研究テーマ

ATELIER MUJIトークイベント「無印良品が考えるこれからの暮らし─編集者の暮らしの目線から─」(4/4)

2012年5月23日

このレポートは、2012年2月19日にATELIER MUJIで行われたATELIER MUJIトークイベント「無印良品が考えるこれからの暮らし」を採録しています。

土谷 楽しかったですね。いろいろと考えさせられましたけれども、まずはいくつか僕の方から質問しますね。きのう、実は馬場正尊さんという方で、都会、都心の中のリノベーション。

山田 R不動産の?

土谷 そうR不動産のです。そこでのシンボルが風呂だったんですよ。都市の中での「自由」の表現は風呂をどこに置くかということがコンセプトに見えました。今日、これを見ていたら、「台所」ですね。「食べる」ということを、どういうふうに暮らしの中心に置いていくかというのが、テーマだったようにも、僕にはそういうふうに見れました。どうですかね、この食べることについて。

山田 そうですね。やっぱり食べることが好きな人、自分でつくって食べるというのが好きな人が取材に行くと多いと思います。それをあえて、知っていて選んでいるわけではないんですけれども、何か割と行ってみるとそういう感じが多いかもしれません。あまり意図的にも選んでいないんですけれどもね。

土谷 でも食べることって本当に暮らしの基本だし、その食べ方、食べる作法、それがすべて生き方を表現しているようにも思います。食べること、または食べる食材までつくっていく、こういう暮らし方って、あこがれですね。
ですが、実際にやるとすごく時間もかかりますよね。

山田 確かにそうですね。

土谷 時間ってどう思います?

山田 その辺が難しいところですね。つまり私なんかは時間がないですよね、こういう本をつくっていながら、あまり時間がなくて。ただ、お訪ねしている人って、確かに『住む。』で出てくる人、どちらかというと時間がある人です。ものづくりの人であるとか、そういう人が多いんですね。だからかもしれないんですけれども、食べることはとても大事にしている人々であると思います。
ただ、休みの日につくるというのは、どんなに忙しく働いていても、やっぱりつくって食べようというのはありますよね。

土谷 皆さん、どうですかね。私も実はここのところはずっと私自身のテーマでもあるんですけれども、こういう暮らし方にあこがれていながらも、まずはどうやって時間を確保するんだろう、考えさせられますよね。私は実はこういう暮らしを実践している仲間ががいっぱいいるんですけれども、ほとんどがアーティストや自由人で、都会から少し離れても暮らせる人で、一般の人が経済と暮らしの両立をすることが意外と難しいとも思うのです。日常の暮らしってすごい忙しいですよね。
どうですか? 中にはやっぱり都会の中でこういう暮らしを実践しているという人たちも『住む。』の取材先にはあるんですか。

山田 それはあります。それからこういう暮らしではないかもしれないんですけれども、小さなマンションのベランダで少しとれるという、収穫をできる小さな畑というか、それをつくっている人とかというのはいます。今回、選んだような家がたまたま農というか、耕すスペースを持っている家が多かったからかもしれないですね。都会に暮らすということ、マンションとか、そういう住まいもご紹介しています。何か1つに偏ったものというのは私はすごく苦手なんですね。これもありだし、これもありという感じで、いろいろな住まい方があっていいというのが基本的なスタンスなんです。だから決して田舎暮らしを勧めているというものではないんですね。その辺どうでしょう、田舎という感じに見えるというのは。

土谷 そうですね、田舎ではないのかもしれませんけれど、都心にはみえないなあ。

山田 都心ではないですね。

土谷 ないということですよね。多分小さな家というのもあったけれど、小さな家を補完するのは大きな庭があるということですよね。

山田 確かにそうですね。

土谷 なので、都心で小さな家で小さなベランダだと、なかなかうまくいかなくて。

山田 確かに。

土谷 最近思っているのは家で重要なのは、外と内をどうつなげていくか、外が内の延長になるような、そういう暮らし方があるのではないかと。それはつまり自然と一体になるような暮らし方ということなんだろうと思うのですけれども、そう考えるとやっぱり外が必要になると。そういう意味で外の広さを確保するのに今、都心は難しいというのはあるのかもしれませんね。

伊藤 自分の家はそうかもしれません。小さいし、もう何もそれ以上はふやせないということはあると思うんですけれども、通りであるとか、地域であるとかという広がりを求めようと思えば求められるのではないでしょうか。今の都会の中でもあるし、増えてきているような気がするんですね。

土谷 なるほど、そうですね。

山田 菜園を借りるとか。

土谷 街全体としてそういうのを補完する生き方というのもあるかもしれないし、最近は、、、昨日もそんな話をしました、シェアの可能性や魅力についても

山田 ああ、増えてきていますね。

土谷 暮らしの中で必要なものをシェアするのもあるし、もっと地域全体をとらえて、地域やコミュニティでシェアするというのもあるかもしれないですね。

山田 2地域居住というか。

土谷 そういうのも出ていますよね。

山田 都会では小さなマンションに暮らしていて、週末には近くのというか、車で2時間ぐらいで行けるところで、畑をやっているという、そういう例も何件も取材しています。

土谷 やっぱり畑でというのは、キーワードなのでしょうかね。私たちも時々そういうコラムを書くのですが、あえてお伺いしたい。何でしょうね、この時代に畑をもつということは?

山田 何でしょう、やっぱり土と向き合うということの気持ちよさがあるんだと思います。実は私も全然そういう趣味もなくて、本当に都心に住んでいますので、そういうものにはあまり縁がないと思っていたんです。向かいに公園があるから、緑はそれでいいみたいな気持ちでいたんですけれども、年のせいかどうか、やっぱり自分のベランダのところで、耕すことはできないんですけれども、何かやっぱり緑を置きたいというのはすごくありますし、土が身近にあると気持ちがいいなという気がしてきているんですね。だからこういう本をつくっているうちに、私も何か、これは確かにいいなという気がするんですね。
それとあと、昨年の3月11日のこともあって、そうなると、もし戸建て住宅をつくるのであれば、敷地があったら小さい家を建てて、耕せる土のスペースを残すことができたらいいなというふうに思うんですけれども、どうでしょう、それは。

土谷 どうでしょう、皆さん。年というのが出ましたけれども、実は若い方のほうが多くなっているような気もするんですが、どうですか、ここの中で畑仕事をしている、週末はしている。いや、したい人は?
わー、3分の1強、半分までいかないぐらいいますね。
やったことがあるという人。ちょっと聞いてみますか。どんな感じですか。畑仕事、楽しいですか。

来場者 私、ちょっと2人娘がいる母親なんですけれども、やっぱり公園の泥遊び感覚というのが畑の中にもあって、畑の中にも生き物がいるので、本当に自然の中で、何だろう、同じ目線で同じ感覚で楽しめるというのが、畑の中にあって、さらに延長上で食する喜びだったり、はぐくむ喜びを一緒に分かち合えるので、公園であっても畑であっても、何か大きくくくるとやっぱり自然の中で同じように楽しめるというのがすごいなと、私的には思います。

土谷 こちらの方は、どうですか。

来場者 うちは、もうちょっと若いときにアルバイトで農業体験をしたんですけれども、お店より肉体労働で疲れますね。1週間は身体も本当にもう動かすのもいっぱいぐらいの気持ちになるんですけれども、身体が慣れてくるんです。確かに毎日すごく疲労するんだけれども、翌日はもう、すっきりと疲れがとれて、すごく頑張れるんですね。今はオフィスワークをやっているんですけれども、疲れがやっぱり残るんです。何となく解消されないまま、ちょっと疲れが残った状態で日々働くという感じで、身体にかかる負担というか、疲れ方は確かに農業のほうがすごく高いんだけれども、たくましくなって、健康でいられるというのはあります。
理屈ではなくて、土をさわっていると、元気がもらえる、そういう感じなんです。きょうの話でそういう感じがして、すごい好きでしたね。

土谷 ありがとうございます。何かそういうことが普通に言える時代になってきたと思いますよね。住むということについて、今、こういうふうに、この10年こういう活動をされてきていると思うんですけれども、日本の高度成長って1950年代、戦後、都心にみんな出てくるわけで、都会に出てくるわけですね。住宅もなくて、もう、とにかく、田舎が嫌で出てくるわけですよ。コミュニティなんて嫌、近所づき合いなんか嫌だったわけですよ。もう面倒くさいし。それがどこからか、いや、そんなこと言っては生きられないよねとか、成長の限界ということが言われてきて、実は自分たち、外側に向いていた目線がだんだん内側に向いてくる。そんな時代がやってきているんだろうなと思いますね。
どちらかというと我々の世代、ちょうどはざまにいて、こっちもいいし、あっちもいいしみたいな。仕事もするし、でも仕事も大変だよなと、今のストレスの話、どっちつかづで今いるような気もしますけれども。どうですか。

山田 まさに私も同じ気持ちですね。さっき生き物というふうにおっしゃったんですけれども、私も次の号でご紹介する家で、まさに生き物だ、この人たち人間という生き物としてすごいなと思う取材をしたんです。四国の愛媛県の明浜というところで、住み手はまだ若い32歳と28歳で子供2人という家族です。早稲田の建築科の大学院を出て、結局何かに気づいて、農民として生きるということで、農業をやっているんです。みかんの収穫をやっている人たちなんですけれども、家も古い民家を改修しています。お金もないので知り合いの建築家に手伝ってもらって自力改修という家なんですけれども、本当に子供たちがはだしで。そこの地元の人たちよりも野生児になっています。奥さんも海外青年協力隊とかでやっていた人で、まさに地元にとけ込んで暮らし始めて。まだ2年なんですけれども、子供を背中にくくりつけて、土間の台所で仕事をしてやっていて。それを見たときに、あ、これは生き物としてすごいという感じだったんですね。
かなり、がつんとやられちゃったという感じがしたんです。私は『住む。』では、美しいものがやっぱりいいという、きれいでないとやっぱり嫌だよねというスタンスでずっと来ていたんですけれども、何かそんなことがもう言えないみたいな、突きつけられたみたいな感じを受けました。次の号でその家を16ページで出しますので、見てください。インテリア云々というよりは、生き方を紹介したいというふうに思ったんです。同じ号では全く別の、もう美意識だけでつくっているような家も出していますけれども。

こうでなきゃいけないとか、そういうものが嫌で、だから『住む。』のスタンスとしては、何でもありという気はしているんですね。ただ、何かそれが丁寧にというか、きちんと自分の生き方と深くかかわっているというのが好きだなという、そこだけが同じです。町中で住んでいようが、田舎に住んでいようが、あまり変わらないというふうに思っているので。だから田舎暮らしの本ですねとかと言われると、いや、そうでもないんですけれどというような感じを持っています。
マーケティングをしてつくるという気も全くないものですから、つまり自分の友だちとか、家族だったり、そういう人たちに、例えばどういうものを買ったらいいだろうとか、だれに建築を頼んだらいい? とかと聞かれたときに、答え、ここに出ているんだったら大丈夫と言えるような、そこだけは譲らないつもりで紹介してきているつもりなんです。
だから前は、例えば広告いっぱい出してくれるから、ここはたくさん出してくださいとか、そういう本もあったんですけれども、そういうことを今、伊藤さんのほうから言われないのがありがたく(笑)。とにかくいいと思うものを出そうというのにしていて、スタッフにもとにかく自分で見て、いいと思うものを出そうよねと。
はやりものではないかもしれないけれども、これならお勧めできるというものを、人もものも家も出して選んできているということだけは言えるかもしれません。私は編集能力そんなにあるわけではないですし、本当に丁寧につくるということしか取り柄がないなと思っているので、まさにそれで10年間やってきたなというふうには思っています。
MUJIさんで本を置いてくださっているのは、自分自身でとても好きな、よく個人的に来たりして買い物をしていますので、そこでというのがとてもありがたくて、うれしかったです。

土谷 聞いていて思うのは、住むということが、住まいという器ではなくて、生き方そのものとすごく一体であるということ、また、田舎暮らしということではないんだけれども、自然と一体になっている暮らし方の中に美しさというか生き方の根本があるような気がしますね。これからの暮らし方というのは、住まい方もあるけれども、生き方というか、どんな生き方を選択するかという、この本は実はそういう意味での参考事例を出してくれているのかもしれないですね。あ、こういう生き方があるんだと、こういうふうに暮らせるかもしれないんだという。我々からするとずっと遠くにあるようなものが、意外と近くにあって、こういうことができるかもしれないということもちょっと感じましたね。

同時に、手に職をつけたほうがいいと思いますね(笑)。まずパン屋でしょう、アーティストでしょう、建築家もそうだけれども。一応僕も建築家ですね。手に職があるといいですよね、どこに行っても。やっぱり自分も、今の時代いろんな制約というか、枠組みの中で生きていかなければいけない。そういう社会の中でストレスがあるんだけれども、こういう言い方をしていいのかな。持続可能な社会という言い方をしますけれども、持続可能な社会は、まずは経済的な自立というのが必要なんですね。だから手に職はあったほうがいい。それから食の自立というのがありますね。それからエネルギーの自立というのがあって、あとはコミュニティというか人間関係の、社会の自立。そのどこかにとても共感を得ていくんだろうと思うんです。例えば今であるとエネルギーの問題というのがありますが、自立していかなかきゃいけないんですけれども、地域エネルギーということ、すごく大事ですよね。でも、そこだけとらえても解決できなくて、そのコミュニティでそこをどうするかとか。食というのももちろん、生業ではなくて、もっというと生活の中にある基本で、趣味ではなくて、もう少し日常の暮らしに近いところですね、売ってではないけれども食べる分ぐらい、また地域で食べる分ぐらい自分たちでつくる。そうなっていくといいと思うんですよね。
でも、やり出すと結構大変なわけで、それをどう自立させていくか。それは経済の自立がないとできないというのがあるかもしれないですね。よく半農半エックスとか言われますけれども、半農半エックスって、半分農業をやって、半分好きなことをやりますということですね。すごくアーティストが多いですよね。

そういう意味では、今の時代、強く生きるためには、クリエイティブであるというのがすごく大事で、クリエイティブというのは有名な作家になるということではなくて、何か自分を表現できるものを持つこと、そしてそれが少しだけでもお金になるということが必要かもしれないですね。お金になるというのはだれかの役に立つというようなものなんだけれども、そういうものがあると、より自由になれるのかもしれないなと。
今日の話題は、自由の領域を広げてくれるような写真だったんですけれども、まさにそれをするために自分の今ある制約をちょっと広げることにチャレンジするといいなというふうに思いましたね。

土谷 一番初めにちょっと言ったんですけれども、「住む。」といいう雑誌。マイナーですと言ったんですけれども、僕は今の時代って、本当にマイナーなことというのがすごく大事で、マイナーをつなげていくことというのが、世の中を変えていくことだと思うのです、マイナーの中に未来があるんだろうというふうに思いますね。今までどちらかというとメジャーの中に、みんながやるからそっちのほうに行こうと思っていたんだけれども、そうではなくて既存の延長にないことにどれだけ可能性があるかを探そうとしたとき、まだ小さな芽のようなことだけれども、それを見ることによって、自分の発想というのが広がるのではないかなというふうに思って。きょうもつくづくこの雑誌を見ていると、いろいろなのがあるんですが、でも全部マイナーなんですよ。そのマイナーをどう編集長が、発掘しているかというところがすごいおもしろいんですよね。
広告もほとんどないんですが、載っている広告は何でこれ取り上げているんだろうというような、そういうものが出ているんですね。編集長やスタッフの人たちが、このマイナーの中に未来を見つけていく、何かそこもすごく楽しさというか、クリエイティブというか、創造力を感じますね。

山田 ありがとうございます。

土谷 会場のかた、なにか質問はありますか?
では、なければもうちょっと話しますかね。ちょっと前の号で、四井信治さんというパーマカルチャーリストが紹介されています。パーマカルチャーというのは、パーマネント・アグリカルチャーですね。これはオーストラリアのビル・モリソンという人が1970年代の終わりぐらいに、そういう考え方を提唱するんですね。その模倣となるのは日本の暮らし方だったわけです。日本の人たちの暮らし方、特に農業の仕方とか、自然農法の。あまり手間暇をかけずに自然の力に任せていく、そういう農法と、そういう農業だけではなくて暮らし方というのを自然の仕組みに倣った暮らし方を自分たちの中に入れていくと。その人たちの暮らし方、すごいきれいなんです。格好いいんです。美意識が高い。彼らの活動は世界中に広がっていくんですけれども、日本にも逆輸入のような形でパーマカルチャーという、そういう団体もあります。
四井さんがすごくおもしろいことを言っていて、排せつ物の循環の話をよくされるんですけれども、日本の下水というのはすごく費用をかけて国策として土木整備をしていったんですね。ですが、食べたものを全部下水に流して、下水処理場で海に流してしまうんですね。実はこれによって、この四井信治さんというのはパーマカルチャーリストなんですけれども、本業で土の研究をしているですけれども、日本の土がめちゃくちゃなくなっていくということを実証しています、やせていくという話をしています。なぜかというと、土の中にある微量な要素が食べ物の成長には大事だということ、そのことで栄養価の高い食物もできる、つまり身体にもいい。食べ物がよくないと身体がよくならないんですね。植物循環というのは、まさに土のよさによって変わってくる。その一番大事なものを捨ててしまっていると。長い時間をかけて人間が取り入れた要素をまた土の中に戻すという作業をしなくなったことで、土から人間は要素をとって海に捨てるということを、1億数千万人で全部やっているんですね。今必要なのは、土に栄養分を戻していく、微量要素を戻していくことなんだと。コンポストトイレの話が出ましたけれど、四井信治さんもいつも水筒のかわりにおしっこを入れるということですね。自分のおしっこも絶対に捨てないと言って。
でも、何か実は今、日本で必要なことは、自分たちの身近な食べ物というものを、先ほどからずっと出てくるものを、食べ物を育てる土を考えなきゃいけないということを彼から教わって、同時に生き方もそうなんですけれども、今は土を耕すこととか、土を育てることをしていかないといけないなという時代ではないかなと思うんです。暮らしというのは、一気に変わらないですよね。一気に変わらなくて、それから食べ物も一気に実がなるわけではないんだけれども、今、こういう『住む。』というような、こういう雑誌を見て、いろいろな生き方や暮らし方があるんだということを、まさにインプットして、自分の人生の土を耕すように耕していって、そしてそれを決して流さないで、戻しながら、そして本当に小さな芽を育てていって、自分たちの暮らしを自分で最後ちゃんと手に入れるという、そんな時代がやってきそうなというか、やっていければいいなというふうに思うし、今日のお話を聞いて痛感しました。
今日の話の中に、必要なものは自分でつくるというのが何回も出てきました。すてきなアーティスト、アーティストはやっぱり何ていうのかな、抽象的な何かをつくるということもあるんでしょうけれども、もっというと身近なものも自分たちの手でつくるという才能を持っているわけですよね。これってすごいことで、それはアーティストだけに手渡してはいけないとも思いました。実はみんな自分たちに必要なもの、バッグでも服でも、それからちょっと練習して陶器も、自分の暮らしに必要なものはちょっと自分でつくるというようなことも、今日の話から思いついたことの一つです。
どうでしょう。

伊藤 それは『住む。』の句点の半丸にも表しているのですけれども、家とか暮らしというのが、今の生活を否定して、何かすごく新しいもの、全然違うところからとってこられるものではないと思います。今の自分の生活の中から考えて、ではもう少し工夫しようとか。基本はいつも自分にありと思うことができたのが、この10年間の私にとっては一番の成果です。自分自身はだめだから、他からと何かを持ってくるいうのではなくて、今の自分の家をよくよくご覧になって、そこにはご自分が存在するので、そこからスタートすると、本当にいい暮らしに結びつくんではないかなと。

土谷 そうですね、まさに工夫とか知恵という、身の回りのことからやること。それは今までどちらかというと与えられてきたという時代に対して、初めの第一歩を、自分で考える、自分で工夫するということ。そういう意味では新しいベクトルというか、取り戻さなければいけないことなのかもしれないですね。

山田 考えることとか知ることというのが、まず最初だなと思います。そういうことに役立てる本でありたいなということは常に思ってつくってきました。自分も知らないから知りたいし、それで取材に行くわけですから。私も知りたい、教えてほしいという、そういうことで選んできています。この家に行ってみたい、この人に話を聞いてみたいとか、そういう形で本当に自分も取材することによって教えられて学んできたという感じなんです。
普通はもうちょっと最初にコンセプトがあったり、マーケティングしてこれがはやりだからとか、そういうのもあるのかもしれないんですか、「住む。」では本当に知りたいこととか、この人に会ってみたいとか、それでつくってきたというふうに思っています。
だから土谷さんに逆にそういうふうに見ていただけて、それはとてもありがたいというふうにむしろ思ったんですけれども。

土谷 いや、とんでもないです。今日最後に言ったように、知ることというか、本当に同じ目線だなと思うんですね。やっぱり自分たちの暮らしの中で、知らないことを知っていく。それが雑誌であって、そのたくさんの雑誌の中から、やっぱり編集長自ら知らないことを探していく。だから知っていることを伝えているのではなくて、知らないことを開拓していく中に、我々読み手も同じように一緒になって発見する喜びというか、知る喜びというのがあると思うんですね。
だから大発見とか、大きな変革とか、すごく新しいとかではなくて、でも僕ら実は小さな発見の積み重ねが、すごい大きな大発明だと思うんですよね。だから知識というのは、いきなり飛び越えられるわけではなくて、本当にこの小さな差というところの、それを感じたときに、やっぱり読み手である僕らは読んでいて、あっ!こんなことできたらいいなと思う、この第一歩がまさに土を耕すわけで、この結実はきっと日本に広がっていくのではないかと。本当に大上段に構えなくて、自然体でやられている中ででも確実に広がっているなというのを感じます。
無印良品でも、実はこの『住む。』を今、3階のエスカレーター横、ガラスのところで1号から40号、全部置いてあります。置いてあるのは今は大型店だけですが、でも多分全店少しずつ広げていくと思います。そうなるでしょう。
くらしの良品研究所としても、ますます、お二人にはアドバイスをいただきながら、こういう情報を発信していって、一緒に皆さんとこれから未来の暮らしを考えていきたいなと思います。
きょうは本当にありがとうございました。

山田 こちらこそ。

伊藤 どうもありがとうございました。(拍手)