


MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト リレートーク vol.1
団地の再生の可能性を考える ~建築、コミュニティ、福祉サービスのかたち~
※このレポートは、2014年4月22日に日本デザインセンターPOLYLOGUEで行われた、パネルディスカッション式のトークイベントを採録しています。
- 大月
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そういうふうに、自分たちの都合のいいようにルールをつくっているところもあれば、あるいは、増築できないところは、3階の屋上にみんなで共同の倉庫をつくっているとか。そんなところもあった。それが、やっている住棟とやっていない住棟があったりする。場所によって不公平感が出ることも当然あり得ます。
ただ、そうした不平等は何か別の形でバーター取引をやって、不平等感を解消する努力が行われます。区分所有法に規定するような全国一律の固い管理ではない、住むことに関しての自由度を上げた方法がいいのではないのかなと思うのです。なぜ自由度がなくなってきたかというと、分譲した住宅を自由に売買するためなんです。そこの団地や住棟にしか通用しないルールや、変な付属物がつくと、物件が社会全体の顔も見たことのない人々に流通しにくいから、なるべくそんな厄介なものを附属させずに流通させましょうという、モチベーションがすごく働いた結果、昭和37年に、区分所有法ができました。流通も非常に重要だと思う一方で、日本の流通のさせ方というのは、築何年で、何m²で、坪単価いくらですみたいな、単純な四則演算で計算して値段を出す、そういう流通のさせ方ですよね。一軒、一軒の特色や、質を見た流通のさせ方ではない。
アメリカの物件の流通のさせ方は、インスペクターという人がいて、1件、1件、ちゃんと査定する。この物件は、これだけ投資をしていると。これはちゃんと耐震性も確保しているし、古いけど、いい物件だと思ったら、値がつくわけですね。そういう風に、1軒、1軒を、その個性とか、こういうルールがあるからこの環境に確保されるよね、とか。そういうことまで評価するような、評価の仕方がもしできれば、面白い世界になりそうな気がします。世界中の購入可能性を持っているすべての人々に流通させることが、最大の価値とはならない部分も大いにあるのではないか。個別に、その物件の個性を評価する社会がもし出現すると、いろいろ投資の仕方も変わるでしょう。
さっきのように、地下室を掘っていたおじさんのあの地下室がついていたら、俺あと200万円だしてもいいよ、みたいな人がね。そういうお墨付きを与えられる評価者がいるかどうかというのが非常に重要なんです。 - 土谷
- なるほど、ただ地下室をつくるのはちょっとずるいなあと感じてしまう。地下室は一体誰のものなんでしょうか? それを、イーブンだと言いながら、自分の場所として使っていくわけですよね。うーん。これどうなんだろう。これ、そもそも違法ですか?
- 大月
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同潤会アパートは、建築基準法上も、既存不適格なので、追求できないので、捕まえには来ないと思うんですが。いっぱい増築してると、消防法的には問題視されます。
面白いのは、あるアパートの自治会長さんのとこに、毎年正月になると、消防署長さんが挨拶に来ていたんですね。それで、一言言い残していくんです。増築は違法なので、何かあったら全部撤去してもらいますっていうことを、一筆書いてもらうんですね。で、毎年年中行事のように、何かあったら全部撤去します。毎年、毎年、この挨拶作業を繰り返していく。それが僕は知恵だと思うんです。そうした、法律レベルではなく、現場の運用レベルでの、ものを回して行くルールをどう考えるかを、根本的に考えた方がいいと思います。
そこに住んでいる人たちが合意したルールをもとに、地域の空間を、自分たちの責任でメンテナンスしていくという自由をどうやって獲得していくかというのが、本当は住みこなしの原点だと思います。逆に、どこかの誰かが、自分の知らないうちに決めたルールにいつのまにか乗っかって生きていることが、本当に正しいのか、というのは、常に問い続けなくてはいけないなと。 - 土谷
- なるほど。そういう意味では、飼いならされてしまったおとなしい現代人は、もうちょっとチャレンジをやってもいい。違法かどうかギリギリのところがありそうですね。例えばマンションの周りの庭とか、共有のエントランスかも、、、誰も使っていないのに、椅子だけ置いてある共有部分など、ちょっと浸食して自分のものとして活用してもいいかもしれないですね。
- 大月
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僕はそれを“耕す”と呼んでいます。町内会とか、ボランティアさんの活動を追っかけていくと、非常に面白い現象が見られます。通常我々は空間を、公・共・私で分けますね。これは、道路が公の空間だったり、公園も公の空間だったり、自治会館が建っているところは、みんなの空間、つまり共の空間だと。柵の中は、自分ちの私の空間。
公・共・私に応じた管理責任は、公の管理責任は公、共の管理責任は共、私の管理責任は私っていう風に観念されていますが、実際には世の中は単純にそうなっていない部分が結構多い。
例えば、タバコ屋さんの目の前に、街路樹の桜の木が生えていて、その足元をよく見ると、きっと誰かが植えたであろう花が咲いていることがあるじゃないですか。それはきっとタバコ屋のおばちゃんが勝手に植えているわけですよ。でも、それは公が管理するより良かったりする。また、例えば、お金がなくなった自治体に、もう自治体だけでは管理できない公園がいっぱいあって、いまは行政が根を上げて公園里親制度とか、住民に里親になってもらって、苗や肥料を現物支給するから管理してくださいというと、おばちゃんたちが喜んで管理したりする。このように、われわれの身の回りを見渡せば、公共空間を私が管理し始めている物件は枚挙にいとまがありません。逆に、高齢者ばかりの戸建団地だと、例えば庭木を手入れできないから、塀の生垣が伸びすぎちゃって、通路にはみ出しちゃっているところがあったりして、その対応として町内会で話し合って、生垣が道路境界線から出た部分は、町内会の方でカットしようとかいう議論も出ています。
そういう、“私”に“共”の人達が手を出し始めている。これが、逆にそうしないと生きていけない状況でもあったりする場面があるわけです。だから、我々が近代化の図式に則って、共は共だとか、公は公が面倒を見なくてはいけないんだというようなことのつまらなさというか、そこをはやく脱出した方がいい。
どういうことかというと、よく地方の行政の人に、道路管理課だとかで話を聞くと、ホント泣かされる経験があって、よくおばさんから電話がかかってくるんだとか。家の前でヘビが死んでいるからかたづけに来い、ガシャンみたいな。うちの前の街路、桜のときはいいけれど、夏になると毛虫がいっぱい落ちるから全部処分しろとかって。要は、公の空間だから、私の空間じゃないから、私が納税者だから、といって役場職員をいじめにかかる方が全国にたくさんいるわけですよ。自分の家の目の前の空間は、公であっても、自分で耕そうぜ、みたいな。そういう気持ちを養い育てないと日本はダメなんじゃないかと。たまに思いますよね。 - 土谷
- 法律で規制するのでなく、事例としてそういう話が増えていけば、やってもいいんじゃないかという意識が社会の中に芽生えるかもしれないですね。そして一歩踏み出せば二歩も三歩も進む可能性はあるかもしれないですよね。
- 大月
- たとえば、郊外の70年代につくられた団地で開発のときに斜面緑地っていうのがあるんですよ。企業やURが手がけて、斜面は開発できないので、そのまま緑地として残すんですが、それを行政に移管したりするんですね。行政も最初のころは、お金があるときは草むしりもするけど、お金がなくなると、ほったらかしでジャングルになって、猪が出たりしています。最近地方の団地で起きているのは、団塊の世代は、会社辞めて、いま自分ちの周りに帰ってきていて、彼らが耕し始めているんです。団地にいくと、みんなで耕しているんです。団地の周りを。家庭菜園をしたり、ピザ釜をつくったりするようなところも本当にあるんですよ。
- 土谷
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大阪でのリレートークでは、スケールの話が一番多く出ていました。たとえば、いまある空き地を使って何かをつくる、そんな話がよくでるのですが、団地全体で意思統一しようとするとスケールが大きすぎる。いまの話と同じで、まあそれを使う規模感としては100戸ぐらいの単位が一番コミュニケーションがしやすいんじゃないかと。いまの団地は大体1500戸くらいですから。まあ、それを10単位ぐらいに分けると合意形成はとりやすいのではないかというのは、よくでていた議論です。今日もそのあたりの住みこなしを実現している人達のコミュニティーの大きさが小さいということも同じようなこととして理解しました。
それから、公と私という話もありましたけれども、かつての細い路地裏なんかを思い出します。暮らしの一部を路地に出てって、良い意味で占拠していくとか。商店街なんかも、楽しい商店街なんかっていうのは、道に屋台やテーブルがでたりしてみんな自分の空間の延長として使っている。街にエネルギーがうごめいている楽しさもあると思います。だから、先ほどの、公が、私に介入していかなければならない場面もあるけれども、私が公に入っていくような、そういう、お互いの境界線を乗り越えるところに、楽しみというものがあるのでしょう。
今日話のあった、“計画”という既存の枠組みを超えた計画をどう実現するのか、そのゆるさをどうデザインするのか、いままでの計画と全く違うアプローチなのでしょう。
硬さをでなくて、ゆるさをデザインすること、そんなことを考えていく良い問題提起だったと思います。ありがとうございました。
