MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト
8/10 MUJI×UR トークセッション 「うめきたってどうなるの?-今までとこれから-」
- 安田
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改めまして、UR都市機構の安田です。
まず、URは団地だけではないことをお話ししたいと思います。
- 安田
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団地はこちらの資料の真ん中の「賃貸住宅」のところになります。賃貸住宅を作ったり、お客様に住んでいただいたり、そういうお仕事をしています。
それだけではなく、資料の1番下に「災害復興」とあります。東日本大震災で津波の被害に遭われた市街地を復興したり、お住まいを失くされた方の公営住宅を作ったり、今は能登半島地震における支援等もしています。私も担当をしていたのですが、古くは阪神・淡路大震災の復興というお仕事もしていました。
今からお話をする「うめきた」は資料の1番上にある「都市再生」と難しい言葉が入っている、まちづくり、新しいまちを作っていくというお仕事をしています。
- 安田
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関西圏での事例として、少し古いですが資料にあります「神戸ハーバーランド」があります。元々は国鉄の湊川貨物駅でした。
現在はきれいに道路も整備されてマンションもでき、商業施設やミュージアムなどがあるまちとなりました。
また、JR尼崎駅の北側は昔ビール工場跡だったのですが、そこが今は商業施設になっていますが、実はここもURが関わっています。
そして、皆さんが今いらっしゃるグランフロント大阪が建っている土地も、URがまちづくりに関わらせていただいており、この「グランフロント大阪」と、9月6日に先行まちびらきを迎える「グラングリーン大阪」の2つを「うめきた」と呼んでいます。
- 安田
- 「うめきた先行開発区域」と難しい字が並ぶのですが、地図の青く塗られているところがうめきた地区のうち、先行して開発された「グランフロント大阪」で、9月にできる「グラングリーン大阪」は、「うめきた2期」と呼んでおり、2段階目のまちという意味で区別をしています。
- 安田
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皆さまがいらっしゃるここ、グランフロント大阪はうめきたの最初のまちとなります。
先ほど少し紹介をしましたが2024年9月6日にはうめきた2期、「グラングリーン大阪」という名称の、みどり溢れるまちがあと少しで完成します。
みなさんうめきたと呼んでいますが、「そもそもうめきたってなに?」という方もいらっしゃると思いますので、今から「うめきた」についてお話をして行きたいと思います。
まずは、約60年前の大阪がどうであったかが分かる写真をご用意しました。
- 安田
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こちらが大阪駅です。皆様がいらっしゃるグランフロント大阪やグラングリーン大阪は、昔は梅田貨物駅という貨物の列車がきて、そこから荷物を運んでいた場所でした。
新しいまちが出来るグラングリーン大阪を赤く縁取りしてみました。特徴的ものとして、ここに入掘があったんです。
昭和40年に無くなってしまったのですが、中之島、堂島川の方から船がやってきて、梅田貨物駅の荷物を運んでいたことが分かる写真になっています。ここに川があったということは、橋もありました。その名残りが今も、「出入橋」として写真のように残っています。
皆さんはご存知でしたか?
出入橋という交差点もありますし、出入橋の名前がついているきんつば屋さんもあります。
今はもう川はありませんが「出入橋」という名前は、まちのなかに残っています。
さらに昔はどうなっていたのかということで、約100年前の地図をお見せします。
- 安田
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こちらが約100年前の梅田です。
真ん中にオレンジ色で、右から読んで大阪駅と書いてあります。周りを見てみてください。周りは何にもなく、ほとんど田んぼです。建物があるとすると、例えば、「金蘭女学」「梅花女学」「商工」「中学」など、黒に白い字で書いてある通り、学校がたくさんありました。
昔の鉄道は、すすが出たり、音がうるさかったので駅の近くは人が住むところではなかったんです。そのため、大阪の中心地はもっと南で、誰も人が住んでないところに駅を作ろうということで、ここに大阪駅ができました。そのため、周りは、お昼だけ通う学校が多くありました。
現在は扇町公園とテレビ局がある場所ですが、実は昔は監獄でした。人が住んでいるところの端っこに駅を作ったり、監獄を作ったりしていたという歴史がわかる地図になっています。
中学と書いてあるのが今の北野高校です。済生会中津病院の敷地の中に記念碑が残っています。大阪府立北野高校の前身はこの大阪駅前にあったということがこの地図には残っています。
諸説はあるのですが、「梅田」という地名の由来は、田んぼがたくさんあったところを埋めたので「埋めた⇒埋めだ」となり、「埋田」という漢字では良くないことから、「梅田」になったというのが有力だと言われています。
うめきたとずっと呼んできましたが、いつ誰が決めたのか?勝手に言ってるだけでは?と思われている方もいらっしゃるかもしれませんので、経緯についてお話をします。
もう約20年前の話になりますが、貨物駅に新しいまちを作るとなった時に、愛称をどうするのかをアンケートのような形で公募をしました。その中で、1番票が多かったのが「うめきた」でした。
- 安田
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資料の右側の方が当時の大阪市長の平松邦夫さんです。その方がうめきたに決まった時に「いかにも大阪らしいですね」とおっしゃいました。
どういう意味かというと、谷町四丁目は「谷四(たによん)」や天神橋筋六丁目は「天六(てんろく)」など地名や駅名を略するのが関西人ですよね。
「梅田の北だから『うめきた』ええやないか!」と、そんな話があったそうです。
公募なので、もし票数が違っていたらうめきたではなかった可能性があります。
資料の右側に5つ並んでいます。その中で1番多かったのがうめきたで、その他候補にも票数が書かれています。
2番目は「ゆめきた」なんですね。ちょっと「うめきた」に似ていますし、採用されても良かったかなと個人的には思っています。
3番目が「北梅田」です。しっくりこないと思うんですが、よく考えると東梅田と西梅田駅があるので北梅田はおもしろいなと思いました。
うめきたは大阪駅の前にあるのですが、実は大阪駅は何回も繰り返しリニューアルしています。今の大阪駅が何代目になるのか皆さんご存知ですか?
今年2024年は神戸駅~大阪駅間に鉄道ができて150周年とJRさんの広告で出ています。大阪駅は、150年の間に何回駅が変わったのでしょうか?
- 安田
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初代ができたのが、ちょうど150年前になります。
4代目になるとなんとなく覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか?
今はかっこいい駅ができていますが、こちらが5代目で、150年の時を経て5代目の駅となります。
2024年7月31日にKITTE大阪がオープンしました。KITTE大阪ができたところに昔は、中央郵便局があったのですが、その前は初代の大阪駅があったところになります。
JRさんの言葉を借りると、初代大阪駅の地に150年経って、150年目に帰ってきたと言っています。
そういった歴史を知ると、またまちの見方も変わるかなと思います。それでは、今の大阪駅がどういう風に工事が進んで、現在の姿になったのかを紹介したいと思います。
- 安田
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駅ビルが出来、中央にJR大阪駅の大きな屋根がありますが、大きな屋根が中央から両端に広がるようにできて行きました。
あの大きな屋根はどうやって作ったんだろうと思って見ていたのですが、真ん中から広がっていくんですね。 - 松枝
- こちらはURさんが撮影されたものですか?
- 安田
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そうなんです。先人の方が、これは面白い写真になるということで撮影してくださっていたので、皆さんにお見せすることができました。
あの大きな屋根ができたら、雨に濡れなくていいじゃないかと思っていたのですが、意外と濡れてしまうんです。実はJRさんは、ホームの屋根をもうちょっと伸ばしています。お客様に快適に駅を利用していただけるよう、色々工夫をされているのではないかと思います。
先ほど、かつては梅田貨物駅があったことをお話しましたが、いつまであったと思いますか?
- 安田
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実は意外と最近までありました。グランフロント大阪が完成して今年で11年目になります。
こちらの資料では、グランフロントがまだ建っていないですが、資料のような梅田貨物駅が、約10年前の2013年までありました。
梅田貨物駅とグランフロントが並んでいたんだということを想像すると、タイムスリップをしたような、そんなまちが実は約10年前まであったんです。
- 安田
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先ほど紹介させていただいたように、ここグランフロント大阪は「うめきた先行開発区域」ということで、第1段目のまちづくりが完了したのが11年前です。
グランフロント大阪が公式に発表されている来館者は、この10年間で、4.7億人とのことなので年間4,700万人が来ているということになり、グランフロント大阪には毎日・毎年たくさんの方が来ています。
今皆さんがいらっしゃるのは、こちらの資料の北館の「ナレッジキャピタル」「商業」と書いてあるところにある無印良品さんの店舗になります。うめきた先行開発区域は、オフィスやホテル、分譲住宅がある複合開発になっています。
- 安田
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貨物駅だったところがグランフロント大阪になり、人がたくさん来る場所になったので、土地の値段がぐっと上がりました。実は関西・大阪で1番土地の値段が高いのはグランフロント大阪南館がある場所になります。
1m×1mが1㎡となり、そのサイズで約2,360万円です。皆さんも今、約2,360万円の土地の上に立っているわけです。