やっぱりエアコンて涼しかったんだなとかといろいろ感じるんですが、僕、この観月橋の現場に行っている時、当然工事現場なので、ないわけですよ、エアコンなんて。でも風がふわーと常にゆっくり通り抜けていて涼しいんですよ。
東京の比較的新しめのマンションよりも、全然こっちが涼しい。ということは、しかも風が当たって結構心地よかったりもするわけですね。ということは、あれ便利に豊かになろうと思ってつくっていったプランが、1周回って今となっては実はちょっと高いエアコンとか、電気とか、エネルギーとか電力に頼りすぎていて、ちょっと脆弱になった瞬間に不便になる。けれども、こっちはもともとスタンダードでつくられているから、案外それで快適。ぐるっと何か価値観が1周回った感覚に陥った瞬間があったんですよね。何かこう、住むことの豊さとか、楽しさというのを、ちょうど問い直されている気持ちにちょっとなりましたね、今回。