無印の本をつくる。共感するスピリットを例証して
これからは、1988年につくった『無印の本』という本について、少しお話しします。無印良品のスピリット、その根源のようなものが込められたもので、アートディレクションを田中一光さんが手掛けました。
この『無印の本』には、4つの項目があげられています。
ひとつめは、「自然と」。
自然には、私たちが目を向ければ驚くような美しいパターンや模様をもった動物たち、それをつくりだすものが世界には溢れています。ウズラの卵に取り憑かれた写真家がつくっている、ウズラの卵のイメージ。動物の毛色がそれぞれの動物のアイデンティティであるということを伝える、ウールのサンプル。
それから、京都・大徳寺の三玄院というところの茶室、桂離宮の桂垣も写真で紹介されています。
自然と、という項目には、私たちのいる日本列島の中のさまざまな美しさ、そういったものを見、それらと共存していける私たちのことをもう一回伝えたいという思いがあります。我々に残された文化遺産から我々が受け取る、それらが持っている文化因子みたいなものを、日本から生まれた無印良品は受け継いでいくのだと伝えていきたい。ともすると、文化遺産はありがたく見るものと思いがちですが、実際に人々がつくってきたものをどう受け継ぐかを、常に考えていきたいと思っています。
たとえば、乾物。食品の領域では、昔から乾物をつくってきた知恵というのは、凄いものです。だから、そういうことをあらためて、提示してみる。そして、今までの生活にあった知恵をきちんと受け継ぐ無印良品であることを、伝えたいと思ってきました。
次は、「無名で」。
たとえば、このお茶碗、つくった人は知らないけれど、何ていい感じの釉薬なんだろうとか、この枯れ方がいいなあなんて感じる。そういうとき、それは無名の、アノニマス・デザインであり、クラフト(民芸)にも通じるでしょう。私たちは非常に突っ立ったデザインのすごさに驚きながら、日常の生活の中でアノニマスなものに囲まれて、静かな生活の美学みたいなものを受け取っています。だから、そういったことを大切にしていきたいのです。
たとえば、丹波の布の縞帳について、写真を紹介しています。農家の方たちが農閑期、あるいは夜に、お母さんやお祖母さんが織ってきたように織っていく、手仕事の織物です。それはデザインの作業というよりも、藍の色がよく染まったものや、あるいは生成りのものを合わせてみようというような素朴なやり方。そうやって、何百年もの間にいろいろな縞が生まれていて、その縞が厚いお帳面になっています。これだけのものを、淡々と黙々と織ってきたという、人間がやってきた事の集積の凄さ、素敵さ。
私たちはそのスピリットを、受け継いでいきたいのです。
どうやったらゴマがうまく擂れるかしらといったとき、擂りこぎの長さでも、擂り鉢の溝の深さでも、研究され尽くして、これがいいだろうと言った時の決め手が、美しいものをつくりだしています。半纏もそうです。半纏や日本の紋には、世界中のグラフィック、あるいはパターンの専門家が目を見張るほどの美しいものがあります。しかも、祭りの半纏は少し派手にしましょうなんていうときの謳いあげに、町人の粋がこもっているといいましょうか。
それから、「シンプルに」。
私たちの生活の中で自然にあるもの、それをかつての日本が生活の中でどう活かしてきたかということ。そして住環境や道具類から、そういったことを探っていくことと、無名の人たちがつくってきたもの。
そういったものをあらためて眺めたとき、結果的に、そこにはシンプルな美しさが表れているのだとわかります。
最後に、「地球大」。
これは、無印のグローバルなマーチャンダイジングと店舗計画に関するポスターをつくるとき、考えたものです。グローバルに愛される無印、世界中の人たちと共感をもってつくっていく商品、そういうことを表現したい思いから、地球大という言葉をつくりました。
さっき申し上げたロンドンの第1号店にはじまって、無印良品の店は、今いろいろな都市にあります。もし、ベルリンにいらっしゃったら、無印良品の店も是非、のぞいてみてください。緑の中庭が見えるようなところがあって、素敵な空間です。