MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト リレートーク vol.1
団地の再生の可能性を考える ~建築、コミュニティ、福祉サービスのかたち~

※このレポートは、2014年4月22日に日本デザインセンターPOLYLOGUEで行われた、パネルディスカッション式のトークイベントを採録しています。

大月
ご紹介にあずかりました大月です。いま、東大の建築で教員をやっておりまして、建築計画を教えております。今日は団地再生って何だろうと考えてみたのですが、私が今からお話しする中で出てくるのは、“住みこなす”という行為です。団地再生というと、とかく、「地方自治体が再生して差し上げましょう」みたいな、そんな形でやっていく形式が目につきますが、我々の知っている多くの団地では、一人一人がその空間や環境に戯れて遊ぶように住んでいらっしゃるようなシーンがあります。そう状況がたくさん蓄積しているのが、団地の住みこなされた感じにつながると思っています。それを、どうやって持続的にしていくのかという枠組みつくりを、団地再生と呼ぶのであって、そういう持続的にみんなが住みこなせるような枠組みづくりのことが、本当の団地再生じゃないか、というようなことを前半にさせていただきます。後半には、私が最近気に留めている“記憶”ということについてお話しようと思っています。
心に留めておいていただきたいのは、建築物の評価にはいろいろあって、断熱性とか、遮音性とか、耐震性だとか、Co2を出さない家電だとかがありますけど、数値にできそうなものはだいたい数値化できちゃっている世界なのです。しかし、住まいには“記憶を蓄える”という機能があるんじゃないのかなとも思うわけです。多くの人の住みこなしの振る舞いや作法を見ていると、記憶というものを頼りに行れている部分もたくさんあって、そこに意識的に光を当ててみたらどうかということを最近思っています。
さて、今日の最初の話は“個人が住みこなす”ということですが、私自身は東京にありました関東大震災復興住宅である同潤会アパートをずっと追いかけていて、これが日本ではほぼ初期の団地なのですが、この団地が80数年間どうやって人々に住まれ続けてきたんだろうという極めて素朴な疑問を持ち、大学の4年生のときからずっと同潤会アパートを調査してきました。これは青山アパートの竣工当時の写真です。
大月
この図は、大学の卒論の頃調査したアパートなのですが、もともと2軒の住宅をつないで、1軒の家として使っている例です。
大月
この図の作図自体は、当時東大助手だった、現九大教授の菊地先生によるものです。左がもともと一軒で、右ももともと別の一軒があって、戦後これは払い下げをしていわゆる分譲マンションになっているのですが、もともと右に住んでいた家族の人数が増えてしまったので、隣が空いた時に、隣を買って、裏側に増築して、増築で家をつなげていって、2軒を1軒にして住んでいるという例です。これは究極のリノベーションとも言えます。同潤会アパートを調べていくと、こういう住みこなし方が次々に出てきて、建物そのものよりも住んでいる住まい方の方が面白いなと思ってしまったがために、今もこんな調査ばかり続けています。

この図も同じく菊地先生の作図です。おばあちゃんとお母さんと妹とお兄ちゃんが住んでいるんですが、片廊下をはさんで3、4軒目先に、お兄ちゃんが住んでいます。
大月
借りた理由は、そこにお風呂があったからだということなんですね。もともとお風呂のないアパートだったので、お兄ちゃんがお風呂のあるお宅に住んでくれるんだったら、もう一軒借りてもいいよということで、お兄ちゃんはそこに住んで。そして、お兄ちゃんはご飯のときはお母さんたちのいる本家に食べに帰って来るんです。お兄ちゃんの部屋にはキッチンはついているけれど、ほとんど利用していません。逆にお兄ちゃんお部屋のお風呂はみんなで利用します。あたかも、離れが一棟の集合住宅の中にあるような、そんな住まい方をしていました。

こんな風に、教科書に載っているような、標準的に想定されている住まい方とは、かなり違ったかたちでの住み方がたくさん起きていて、常識と思われている住まい方と、現実の住まい方と、どっちが本当かなというのを確かめるために大学院に進学したわけですね。それでまた、別のアパートを調べていたら、また違ったパターンが出てきたんです。

この事例では、もともと断面図の右下の部分に住んでいたんですね。
大月
でも、やはり狭いということでどうしようかなと思っていたら、上の部屋が空いたので、上を買ったんです。集合住宅ですから、もともとは他の家族と共用するための共同階段があるんですが、このお宅では、上下階をつないで住棟の外側に増築をし、その中に、かっこいい階段をこしらえたんです。外からみるとこれが増築した部分なんですが、共同玄関とは違う自分独自の玄関をつくってしまう。
大月
この奥さんに“どうして自分の玄関をつくったんですか”と尋ねたら、お茶の先生をおやりになっていてお客さんが多数来るので、他の居住者の方に迷惑にならないよう、独自の玄関をつくったということでした。でもそもそもは、このアパートはどの住戸にアクセスするにも、中庭を通らなくてはいけない。もちろん住棟の人びとは皆仲良しで、みんな互いのことをよく知っていて、いわゆる良いコミュニティではあるわけですけど、このお母さん曰く、これも困ると。たまにいい洋服を着て中庭を出ていくと、“あらどちらにお出かけ?”とか、いちいち詮索されるのがいやで、中庭を通らずとも外に出られる玄関をつくったというのです。
これは非常に重要なことで、東北の震災復興にも言えるのですが、世の中にはいわば、「コミュニティ帝国主義」みたいなものが一部はびこっていて、いろんな建物の計画やまちづくりの場面で、“皆仲良しなのが当然でしょう、いいでしょう”というのが暗黙の前提となっているケースをよく見かけます。
しかし、実際に被災されて、家族バラバラになって、それまで三世代で住んでいた若いお母さんに話を聞くと、“あまり大きな声じゃ言えないけれど、今が一番幸せなのよね。”という答えが返ってきたりすることもあるのです。そういう、本音の住まい方のリアリティが、住みこなしの中に見えてくるわけです。
大月
上の写真は、先ほどのお隣の例ですが、断面図の左側の上の部分がもともとの住まいで、5人家族では狭いので、右側の部分の部屋を増築されていました。ご主人は夜間勤務だったので、昼間は家で待機してなければいけない。そこで、家も狭いし、自分で地下室を掘ったら暇つぶしにもなるし、部屋も広くなるだろうということで、このお父さんは、スコップを片手に、床をひっぺがして、地下を自力で掘っていったわけですね。
大月
これが、室内から地下へ通じる穴にある、階段代わりの椅子なんです。ここに入って少しづつスコップで地下室を掘りながら数年経って、ようやく床も張って、壁も張って、天井も無垢の丸太でログハウスの天井みたいにして、かっこいい基地のような場所をつくったのですが、再開発の話があって、途中で断念してしまいました。
しかし、この話を聞いたときに思ったは、“住まいと戯れながら時を過ごす”ということの重要性でした。その蓄積が自らの住環境の改善にもつながる、そんな現象が“住みこなし”なのではないかと思った次第です。
大月
このアパートは、1つの階段室に3つ住居がついていて、これが3階建てになっています。一つの家族がABCDの合計4つの住戸を使っています。
このAという、1階の住戸には、昭和20年に3人家族が引っ越してきて、そのうち子どもが3人生まれましたが、すぐに子どもが大きくなったので増築しました。増築しても子どもはどんどん大きくなっていく。どうしようかと思ったら、2階のBの住戸が空いたので、これを買って、子ども部屋にしたんです。
そうすると、子どもは朝起きると、上で歯を磨いて、下でご飯を食べて、上に鞄を取りに行って、下で行ってきますと言って、下にただいまと言って、テレビを見て、あー勉強しなきゃといって上にいって、下からお母さんが「御飯よ」と言って、下にご飯を食べに行って、また勉強しなきゃって上に行って、今度はまた下に行って、一緒に銭湯に行って……。

つまり、ここで展開されている暮らしはどういうことかというと、普通の一戸建ての1階のLDKとお父さんお母さんの部屋と、2階に子ども部屋がずらっと並んでいる、典型的な日本の一戸建て住宅が、集合住宅という器にすっぽり入っているというふうにも見ることができるわけです。すなわち、実は、10軒分の集合住宅は、10軒分の戸建てよりも、もっとすごい住みこなしの可能性があるんじゃないかと思いました。

その後、この家族の子どもはお姉ちゃんだけ残って、嫁いで行きました。そして、お姉ちゃんはお婿さんを貰って、ここで子ども2人を設けました。子どもも大きくなって引っ越そうかなと思って、探していたところ、たまたま同じ2階のCという隣の住戸が空いたので、狭くなったけど、この住戸を買って移り住むわけです。
さっそく、ここを増築して内風呂を作ると、下のおじいちゃん、おばあちゃんたちが、自分たちのうちに内風呂に入りに上がってくる。そして時間が経ち、子どもが大きくなって受験部屋が欲しくなったけれど、2階は既におじいちゃんおばあちゃんの趣味の部屋として機能していますから、どうしようかなあと思っていたら3階のDという住戸がたまたま空いたので、そこを買ってリノベして、お兄ちゃんの部屋とお姉ちゃんの部屋にしました。そして25年前と同様に、3階に孫が住んで、2階と行ったりきたりしている。こういう、同居とも、近居とも、隣居ともいえる、実に複雑な居住形態が起きています。この住まい方を説明する言葉を私たちは持っていません。リアリティというのは、それほど、我々の想像をはるかに超える物語を紡ぎだす力があるのであって、必ずしも言葉で追っかけることができないわけです。

さらに、こうした研究が面白くなって、ついつい博士課程まで進学しちゃったんです。