MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト 対談
これからの日本の暮らしを考える~リノベーションという手法の可能性について~

大西
私が伊東さんの建築に初めて触れたのは、“中野本町の家”です。何もない広い空間にマッキントッシュの椅子がぽつんと置かれているという、大変印象的なものでした。

住宅公団に入ってからは、集合住宅の勉強をしていました。当時の住宅の作り方は戦後の住宅のあり方そのものを変えていきました。空間を機能で分ける、つまり空間に“2DK“、”食寝分離“のような機能性を持たせてしまったんです。その機能の概念を操作するということが近代主義そのもの、そしてその概念が当たり前のものとなっていきました。また近代主義の大きな特徴は”効率性“そして”市場主義“です。その流れの中で住宅公団は”標準設計“という住宅の基準を作り、同じサイズの住宅を量産してきました。当時としては生活レベルの高い、憧れの集合住宅を沢山作っていったんです。しかし次の段階に進むときに、機能で固定されてはつまらない、面白くない、という声が出てき始めています。人間の思考が変わってきたときは住宅のあり方も変わらないといけない、そうなると、現在無印良品と手がけている団地リノベーションは、その思考を一から作り直しをすることができるので、非常に面白いと感じています。

“団地”は機能の配置を表しています。当時は住宅地の中に商業施設が混じってはいけないという考えがありましたが、現在はコンビニが出来たりしていることも考えると、これからは機能の複合化が進むと感じています。家の中で仕事をするようなSOHO住宅や、子育て問題を考えたときの、家の中で子どもを預かる子育てママ制度など、公共団体からの支援を受けながら子育てをサポートする住宅をどう作るかを考える必要もあると思います。現代は一つの機能で建物の概念を定義できない時代になってきている故に、ひとつの機能に可変性を持たせていくことが必要です。これからの住まい方が良いもの、楽しい生活がおくれるものにするためにも、リノベーションは可能性を秘めた手法だと感じています。

そんなことを踏まえて伊東さんには、リノベーションについてどんな意見をお持ちかお伺いしたいと思っています。私は、新しいものを作ることだけが建築ではないと思っています。かつては、昭和30年代に建てられた団地は全て一度壊して新たな物を作ろう、そうしないと新しいものができないと思い込んでいました。しかしリノベーションの手法を使えば、新しいことが無限にできるんです。むしろ新たなものはリノベーションだからできる、ということを、無印良品と一緒にプロジェクトを進めてみて強く感じています。

もし伊東さんが団地リノベーションの設計を頼まれたとしたら、どんなことを構想するのかお聞かせください。
伊東
今のご意見には大賛成です。私も、団地・住宅に限らず、戦後の機能によって建築を作る方法が行き詰まっていると感じています。近代以前の日本の民家を考えると、機能によって作られてはいなかった、方位とか、周りの環境との関係で作られていました。そして環境に対して常にオープンで、プライバシーという意味ではレベルが低いかもしれませんが、住まい方としてはある意味豊かだったと思います。

今回“みんなの家”を作るために被災地の仮設住宅を訪ねましたが、そこで地元の方にお話を伺うと「避難所の方が良かった」という意見が出るんです。プライバシーを重視するというより、皆で一緒にご飯を食べる場所を求めている人がかなりいることに驚きました。プライバシーだけあればよいという考え方で仮設住宅を作っているのは間違っていると感じましたね。

仮設住宅に暮らす人には、隣の人と話す場所がない。そこに縁側や薪ストーブがあるだけで、人が集まって話をすることができるんです。仮設住宅にそういった人の集う場所を作るだけで、地元の方は涙を流して喜ぶでしょう。

また、機能によって分化された住宅を、もう一度自然との関係の間で開いていくことも重要だと感じています。その考え方をベースにすると、住まいについてのイメージが膨らんでいきます。日本は近代化の過程でかつての伝統的な生活が断たれてしまいました。都市が過密、均質になる中で、これ以上近代技術によって都市の精度を上げるのは限界があり、もっと別のライフスタイルを求め始めているという気がしています。そういった意味でも団地再生には興味があるし、取り組んでみたいと思っています。近代以前と現代のギャップをどう埋めるのか。決して昔に戻るわけではないですが、このままでは日本は元気にならない気がしています。
大西
震災復興に関して、URから約300人のスタッフが現地で頑張っていますが、地元の状況は1から全部やらなければいけないというのが実情です。そんな大変な状況の中、新しい住宅を急ピッチで作らないといけないという制約があると、“みんなの家”のような共用空間をどうやって作るかという議論が十分にできないケースもあります。もう少し時間的な余裕があればさらに出来ることもあると思っているのですが、どうしても難しい。彼らに時間を作ってあげたいのが正直なところです。
伊東
被災地は近代化からかなり取り残されてきたエリアですが、そこに中央政府は近代化を持ち込もうとしています。復興計画においても、例えば防潮堤一つを取っても、人間の住むエリアと自然とを完全に切り分けようとしています。かさ上げについても、今まで住んできたエリアを無くして高いところにいれば安心・安全だという発想で動いています。そして公営住宅に至るまで、全て今まで日本がやってきた近代化を押し付けようとしていて、“本当は仮設より体育館にいる方が良かった”と訴える住民の方の声を聞かずに動いているように思います。被災地でこそ、これからのライフスタイルを試してみるということが出来れば面白いと思うのですが。
大西
国としては、住居建設を急ぐことに対する要請に答えることが善として動いています。現場にいる人間は色々な矛盾を抱えつつ、“本当はこういうものを作りたい”という思いがあるだろうけれど、まずは仮設から本設の住宅に少しでも早く住まわせたいという状況を受けて動いているのが現状です。
MUJI
日本は今成熟の時代に突入しています。住宅供給不足を補うために効率的な住宅を求めてきた時代とは随分背景が異なります。
そこでは、効率化とは反対に時間をかかて、急速に発展するなかで見落としてきた事、人々が集まって住むために本来必要な豊かさを発見していく必要があるのでしょう。
UR西日本では今、様々な取り組みを進めていますね。
大西さんは、団地に花屋や、働く場所が増えていくと、そこから人々が暮らしの中で必要な実質的なつながりが生まれていくとも言われています。
あらためて伺いますが、今この時代に建築ができること、それは何でしょうか。
伊東
現代建築はとにかく技術によって解決するというのが基本の考え方です。できるだけ人工環境にしてコントロールしやすいように設計されています。例えばオフィスビルや団地など、南向きや北向きと様々な方向でも2階でも30階でも同じ環境を作りたい、そういった均質な環境を作るためには人工環境にした方がコントロールしやすいですよね。そうやって私たちは自然環境から離れてしまっている。その結果、人間まで均質化してきているような印象を受けるときがあります。均質な住戸に住んで、同じ生活をしているから当然ですよね。
また、東京は“世界で一番安全な都市”と、先日のオリンピック招致の際に評価を受けていましたが、それは環境をコントロールしているからです。逆に言うと、それだけ元気がない街とも言い換えることができます。そういった思いを持っている人が田舎へ行きたくなっているのでしょう。そういう意味では、もう少し自然との関係を生み出していくことが必要だと思っています。
昔の住宅は、冬は寒く、夏は暑かったですが、私は最終的には、人間は自然に近い環境に住むほうが良いと思っています。人間は適応力があり、自然に近いと、例え室内にいてもそれなりに適応してしまう一方、何も自然を感じないところにいるとその感度が低くなります。そういった意味では、今の暮らしの中で人間が自然と近づくには、半屋外空間を増やすのが一番手っ取り早く、楽しく且つ省エネにつながっていくのではと思っています。
大西
今まで集合住宅の共用部分でも、半屋外空間を作ってきましたが、なかなかうまくいかないケースも多いですね。例えば本来建築家が意図したものとは違う、住人の自転車置き場となっていたりとか。その場所をコミュニティ空間として気持ちよい場所に変え、維持するためにはどうしたらいいか。その場所を管理するのはURではなく住人だと思っています。そこにコミュニティが存在し、コミュニティの住人たちが工夫して花を植えたりして、皆の大切な空間という意識が芽生えれば、そこは生きた場所になってきます。そういうことをこれから仕掛けていきたいと思っています。