MUJI×UR 団地リノベーションプロジェクト
トークイベント「千里ニュータウンと団地の魅力」

※このレポートは、2016年2月6日に新千里東町団地集会所で行われたトークイベントの模様を採録しています。

門脇
ところで、もともと団地は「住まう」という機能に特化したものとして生まれたものですが、これも実は近代的な都市のコンセプトに関わっているものです。僕たちが住んでいる近代的な都市では、「住む」場所と「働く」場所のように、用途ごとに地域の役割を分けたデザインとなっています。近代のコンセプトは、一言でいうと、社会をシステム化しようということでした。都市についても、工業地域、商業地域、住棟地域などのように部分ごとに役割を分けて、それらを連携させることによって、システムのように効率よく稼働させることが目指されました。

建物についても、用途ごとに建物を分けようという発想が生まれます。近代以前の建物では、住まうことも働くことも区別なく行われていましたが、近代になると、住まう場所はマンション、働く場はオフィスビルといった具合に、それらが分断されていきます。そのような中で生まれたのが、団地だといって良いでしょう。
 
ところが、1970年代以降になると、そうした構図がだんだんと崩れていきます。時代がポスト近代に入ったわけですね。たとえばこの時代には、重工業を主体とした産業がサービス業や知的産業を主体とした産業に変化していきます。そうすると都心が綺麗になり、人が住めるようになるわけですが、その流れの中で、都心に高層マンションが立つようになります。つまり働くための場だった都心に、住まうという機能が混じってくる。場所ごとに用途を分担していた都市で、ふたたび用途が混じり合ってくるというわけです。
 
また、都心の工業用インフラも不要になってきますから、それを知的産業にふさわしい場に読み替えるという現象が世界中で起こります。たとえばソウルでは、高速道路がかかっていた川から高速道路を撤去し、都市公園に再生しています。そこでかつての巨大で単一機能的なインフラは、たくさんの場所の複合体へと姿を変えています。
門脇
建物でも複数用途の複合が進んでいきます。こちらは横浜のフェリーターミナルですが、その屋根がうねって公園になっている。また、古くなった建物の機能をあらため、不要となった学校をアートセンターにしたり、団地に働く場をつくったりするという動きも進んでいます。

今お話したことは、いずれも近代的な工業主体の都市が都市構造を転換させる過程で起きていることです。そして、MUJI×UR団地リノベーションプロジェクトもそのような動きの中での取り組みの一つと捉えることができる。つまり団地が同じ住宅の繰り返しではなく、いろいろな住宅の集合であり、ただ単に住まうための場所ではなく、そこで働くこともできたり、さまざまな活動ができたりと、もっとやわらかいものに読み替えられているのだと思います。

ありがとうございました。
川内
ありがとうございました。団地の歴史や経緯を語っていただき、大変興味深かったです。ではUR技術者の長谷川より、最近見つかった古い資料を紹介させていただきます。よろしくお願いします。
長谷川
URの長谷川です。宜しくお願いします。私からは、偶然、新千里東町で色々仕掛けていこうとする中ら、当時のUR職員は設計をどう考えていたのか、「設計思想のまとめ」という書物が最近見つかりました。
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長谷川
実はUR都市機構は今年度で設立60年になります。昨年秋に「技術研究報告会」といって、URの取り組みを紹介させていただきましたが、その節目に何か発信しようということで本社から見つけてきたものです。
 
団地や住まいをつくるときには、思想や考え方がなかったら形にはならないと思っています。その中でこのような書物がでてきたので、ワクワクしました。昭和30年というのが、日本住宅公団設立の年。このころから住宅が大量に必要になり、発足時に2万戸以上をつくるということになりました。それ以降様々な団地をつくってきましたが、ここでは主に配置計画についてご紹介します。

住宅をつくる際に間取りや住棟の標準設計をしていましたが、標準設計でつくられたものをどう配置するか、ヒューマンスケールでどう作るかにポイントを置きながら配置計画をつくっていきました。それが昭和43年、新千里東町団地を設計していた年です。昭和45年から新千里東町団地が入居を開始しました。

団地設計思想の流れは「人間融和への歩み」。

新千里東町団地ではどう配置しようかというスタディが行われていました。いくつか案がでています。
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長谷川
容積率や個数が計画されていて、その個数をどう入れ込んでいくかというパズルのパターンです。

最終的にはこれのどれでもない配置になりましたが、少し紹介します。

A案:中層をぐるりと配置。ここにはそれなりのゆとりの空間ができます。A’は中層を配置しましょうということで配置。

B案:高層棟が出てくる。中央に高層棟があり、日陰の問題を考慮するとゆとりの空間が細長くなる。

C案:ボックスと板状の2パターン。板状と中層との関係が親密にならない。親密性を確保するための工夫として、中層グループの中に高層棟を設置する。

こういった検討を受けて、新千里東町は高層が4棟、中層のゆるやかな囲み型、というかたちになりました。

このことからも、東町団地が講談の歴史を受けながら計画されたことがよくわかります。これらを念頭におきながら配置計画をしていったことが見てとれます。