


MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト リレートーク vol.1
団地の再生の可能性を考える ~建築、コミュニティ、福祉サービスのかたち~
※このレポートは、2014年4月22日に日本デザインセンターPOLYLOGUEで行われた、パネルディスカッション式のトークイベントを採録しています。
- 大月
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イギリスのスコットランドに行きますと、空想主義的社会主義者としてエンゲルスから揶揄された、よく教科書にでてくるロバート・オーエンなんかが建設に携わった、ニューラナークという18世紀のハウジングが残っていて、いまも人が住んでいて、世界遺産になっています。あるいは、日本でいうと嘉永六年、つまりペリーが黒船に乗って浦賀に来航した年にできた、ソルテアという団地も、いまも人が住んでいて世界遺産になっていたりするんです。
また、日本でいえば明治20年にできた、ロンドンのスラムの人向けの住宅もイギリスの団体が管理していて、人が住んでいる。このように外国では、100年以上前の歴史的集合住宅を潰しているところは、ほぼありません。ベルリンでは、第一次大戦のあと、1920年代、同潤会アパートと同じ時代にできた団地が、7団地ぐらい合わせて世界遺産になって残っているんです。
アメリカは逆に、いわば、歴史に飢えている国なのですが、戦時中1940年代に、グリーンベルト・タウンズとして、珍しくアメリカが国家直営でつくった団地が3ヶ所あります。そのうちの一つであるグリーンベルトでは、町開き50周年を記念して、行政が一つの家を買い上げて、グリーンベルトミュージアムとして資料館をつくった。また、別のグリーンベルトタウンズの一つで、グリーンデイルというところがあって、この町の出身者で財をなした人が個人で建てている博物館があります。

求道学舎1926年 リノベーション2006年
- 大月
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日本の団地でも町開きから50年を越しているところはざらにあるんですが、欧米で普通に行われている記憶の継承に取り組んでいる団地はほぼなくて、唯一あるとすると、文京区の東大の近くにある“求道学舎”というところがリノベーションをやって、関東大震災直後に建った仏教系の宗教法人の寮だったところを、定期借地権付分譲マンションにして成功を収めているけれど、これは極めて先駆的な例で、ひょっとすると戦前の集合住宅がこのように継承されることは、もう無いかもしれません。
ところが、日本の多くの古いアパートはどうなっているかというと、これは昭和29年の広島の住宅公社がつくった、京橋会館という割と有名な集合住宅だったわけですが、都心に建っているので当然のごとく、日本の通例に倣って超高層マンションになります。

- 大月
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そのことが良いか悪いかは別問題として、地元の若い人たちが見学会を開催したりして、この記憶を誰かに継承したいみたいな動きがありました。日本でも、こうした動きが大事だなと思って、われわれもURの赤羽台団地に押しかけて行って、この中の空き店舗を大学としてお借りして、赤羽台プラス(通称、赤プラ)という学生さんたちが中心となってセルフリノベーションをして店舗の改修を行いました。
その後何をしたのかというと、この団地は建て替え中で、古い団地から新しい団地へ住民が引っ越すときに、ごみをたくさん出していくんですね。住民にとっても、なくなく捨てなければならないものもあり、中には本当にごみだと思って捨てられているかもしれないけれど、我々から見ると、団地が昭和37年にできてから今まで暮らしてきた、歴史の証拠のようなものがたくさんあって、昭和39年のオリンピック時の新聞がそのままの形で残っていたり、団地ができたときに新聞社が配った絵葉書が残されていたり、そういうのを所有権を侵さないように団地の皆さんにPRして、「捨てるんだったら我々にください」と言って、数ヶ月間働きかけたら、こういうちょっとした博物館ができたんですね。

- 大月
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そしてこの博物館をいろいろいじって、その団地の記憶の証拠の品々をきっかけに、住民に集まってもらえるような仕掛けをつくってみたわけです。物品は140点余り集まっていて、お茶を出したりしながら、この団地を設計された津端さんという方にレクチャーしてもらったりもしています。
そしてこういう展示を続けていると面白いことが起こって、たとえば、団地の住人でアマチュア写真家の方がいて、その写真展をやったりしました。こんなふうに学生がいると、住人が顔を出してくれる場合があるんですよ。学生のほうでも、普段親や親戚以外の目上の人としゃべった経験があまりなかったりするものだから、人生相談しちゃったりしています。まさに異世代交流です。あと、畳敷きの小上がりを使って布草履をつくるワークショップをやっていたりもしています。
そしてこの団地には毎年大規模な夏祭りがあって、そのときは団地に大勢の人がくるんですね。そこで発見したのは、祭りというのは、“集団の記憶蓄積装置”なのではないかということですね。古い団地の長年続く夏祭りというのは、一種の同窓会的な雰囲気があちこちで出現します。昔はこうだったわねぇ、という話が花開いたりする。
そもそも、祭りというのは、遠い昔は男女の恋愛のきっかけの場だったかもしれないけれど、いまの祭りって、“いろんなジェネレーションの人が持っている記憶の出会いの場”なんじゃないか。その出会いの場に、我々が「団地年表ワークショップ」みたいなものを出展して、みなさんの記憶を引き出して、紡いでみたらどうなんだなんていうことを試みたりするわけですね。そうして気づくのは、この団地には、高齢者層と若い人が混載しているんだけど、そんなに頻繁に日常的な交流があるわけではないんですね。基本的に一方は、ここに何十年と住んでこられた方たちで、一方は最近越してきた若い方々なので。そこで、新旧のジェネレーションを、うまく結びつけるためにはどうしたらいいかということで、いま現在、いろいろ試行錯誤的に活動を展開中です。
このように、記憶をメインのテーマにしながら地域活動をやっている事例は他にもあって、北名古屋市にある、地域回想法センターというところでは、地域の古い生活物品を集めて、おじいちゃんおばあちゃんを集めて、昔語りをやりましょうということをやっています。実は、イギリスのコミュニティセンターでも、地域の昔のレジスターとか、昔のカメラとかを使って、みんなの脳みそが老化しないようにしましょうという同じようなことをやっているんです。
面白いと思ったのは、三重県の昔の小学校をリノベして、医療複合施設をつくったところです。診療所、リハビリセンターとかの他に、この中にサービス付き高齢者住宅があって、昔の教室をリノベーションして住宅にしています。ここに住んでいる高齢者の多くは、かつてこの小学校に通ったことのある人で、彼らにとっては大変なじみのある場所なんですね。
そしてここに住む高齢者の方々は、毎日午後の3時、4時になると、窓辺から外を見るという楽しみがあるんです。何でかというと、グラウンドがあるので地域の子どもたちが放課後遊びにくるんですね。その様子を見ているのが1日で一番楽しいんだということで。だいたい3時、4時になると、施設の中の共用空間から老人の姿が消えて、みんな自分の部屋に戻って行ってこの窓辺から、子どもが遊んでいる姿を見ているというのです。
つまり、小学校というものが持っているポテンシャルというのは、ただの教育施設としての小学校ばかりではなくて、いろんな人の記憶の器なんですね。そういうのを我々はどうすくい上げることができるかというのが重要だと感じています。東日本大震災では多くのボランティアが、写真を集めて洗浄して持ち主に届けるという取り組みをやっていましたよね。これをお金に換算するといくらになるか計算されることはまずありませんが、相当なエネルギーがつぎ込まれているわけです。
最後に、実は我が家は現在、引っ越してリノベしておりまして、3LDKを2LDKにしました。私もヨメさんも建築をやってるもんですから、実施設計まで自前で、主たる工事は知り合いの工務店にお願いし、お金の足りないところは、自家施工でやっています。

- 大月
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家の建具に、実は同潤会アパートのものを使っています。同潤会が解体されるときに、ごみとして捨てられている中から、これもらっていいですかと聞いて、それをためておいたわけです。むろん、自分のものにしようと思ってやったわけでなく、その後いろんな博物館にもらってくださいとお願いして回ったこともありますが、何と、どこも引き受けてくれない。ちょうど、各種博物館が「指定管理者制度」などを採用して、採算重視の経営を始めちゃった時期にかぶったのが大きな敗因だったのではないかと思います。
だから仕方なく、貸し倉庫を借りて、そこにずっと保管していたわけですが、自宅を引っ越さねばならないことになって、貸し倉庫もなんとかしたかった。そして自宅をリノベする際に、これを使おうかと。本当にボロボロだった物品を全部よみがえらせて、縦軸回転までも昔のボロ家にあったものを磨いてきれいにして。ボロボロだった建具を一個一個金属をはずして、大きな給食用のアルミの鍋までネットオークションで買って、大きな金属部品まで重層やクエン酸で煮沸してよみがえらせ、ガラスも外して、磨いて、塗って、いまようやくこんな感じで出来上がりつつありますが、本当の完成は、この夏のボーナスのあとになりそうです。
一種の博物館の仲に住んでいるようなものですが、このように写真の右側にある部屋の中の仕切りも、お金がなかったので、下地のまんま仕上げていただいて、あとでヨメさんと、同じマンションに近居している義理の父が一緒に、樫木にオリーブオイルを塗りました。すると結構いい色になって、それを四点を真鍮の隠し釘で留めています。
以上、リノベーションと団地再生と記憶を個人でどう紡いできたかを皆さんにお知らせしたかったというわけです。長くなりました、ありがとうございました。